ボアロー(その他表記)Nicolas Boileau-Despréaux

改訂新版 世界大百科事典 「ボアロー」の意味・わかりやすい解説

ボアロー
Nicolas Boileau-Despréaux
生没年:1636-1711

フランスの文芸理論家,風刺道徳詩人。パリ高等法院書記官の家に生まれ,神学・法律を学んだ。兄ジル・ボアローらが文人たちと交際し辛辣な論争家として世に出るに従って文人たちと交際し,まずは風刺詩によりさまざまの文人にかみつき,しだいに文壇に名を成し始める。特にシャペル,モリエール交友を深め,当時の大御所シャプランの権威にも楯ついた。以後文名が上がるとともに風刺から道徳を説く書簡詩に転じ,また悲劇詩人ラシーヌとの親交も深めた。1674年に《詩法》《ロンギノス悲壮美論翻訳》などが公刊され,文学理論家としての名声を確保した。77年ラシーヌとともに国王の修史官となったが,文学活動は続け,特に87年以降ペロー兄弟,フォントネルらと激しい〈新旧論争〉を交わし,古代派のチャンピオンとして《ロンギノス考》(1694-1713)を著した。晩年隠退したが古典主義大作家の最後の生残りとして敬われ,また批評家である自分がラシーヌ,モリエール,ラ・フォンテーヌらを指導したという伝説を作り出した。

 ボアローの名を後世に伝えた《詩法》は,17世紀では一般的な通念となっていたが,現代では古典主義文学理論と呼ばれているものを,韻文で平易に述べたものである。この理論はマレルブのフランス語改革を機に1625年以降フランスで論議され,シャプランらの主導のもとに40年ごろほぼ確立した。ボアローの《詩法》は文学史的にはそれを祖述したものにすぎなかった。しかし明快で歯ぎれのよい文体で人々にわかりやすく説いた功績は大きい。〈新旧論争〉で古典作家を弁護して奮闘したボアローは後世から古典主義の代表的理論家と見なされ,《詩法》は18世紀を通じ教本となり,フランスのみならず,ヨーロッパ全体に大きい影響を与えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボアロー」の意味・わかりやすい解説

ボアロー
ぼあろー
Nicolas Boileau-Despréaux
(1636―1711)

フランスの詩人、批評家。パリに生まれる。神学と法律を学ぶが、21歳で父を失い遺産を相続すると、天職と信じていた文学を志す。30歳のとき、パリ人の風習を批判したり、当時の流行作家キノーをこきおろしたりした『風刺詩1~7』Satires(のちに増補されて12編)を発表して有名になる。また『書簡詩1~12』Épîtres(1670~95)によって批評のジャンルを開拓した。ほかに滑稽(こっけい)叙事詩『譜面台』(1674~83)もあるが、文学批評史上重要なのは『詩法』Art poétique(1674)である。鋭い批評眼を有していた彼は、このなかでモリエール、ラ・フォンテーヌ、ラシーヌという彼の友人でもある偉大な作家たちの傑作を基に、古典主義文学の理論を集大成した。彼の文学観の根底にあるのは理性で、『詩法』でも「理性を愛せ」と歌い、理性の欲求を満たすものを美とみなした。また、自然(人間性)のなかにある「真実らしさ」を正確に写すことを説き、読者に好まれるためには古代の優れた手本に従うべきであるとした。「新旧論争」では古代派の代表だった。『詩法』は大革命のころまで文学の聖典とされ、大きな影響を与えた。アカデミー会員。

[伊藤 洋]

『小場瀬卓三訳『ボワロー 詩法』(『世界大思想全集 第21巻』所収・1958・河出書房新社)』

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百科事典マイペディア 「ボアロー」の意味・わかりやすい解説

ボアロー

フランスの詩人,批評家。《風刺詩集》(1666年)で認められた後,《詩法》(1674年)ではホラティウスを範として《ラシーヌ》,《モリエール》らの創作態度を理論づけ,古典主義の理想を展開。新旧論争では古代派の立役者となる。ほかに《書簡詩》,抒情詩《リュトラン》。
→関連項目三統一詩学ペローマレルブ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボアロー」の意味・わかりやすい解説

ボアロー
Boileau-Despréaux, Nicolas

[生]1636.11.1. パリ
[没]1711.3.13. パリ
フランスの詩人,批評家。『詩法』L'Art poétique (1674) で,自然,理性,古代,芸術的完成の4つに対する崇拝を唱え,フランス文学の黄金時代を築いた古典主義文学の美学を不動のものにするとともに,ヨーロッパ諸国の文学にも影響を及ぼした。ほかに『風刺詩集』 Satires (66) ,『書簡詩集』 Épîtres (69~77) がある。モリエール,ラシーヌ,ラ・フォンテーヌのよき忠告者としての功績も大きい。「新旧論争」では古代派の先頭に立ち,『ロンギノス考』 Réflexions sur Longin (94) を残した。

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世界大百科事典(旧版)内のボアローの言及

【古典主義】より

…このようなヨーロッパ各文化による差異の状況は,一方では17世紀フランス古典主義文学だけが実現した美的完璧と,他方ではそのような作品を成立させ得た歴史的要因の特殊性によると思われる。 17世紀初頭,詩人F.deマレルブに代表される語法・作詩法における明解さ・簡潔さ・正確さ・節度の要求は,古典主義成立の最も重要な事件であったが(のちに詩人N.ボアローは〈ついにマレルブ来たれり〉と歌う),それは16世紀後半のフランスを分断した新旧両徒間の戦いである宗教戦争の時代に生まれたバロックの,主題と表現における過剰さへの反動であった。宗教戦争の終結後,王位についたルイ13世の治下で,宰相・枢機卿リシュリューは,統一国家としての秩序と調和への意志を,政治,経済,文化のあらゆる局面における中央集権体制の確立によって果たそうとする。…

【詩学】より

…ただし,この古典主義理論に体系的な理論書はあまりなく,J.シャプラン,N.ラパンら古典主義の理論家たちはおりに触れての省察という形で発言しているにすぎない。それを韻文で俗耳に入りやすく,啓蒙的な詩論書にしたのがN.ボアローの《詩法Art poétique》であった。これは〈理性と真実らしさ〉の論を中核とし,一般的に受容されていたものを歯切れよく述べたものにすぎなかったが,18世紀以降古典主義の教本として,ドイツやイギリスの文学(ポープら)に影響を与えた。…

【新旧論争】より

…古代近代論争とも呼ばれ,2期に分かれる。前期は1687年ペローの国王の頌詩《ルイ大王の世紀》に端を発し,ギリシア・ラテンの古典と当代のフランス文学の優劣をめぐって,ペロー,フォントネル等の近代派と,ボアローを中心とするラ・フォンテーヌ,ラ・ブリュイエール等の古代派が対立。94年にアルノーの仲介によって両派が和解する。…

【ソネット】より

…ドイツではゲーテらの作例があり,20世紀に入ってはリルケの《オルフォイスにささげるソネット》がある。 ソネットの形式は,等韻律の詩句を四行詩2連,三行詩2連の順に並べるもので,脚韻はABBA,ABBA,CCD,EDE(またはEED)と配置するのが最も厳密な形とされ,ボアローが〈完璧なソネ一編は長詩に匹敵する〉と述べたほどの圧縮洗練された形式美を示す。また最後の1行には,一編の結びとして,とりわけ鮮やかで水際だった詩句が求められる。…

※「ボアロー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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