イギリスの神学者、化学者。初め長老派教会(カルバン主義によるプロテスタントの一派)の牧師であったが、しだいに正統派カルバン主義を排して、神の単一性を主張し、三位(さんみ)一体に反対し、イエスは神でないとするユニテリアニズムの見解をとるようになった。1782年に『キリスト教頽廃の歴史(たいはいのれきし)』History of the Corruptions of Christianityを出版したが、1785年に公権によって焼かれた。1786年『イエス・キリストに関する初期の歴史』History of Early Opinions Concerning Jesus Christ、1790年に『西ローマ帝国崩壊に至るキリスト教会史概観』General History of the Christian Church to the Fall of the Western Empireを刊行した。これら多くの著作による正統派への激しい神学攻撃によって反発を受け、1791年フランス革命に共鳴したためバーミンガムにあった家や研究室が破壊された。このためロンドンに逃れ、1794年アメリカに移住し、1796年フィラデルフィアにユニテリアン教会を創立した。一方、進歩的文化人であるワットやダーウィンらと交遊し、ベンサムらにも影響を与えている。また植民地政策や奴隷売買などにも反対した。
[平本洋子]
ウォリントン・アカデミー講師時代(1761~1767)に科学研究を始め、『電気学の歴史と現状』(1767)により科学者として高い評価を受ける。リーズ時代(1767)教会隣のビール醸造所の発酵ガスに興味をもち、気体研究を始め、多種の新気体(一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化硫黄(いおう)、アンモニア、塩化水素、酸素など)を発見した(1770~)。これらの成果は『多種の気体および自然哲学の他の分野に関する実験と観察』(1790)にまとめられている。ソーダ水の調製を含む気体研究の最初の成果(1772)によりロイヤル・ソサイエティー(王立協会)からコプリー・メダルを授与される。酸素ガスの発見は彼の名を化学史上不朽にした業績である。1774年大きなレンズで煆焼(かしょう)水銀(酸化第二水銀)を加熱して得られた気体中でろうそくが空気中よりも長時間燃え続けることを知り、これをラボアジエに伝え、彼の新化学形成のきっかけをつくった。しかし、プリーストリー自身は、翌1775年それが新種の気体であることを確認したものの、「脱フロギストン空気」と命名し、終生フロギストン説の立場でラボアジエに対抗した。また、植物がこの気体を放出することを発見し、光合成研究の端緒も開いた(1772~1778)。
[肱岡義人]
『J・G・クラウザー著、鎮目恭夫訳『産業革命期の科学者たち』(1964・岩波書店)』▽『F. W. GibbsJoseph Priestley : Adventurer in Science and Champion of Truth (1965, Thomas Nelson and Sons, London)』
イギリスの小説家、劇作家、評論家。イングランド北部の工業都市ブラッドフォードに教師の子として生まれる。会社勤めののち、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)と同時に軍務に服した。のち、ケンブリッジ大学を卒業。1922年にロンドンに移るとジャーナリズムで活躍を始め、小説『友達座』(1929)の大成功で文名を確立した。イギリス各地から集まった変わり者が偶然「友達座」を結成、各地を巡業して回る間の愉快な事件をピカレスク(悪漢小説)風に描いたもので、その健全な人間生活の描写はディケンズの再来かといわれた。続いて一商社の没落にまつわる社員たちの市民生活を描く『エンジェル小路』(1930)でふたたび大成功を収めたのち劇作『危険な曲り角』(1932)でも人気を博した。地方の豪邸に集まった一見幸福な人々の間で、それぞれの人生の危険な曲がり角の真相が暴かれるが、結局それも無事に過ぎるさまを斬新(ざんしん)な作劇術で示し、日常の平凡な人生も密度の高いものに変えうるとする冷徹な見方に、作者の古風ながら急進的な姿勢がうかがえる作品である。ほかにも、『晴れた日』(1946)、『失われた帝国』(1965)など多数の小説、『夜の来訪者』(1947)をはじめ約50作に達する劇作がある。彼には深遠な思想はないが、イギリス文学に伝統的にみられる常識家の人間像の魅力とその描写が、長く人々の心をとらえている。評論にも『メレディス論』(1926)、『イギリス小説』(1927)、『イギリスのユーモア』(1929)、『文学と人間像』(1960)など多数の著作がある。多面的な顔をみせた活躍で、1977年にはメリット勲章を受けた。
[小野寺健]
