翻訳|penicillin
世界で最初に発見され,最初に臨床に応用された抗生物質。その後も改良が続けられて,その医薬品としてのすぐれた性質のため,この群に属する抗生物質は現在でも細菌感染症の治療薬として第1位の座を占めている。
1928年,イギリスのA.フレミングは,偶然に混入したアオカビPenicillium notatumがブドウ球菌の発育を抑えていることを見つけ,このカビがグラム陽性菌に対する強い抗菌性物質を産生していること,さらにそれは低毒性であることを認め,この物質をペニシリンと名づけた。フレミングの発見は当時注目されなかったが,のちにイギリスのH.W.フローリーおよびチェーンE.B.Chainらはこの研究に着手し,40年ペニシリンの分離抽出に成功,41年臨床的にも有効であることが明らかとなり,医学界の革命的できごととなった。これを〈ペニシリンの再発見〉と呼ぶが,これはその後の抗生物質時代の幕開けでもあった。これにより45年,フレミング,フローリー,チェーンはノーベル医学・生理学賞を受賞した。
当初,ペニシリンは数種の混合物として得られたが,その中でペニシリンG(ベンジルペニシリン)が医薬品として世界各国で使用されるようになった。ペニシリンGは,白色針状結晶で,水に溶けやすく,グラム陽性菌,グラム陰性球菌,レプトスピラに強く作用するが,グラム陰性杆菌(大腸菌など)には効かない。酸に不安定で胃酸でこわされるため経口的には用いられず,主として注射薬として用いられる。注射後速やかに尿中に排出されるため頻繁に注射をする必要があり,難溶性にして体内持続時間を長くするなどの工夫もされている。ブドウ球菌,肺炎球菌,連鎖球菌,淋菌,髄膜炎菌,ジフテリア菌,梅毒トレポネマなどに適応される。アレルギー性過敏反応を除き副作用はほとんどない。
ペニシリンGのベンジル側鎖をはずし,6-アミノペニシラン酸とし,代りに異なった置換体を化学的につけることにより(図のRの部分),すぐれたペニシリン類を得ることができるようになった。その目的としては,(1)ペニシリン耐性菌が増えたが,それがペニシリンをこわす酵素(ペニシリナーゼ)によることがわかり,ペニシリナーゼ抵抗性のものを得る,(2)酸に安定で経口投与可能なものを得る,(3)大腸菌や緑膿菌などにも有効で広範囲抗菌スペクトルをもつものを得る,などである。この目的のために多数の半合成ペニシリンが得られたが,代表的なものに,アンピシリン(酸に安定で経口投与可能な広範囲ペニシリン。ペニシリナーゼでこわされる),ジクロキサシリン(ペニシリナーゼ抵抗性,経口投与可能,グラム陰性杆菌に無効),カルベニシリン(とくに緑膿菌に有効),スルペニシリン(カルベニシリンに似る),メチシリン(ペニシリナーゼ抵抗性)などがある。
1955年にイギリスのアブラハムE.P.AbrahamとニュートンG.G.F.Newtonによって別のカビ(Cephalosporium acremonium)から得られた抗生物質で,ペニシリンと基本骨格がきわめてよく似ており,ペニシリン群とセファロスポリンC群を総称してβ-ラクタム抗生物質と呼ぶ。セファロスポリンCはペニシリナーゼで分解されず広範囲の菌に効くが,セファロスポリナーゼで分解される。ペニシリンの場合と同じ目的で多数の半合成セファロスポリンが図のR1,R2を換えることにより得られ,セファレキシン,セファゾリン,その他多くのすぐれたものが現れている。この分野での日本の貢献も大きく,今なお発展しつつある。
放線菌から得られたセファマイシンは分解酵素に抵抗性である。側鎖だけでなく基本骨格までが変化したチエナマイシン,クラブラン酸なども得られ,さらには,それ自身は抗菌活性がなく分解酵素に結合して失活させる作用をもつものも得られ,併用剤として用いられる。
