ドイツの化学者。分光化学の開拓者。ゲッティンゲンで4人兄弟の末子として生まれる。父はゲッティンゲン大学の現代言語学の教授。母はイギリスのハノーバー王家の士官の娘。父方の親族には貨幣鋳造の工匠が多かった。ブンゼンはゲッティンゲン大学に学び、化学は1817年にカドミウムを発見したストロマイヤーFriedrich Stromeyer(1776―1835)に師事した。1830年、19歳で物理学上の研究で博士号を取得、1830年から1833年にかけて国内およびヨーロッパ各地を回り、機械工場見学、地質調査、鉱石学研究などを行い、またJ・リービヒ、E・ミッチェルリヒ、F・ルンゲ(アニリンの発見者)ら多数の化学者を訪れ、広く学習した。1833年にゲッティンゲン大学私講師となり、1836年F・ウェーラーの後任としてカッセルの高等工芸学校教授に招かれ、1838年マールブルク大学に移り、1841年同大学教授、1851年ブレスラウ大学教授、1852~1889年ハイデルベルク大学教授(L・グメーリンの後任)を務めた。
研究の初期には、亜ヒ酸金属塩の不溶性に関する研究からヒ素毒の解毒剤を発見するなど、生理化学分野の研究を行ったが、カッセルでは純化学分野に移り、ヒ素を含む有毒な有機化合物カコジルについて研究し、1837~1842年にかけて五つの論文を発表した。この研究のなかで遊離のカコジル基(C4H12As2)なるものを発見したとし、リービヒ、ウェーラーらの「基の理論」を支持する形になったが、まもなく基の論議から手を引いた。なお、カコジル研究を始めてまもなく、閉じた試験管中でシアン化カコジルが爆発し、片眼の視力を失った。
以上と併行して、炉の熱効率改善の研究や電池の改良を試み、高価な白金電極のかわりに炭素電極を用いるなど、工場などでの利用の道を広げた。ハイデルベルク時代の初めには、改良電池を使って電気分解の研究を行い、純粋の金属として、1852年クロム、マンガン、マグネシウム、ついでアルミニウム(1854)、ナトリウム、バリウム、カルシウム、リチウム(ともに1855年)などを得た。また比熱測定によりその精密な原子量を得ようとして氷熱量計を発明。線状にしたマグネシウムの燃焼により明るい光が得られることから出発して、弟子のH・ロスコーとともに1852~1862年光化学を研究、水素と塩素の混合物が光により塩化水素になる反応を定量的に調べ、その反応生成量が照射光の強さと照射時間の積に比例することを発見した。
1855年ブンゼンバーナーを発明、これを使って物理学者キルヒホッフと共同で元素の炎色反応を体系的に調べ、試量が微量でも、スペクトルの線の位置によって元素の存在を特定できることを確認し、この線の正確な位置を知るための分析装置をつくった(1859)。この装置とはブンゼンバーナー、葉巻たばこの空箱、三角プリズム、そして使い古しの二つの望遠鏡からなる新しい分光器(スペクトロスコープ)であった。この分光器を使って翌1860年、ブンゼンとキルヒホッフはデュルクハイムの泉水から新元素ルビジウムとセシウムを発見した。この年、2人は『スペクトル観察による化学分析』を発表した。その後、ほかの研究者たちによってタリウム(1861)、インジウム(1863)、ガリウム(1875)、スカンジウム(1879)、ゲルマニウム(1886)などの新元素が分光器によって次々と発見され、分光化学は急速に発展していった。ブンゼンは生涯独身で研究・教育に打ち込み、彼の下から多数の化学者が育った。
[道家達將]
『Theodor CurtiusRobert Bunsen (ed. by Edward Farber “Great Chemists” pp. 575~581, 1961, Interscience Pub. New York)』▽『Susan G. SchacherBunsen (“Dictionary of Scientific Biography” pp. 586~590, 1970~1981. Charles Scribner's Sons)』
ドイツの化学者.ゲッチンゲン大学で,カドミウムの発見者F. Stromeyerに化学を学び,1830年湿度測定に関する論文で学位を取得.ヨーロッパ各地を遊学後,1833年ゲッチンゲン大学講師となった.1836年F. Wölher(ウェーラー)の後任としてカッセルの工業専門学校,1838年マールブルク大学に転じた.1852年ハイデルベルク大学の教授となり,1889年に引退するまでその任にあった.1837~1842年の五つの論文はカコジル化合物に関する研究で,これはかれにとって有機化学分野における唯一の研究である.1843年シアン化カコジルの爆発によって右眼を失明した.1838~1846年にかけて鋳鉄の工業的製法について研究している際に,ガス分析法を開発した.1840年代,1850年代を通じて,電池の改良を試みた.1841年に製作した,負極に高価な白金のかわりに炭素を用いた電池は,ブンゼン電池として知られている.1852~1862年には,H.E. Roscoe(ロスコー)と共同して水素と塩素から塩化水素を生成する際の光化学反応を研究した.1860年代にはG.R. Kirchhoffとともに分光学分析を発展させたが,このことは1860年のセシウム,1861年のルビジウムの発見につながった.このほか,かれの名を冠したブンゼンバーナーは有名である.その実験の巧みさは天才的だったが,理論にはほとんど関心をもたなかった.
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ドイツの化学者。ゲッティンゲンに生まれる。1831年ゲッティンゲン大学を卒業,32年から33年にかけてベルリン,パリ,ウィーンに留学し,各地の工場や鉱山をみてまわる。39年マールブルク大学助教授,41年同大学教授となる。42年ハイデルベルク大学,51年ブレスラウ大学の教授を務めた。理論を立てるよりも秤量(ひようりよう)と測定の実験に興味をもち,多くの実験装置を発明した。ブンゼンバーナー,化学光量計,フィルター・ポンプ,分子量測定装置,熱量計,電池などである。とりわけ化学史上特筆すべきは,G.R.キルヒホフとの共同研究による分光器の発明であり,元素発見の新しい目として威力を発揮した。ブンゼンバーナーの高温によって分析されるスペクトルは,化合物中の新しい微量元素の発見につながり,みずから60年元素セシウム,61年ルビジウムを発見した。ほかにロスコーH.E.Roscoe(1833-1915)との共同による光化学に関するブンゼン=ロスコーの法則の発見もある。
執筆者:徳元 琴代
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1811~99
ドイツの物理学者,化学者。実験家として卓抜。1856年金属アルミニウムを電解,59年分光器を発明してスペクトル分析を完成し,61年元素確認方法を確立した。ブンゼン燈の発明者としても有名。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…この地域の降水量に対してカルロビ・バリ温泉の湧出量が著しく多いこと,温泉に含まれる炭酸物質や塩化ナトリウムなどの起源は地下深所のマグマに求めるべきであるというのが理由である。(2)循環水説 アイスランドの温泉を研究したR.W.ブンゼンは降水が岩石の割れ目を通って地中深く浸透し,火山熱によって熱せられ,岩石の成分を溶解して地表に湧出したものが温泉であると主張した(1847)。(3)化石海水説 石油や天然ガスを求めてボーリングをすると温泉が湧出することがある。…
… カコジルは科学史上重要な化合物である。R.W.ブンゼンは1837‐43年,いわゆる〈Cadetの液〉(酸化カコジル)の研究を行い,その組成をきめ,さらにおよそ40ほどの新しい一連の化合物を合成した。その過程でカコジルが一つのまとまった原子団として行動することを認め,カコジルをもって有機化合物中の基を単離したと考え,Kdなる記号を与えた。…
※「ブンゼン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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