『内村直也訳『夜の来訪者』(1952・三笠書房)』▽『内村直也訳『危険な曲り角』(『現代世界戯曲全集5』所収・1954・白水社)』▽『阿部知二他訳『文学と人間像』(1973・筑摩書房)』▽『三省堂編修所訳『演劇の歴史』(1975・三省堂)』▽『小池滋訳『英国のユーモア』『英国人気質』(1999・秀文インターナショナル)』
イギリスの化学者.織物仕上げ職人の息子として,リーズ近郊に生まれ,ダヴェントリーの非国教派のアカデミーで学んで,牧師となる.職業としては終生牧師ならびに教師であった.18世紀のイギリスの空気化学の頂点となる研究をなすが,ほかに神学,教育,歴史,伝記,法学,政治についてなど,非常に数多くの著作を著している.1761年ウォリントン・アカデミーの古典語の教師職に就くが,このときに化学へ関心をもつようになる.同時に,B. Franklinと接し,“電気学の歴史と現状”(1767年)を著す.1767年リーズのユニテリアン派の牧師に招へいされ,醸造所の隣りに住むこととなった.このことが契機となり,発酵する麦芽汁から出る固定空気(二酸化炭素)について本格的な実験研究をはじめ,ソーダ水の発明へと至る.1773年William Pettyに司書兼顧問として雇用され,十分な給料を得る.そうして可能になった十分な時間で,気体について驚くほど多くの実験を行い,20種類もの新しい“空気”をつくり出した.そのなかには,硝空気(一酸化窒素),硝蒸気(二酸化窒素),減容硝空気(一酸化二窒素),硫酸空気(二酸化硫黄),可燃性空気(一酸化炭素),海酸(塩化水素),フッ酸空気(フッ化ケイ素)が含まれている.また,1774年8月水銀灰(HgO)を密閉容器のなかで熱して,“脱フロギストン化空気”(酸素)を得た.同年10月パリを訪れたかれは,この実験結果をA.L. Lavoisier(ラボアジエ)に直接伝え,その酸素理論の形成に大きな刺激を与えた.1780年かれはPetty卿の年金を保持したまま,バーミンガムの新礼拝会の牧師となり,その地の有名な月光協会(Lunar Society)の会員となった.1791年バーミンガム暴動で,急進派の最先鋒とみられていたかれの私宅が襲撃された.1794年家族を連れてアメリカに移住し,声のかかった牧師職も大学教授職も受けずに著述に専念した.そのなかには,新しい革命的なラボアジエ化学に対して,フロギストン説を擁護する“フロギストン理論の考察”(1796年)が含まれる.H. Cavendish(キャベンディッシュ)が開発した,水溶性の気体を水銀上で捕集する方法を完成させたのもかれである.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
イギリスの化学者,神学者,哲学者。本職は牧師であるが酸素の発見で知られる。ヨークシャーのフィールドヘッドに生まれ,非国教会派の牧師を望んだ叔母の手で育てられた。神学校を卒業後,ニーダム・マーケットの長老派教会の牧師補,61年ウォリントン学院の古典語の教師,67年リーズのユニテリアン派の牧師となる。B.フランクリンとの接触が動機となって67年,名著《電気学の歴史と現状》を出版した。そしてこのリーズでの気体の研究がきっかけとなって彼の科学的活動がはじまり,醸造槽に発生する二酸化炭素についての実験を行い,〈ソーダ水〉を発明したことで有名になった。72年彼の名声を聞いたシェルバーン伯ペティWilliam Petty(1737-1805)は司書兼顧問として彼を招聘し文学や科学を研究できる環境を与えた。彼はこのシェルバーン伯と過ごした8年間に多くの研究活動を行った。一酸化窒素,二酸化窒素,酸素やその他数種の気体を遊離,確認したほか,気体の水への溶解性,呼吸に対する適性などを実験的に考察することで気体を体系的に研究した。特に酸素の発見は重要でA.L.ラボアジエの燃焼理論構築への動機を与えた。しかし最後までラボアジエの新しい化学体系を認めずフロギストン説を支持した。ほかにも動物の呼吸に空気が必要なことの発見,光合成に関する実験など重要な研究がある。また77年にはR.J.ボスコビチの自然学をふまえて物質としての精神を論じ,唯物論的形而上学を確立した哲学上の主著《物質と精神についての論究》を著している。80年シェルバーン伯のもとを去りバーミンガムに移ったが,そこで自由主義的な宗教上,政治上の論争にまきこまれていった。著書《キリスト教の退廃の歴史》(1782)を公にし国教派を批判し,アメリカの独立戦争やフランス革命に対しても好意的であったことなどからまわりの人々の敵対感情が激しくなり,91年暴徒におそわれ実験装置,書籍などを家といっしょに焼かれロンドンにのがれ,さらに94年アメリカに移住して神学や科学の著述を続けた。
執筆者:斎藤 茂樹