β-ラクタム抗生物質は,細菌の細胞壁の合成を阻害して菌を殺すので,細胞壁をもたないヒトなどの細胞には作用せず,したがって毒性はきわめて少なく,すぐれた治療薬である。しかし副作用として,きわめてまれ(10万人に10~40人)であるがペニシリンショックと呼ばれる即時型アレルギー反応がおこり,まれに死に至ることもある。15分以内に,口腔内違和感,しびれ感,冷汗,悪心,胸内苦悶,心悸亢進,呼吸困難などがおこる。東大教授がペニシリンショックで死亡したことがあり,大きな問題となった。使用前に,問診によるペニシリンアレルギーの有無,皮内テストを行うことが必要である。
→抗生物質
執筆者:鈴木 日出夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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治療薬として最初に使われた抗生物質。1928年、イギリスの細菌学者フレミングが、ブドウ球菌の培養中に偶然アオカビが培地に混入してその周辺でブドウ球菌の溶菌現象がおこっているのを認め、このアオカビPenicillium notatumの培養液中に抗菌作用を示す物質のあることを発見、その物質をペニシリンと命名した。しかし、熟練した化学者の協力がなく、治療価値を調べられる程度まで濾液(ろえき)を精選濃縮することができないまま約10年間も放置されていた。かくして1940年に至り、イギリスの病理学者フローリーと生化学者チェインらによって初めて粉末状に分離され、化学的に安定な形で使われるようになり、ヒトのグラム陽性菌感染症にすばらしい治療効果を示すことが実証され、抗生物質時代の幕開きとなった。これをペニシリンの再発見とよんでいる。
ペニシリンは当初単一物質と考えられていたが、F、G、X、Kの4種が混在していることがわかり、そのうちG(ベンジルペニシリン)が生物学的活性および安定性において優れていることが明らかとなった。現在、ペニシリンには天然(生合成)ペニシリンと合成ペニシリンとがあり、それぞれ経口用と注射用に分けられている。
天然ペニシリンには、主として注射用に使われるベンジルペニシリンカリウムやベンジルペニシリンプロカイン、経口用のベンジルペニシリンベンザチンやフェノキシメチルペニシリンカリウムがある。
一方、ペニシリンの母核である6-アミノペニシラン酸の合成に成功(1957)し、現在のペニシリン製剤の大部分は合成ペニシリンになった。初めはペニシリンの欠点である耐性菌やアレルギーの発生の少ないものとして、クロキサシリン、ジクロキサシリン、メチシリンなどが開発されたが、現在ではグラム陽性菌ばかりでなく、グラム陰性菌にも有効なアンピシリンより始まる合成ペニシリンが主流を占め、アモキシシリン、タランピシリン、バカンピシリン、カルフェシリン、カリンダシリン、ヘタシリン、シクラシリン、カルベニシリン、スルベニシリン、チカルシリン、ピペラシリン、メズロシリンがあり、緑膿(りょくのう)菌にも有効なものが開発された。
なお、ペニシリンは化学構造上、基本骨格にβ-ラクタム環をもつところから、同じくβ-ラクタム環をもつセファロスポリン系抗生物質とともに、β-ラクタム系抗生物質とよばれている。
[幸保文治]
ペナム(penam)ともいう.1928年,A. Fleming(フレミング)はアオカビPenicillium notatumがぶどう球菌などのグラム陽性菌の発育を阻害する物質をつくっていることを発見し,ペニシリンと名づけた.1940年にH.W. Florey,E. ChainとE.P. Abrahamは,粗精製したペニシリンに顕著な臨床効果があることを動物実験で示し,世界最初の抗生物質の誕生となった.ペニシリンは精製され,ペニシリンG,X,Fなどの類似物質の混合物であることがわかった.グラム陽性菌にすぐれた抗菌活性を示すが,グラム陰性菌の細胞膜まで到達しにくく,グラム陰性菌には効かない.作用機序は,細菌の細胞壁を構成するペニシリン結合タンパク質(ペプチドグリカン層の架橋酵素)に結合して,この酵素の阻害により細菌を破壊する殺菌作用である.ヒトの細胞には細胞壁がないので,細菌のみに選択毒性を示す.ペニシリンショックとよばれるアレルギー性過敏反応を示すヒトがいることを除き,副作用はほとんどない.ペニシリンG(ベンジルペニシリン)は,耐性菌が出るまでは非常によく使用されていた.