イギリスの小説家,劇作家。会社勤めをし,第1次大戦に従軍したのち,遅くなってケンブリッジ大学を卒業。それ以前からエッセイストとして活躍していたが,偶然落ち合った役者たちが一座をつくって巡業して歩く愉快な道中物《友だち座》(1929)で一躍有名になり,次の第1次大戦後の不況下の小市民の生活を描いた《天使通り》(1930)も大成功を収め,ディケンズ的な悲喜劇を描くイギリス小説の伝統の代表者となった。このほかに数多くの小説があるが,劇作でも非常な名声を博し,自殺を装った殺人事件の解明から社会悪を暴いた《危険な片隅》(1932),一少女の死を取り上げて社会的責任を訴えた《夜の来訪者》(1945)など30編近い作品がある。小説に比べれば劇のほうが実験的である。このほか,《イギリス人の喜劇的性格》(1925)といったイギリス論的なものを中心に多方面にわたる数多くのエッセーがある。彼の特徴はイギリス的個人主義と温和な進歩思想を基盤にしたユーモアにあり,テレビ,ラジオにも活躍し,ユネスコ代表,イギリス演劇協会会長などさまざまな役職を務め,劇場経営,雑誌経営にもその才能を発揮した。
執筆者:鈴木 建三
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1733~1804
イギリスの聖職者,化学者。1774年酸素を分離することに成功,また植物が呼吸することを発見した。イギリス功利主義の先駆者でもあり,フランス革命を支持したため,91年バーミンガムの自宅と実験室を暴徒に襲われ,アメリカに移住。ペンシルヴェニアで余生を送った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…それゆえ,〈科学の歴史〉をたどろうとする試みも,19世紀西欧に始まったといってよい。たとえば,イギリスのJ.プリーストリーの一連の先駆的な仕事,そしてフランスのA.コントが提案した〈科学の歴史histoire de la science〉や,イギリスのW.ヒューエルの著した《帰納科学の歴史》(1837)などが,そうした試みを代表する。もとよりそれ以前にも,すでに個別の学問として成立していた数学や,天文学,医学などに関しては,それぞれに,個別的な学問史が書かれたことがあった(たとえばルクレールD.Leclerc(1652‐1728)の《医学史》(1696,1723)やドランブルJ.Delambre(1749‐1822)の《古代天文学史》(1817)など)が,科学が一つの理念として成立しはじめる19世紀半ば近くになって,ようやく科学史という学問もその理念を体して誕生したといえよう。…
…空気中の酸素は燃焼や動物の呼吸作用によって消費されるが,一方,植物の同化作用によって二酸化炭素が分解されて酸素が供給され,バランスが保たれている。 イギリスのJ.プリーストリーは1774年,赤降汞(せきごうこう)(酸化水銀(II)HgO)を大きなレンズ(日取りレンズ)を用いて太陽光によって加熱し新しい気体を得た。 HgO―→Hg+1/2O2この気体は燃焼を支える力が強く,動物は普通の空気の中よりもこの気体の中のほうがずっと長く生きることがわかった。…
…清涼爽快な香味をもつ無酒精飲料(アルコール分が全容量の1/100以下)の総称。1900年の内務省令による〈清涼飲料水営業規則〉で,〈販売の用に供するラムネ,リモナーデ(果実水,ハッカ水,および桂皮水の類を含む),ソーダ水,およびその他の炭酸含有飲料水並びに果実汁……を言う〉と規定され,以後この語が普及するようになった。ほぼ同義の語にソフトドリンクがあり,国際的にはこの語が用いられている。現在の日本での市販品を大別すると,炭酸飲料,果実飲料,乳性飲料になる。…
…植物の光合成に関する研究である。イギリス人牧師J.プリーストリー(1733‐1804)は,1770年代に植物は〈空気を純化する〉(O2発生)とし,オランダ人でオーストリア宮廷医師J.インゲンホウス(1730‐99)は植物のO2発生は緑色の葉,茎だけが行うことを明らかにした。スイス人牧師スヌビエJ.Senebier(1724‐1809)はO2が発生するにはCO2の存在が必要であるとし,スイス人ソシュールN.T.de Saussure(1767‐1845)は植物の緑色部分に光を照射すると,CO2とH2Oから有機物が合成されることを証明した。…
…その発端は1765年に締め金具の製造者ボールトンMatthew Boultonと医師E.ダーウィン(C.ダーウィンの祖父),教育者スモールWilliam Smallがアメリカ人フランクリンとともに催した月例談話会にある。これに陶器業者ウェッジウッド,蒸気機関の開発者ワット,化学工業の開拓者キアJames Keir,馬車の緩衝装置を発明したエッジワースRichard Edgeworth,それに気体化学の先駆者J.プリーストリーが加わり,相互啓発によって多数の新くふうや理論を生みだした。しかし彼らはフランス革命とアメリカ独立を支持し,奴隷解放を力説するなど,革新的政治姿勢を示したため,地元民の反発を買い,プリーストリー邸焼打ちなどの妨害を加えられ,19世紀初頭には自然消滅した。…
※「プリーストリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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