ペニシリンG:C16H18N2O4S(334.40).白色の粉末.+282°(エタノール).水に難溶.そのカリウム塩は水に易溶で,注射薬として用いられる.ペニシリンの母核である6-aminopenicillanic acidにいろいろな側鎖を結合した多くの化合物が合成され(表参照),ペニシリン系抗生物質とよばれる.これらのなかには,広域スペクトラムをもつものや,緑膿菌にも有効なものもある.ペニシリン系抗生物質にセフェム系抗生物質を合わせてβ-ラクタム系抗生物質と総称される.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…まもなく,このプロントジルの有効成分は体内で分解されて生ずるスルファニルアミドであることがわかり,以後今日まで,その誘導体は数千種以上も合成され,そのうちサルファ剤の総称で各種細菌性疾患の治療に用いられてきたものも多数に及ぶ。このドーマクの発見に先だつ1929年,イギリスのA.フレミングは,たまたま寒天培地上の黄色ブドウ球菌の集落が,その周辺にできたアオカビの集落によって溶けることを観察し,アオカビの培養濾液の中に各種細菌の発育を阻止する物質(ペニシリン)のあることを報告した。10年後,この報告から出発してイギリスのチェーンErnst B.Chain(1906‐79)とフローリーHoward W.Florey(1898‐1968)は,ペニシリンの再検討と実用化にのり出し,さらにアメリカの協力を得て工業生産にも成功した(1941)。…
…日本では,これに〈抗生物質〉という語をあてている。1929年のA.フレミングによるペニシリンの発見,38年から41年にかけてのH.W.フローリーらによる〈ペニシリンの再発見〉以降,新しい抗生物質の探索が世界的に始まった。したがって,抗生物質という言葉も物質も比較的新しいものである。…
…1910年P.エールリヒ,秦佐八郎によって有機ヒ素剤であるサルバルサンが開発され,初めての化学療法剤として梅毒の治療に用いられたが,治療効果は不十分であり,副作用が多発した。40年代以降は,梅毒に対してはペニシリンを中心とする抗生物質による治療が行われるようになった。ペニシリンの治療効果は優秀であり,現在でもなお,梅毒の治療にはペニシリン中心の抗生物質療法が実施されている。…
…第1次大戦の勃発とともに陸軍軍医団に加わり,フランスの野戦病院に派遣されたが,18年再び母校に戻り,29年に細菌学教授となった。早くから抗細菌性物質の研究を行い,1922年には溶菌酵素,リゾチームの発見などの業績をあげたが,最大の功績はペニシリンの発見であった。28年,使用済みとして放置しておいたブドウ球菌の培地にカビが混入し,そのカビの周りでは菌の発育が阻止されていることに気づき,そのカビを培養して得られたブドウ球菌発育阻止物質にペニシリンと名づけ,翌29年に発表した。…
…25年アメリカに遊学した後,27年イギリスに戻り,28年ケンブリッジ大学病理学講師となり,シェフィールド大学病理学教授(1931),オックスフォード大学病理学教授(1935)。チェーンE.B.Chainとともに,A.フレミングが1929年に報告したペニシリンの研究に着手し,ペニシリンの性状を明らかにするとともに,40年には動物の連鎖球菌感染症のペニシリンを用いた治療実験に成功した。41年アメリカに渡り,研究所や製薬会社を訪れ,ペニシリンの研究に関心を抱かせ大量生産の緒をつくった。…
…43年明治産業(株)と改称。第2次大戦後は農畜水産加工品の生産から開始するとともに,戦争末期から手がけていたペニシリンの製造を46年から始め医薬部門に進出した。47年には社名を元に戻し明治製菓(株)とし,砂糖,小麦粉などの統制撤廃とともに50年前後から菓子の本格的製造を再開。…
※「ペニシリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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