コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ボーア戦争 ボーアセンソウ

6件 の用語解説(ボーア戦争の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ボーア‐せんそう〔‐センサウ〕【ボーア戦争】

南(なん)ア戦争(せんそう)

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ボーアせんそう【ボーア戦争】

19世紀末から20世紀初頭にかけて南アフリカの支配をめぐってイギリス人ボーア人Boerの間で行われた帝国主義戦争。ブール戦争,アングロ・ボーア戦争南ア戦争などとも呼ばれ,第1次戦争(1880‐81)と第2次戦争(1899‐1902)がある。 グレート・トレックの結果,1852年建国されたボーア人のトランスバール共和国は,70年代に財政事情が悪化した。イギリス植民地相H.カーナボンはこれを契機に介入し,77年同国を併合した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

ボーアせんそう【ボーア戦争】

みなみアフリカ戦争せんそう

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボーア戦争
ボーアせんそう

南アフリカ戦争」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボーア戦争
ぼーあせんそう

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のボーア戦争の言及

【アフリカ】より

…最も遅れて登場したイタリアは80年代末期にいたってソマリアの一部とエリトリアを手中におさめ,さらにエチオピアに触手をのばしたが,96年のアドワの戦でエチオピア軍に敗れ,野望を放棄した。ヨーロッパ列強によるアフリカ分割競争の終幕を告げたできごとは第2次ボーア戦争(1899‐1902)であった。この戦争でイギリスは,金やダイヤモンドを豊富に産出するボーア人の二つの国,オレンジ自由国とトランスバール共和国を併合し,その後の南アフリカ連邦(現,南アフリカ共和国)の原形をつくったのであった。…

【ウィットウォーターズランド】より

…その結果労働者数は90年の1万4000人から99年には9万7000人に増大し,金産出額も1887年の8万1000ポンドから94年には695万9000ポンドに急増した。1899‐1902年のボーア戦争はJ.A.ホブソンが糾弾したように産金地帯の領有を目ざすイギリスの経済的帝国主義が原因であったが,戦後労働力不足を補うため一時期中国人契約労働者を導入した。第1次大戦後金鉱業関連産業として製造工業もこの地域に発展し,現在は南ア共和国最大の工業地帯となり,同時に,金鉱業はアングロ・アメリカン社をはじめとするイギリス系およびボーア系の金鉱会社が支配し,全世界の約23%の金を産出し世界第1位となっている。…

【ガーディアン】より

…しかし,有力地方紙の枠を超え,全国的権威を確立するのは,72年創業者の甥C.P.スコットが編集長(1872‐1929)になってからである。彼はグラッドストンのリベラリズムを熱烈に支持し,アーノルドWilliam T.Arnoldら,著名な学者,文人をライターに集め,1899‐1902年のボーア戦争では,最初から最後まで徹底して反対した。保守派からボイコットを組織され,群衆に社屋は襲撃され,部数も激減し,物的被害は甚大であったが,少数派になることを恐れないリベラル・ラディカル紙としての伝統を確立した。…

【自由帝国主義】より

…グラッドストンの引退後,ローズベリー伯(1894‐95首相),R.B.ホールデーン,E.グレー,H.H.アスキス(1908‐16首相)ら一部の自由党議員は,イギリス帝国の統合に強い関心を寄せるようになり,自由帝国主義者と呼ばれた。1899年のボーア戦争の勃発に際して,親ボーア的な党主流派に抗して戦争を肯定し,以後党内に一派閥を形成した。彼らの主張は,イギリス帝国の統合を帝国主義時代の最も重要な政治課題として認識し,その上に自由主義と自由党を再編成していくというもので,帝国官吏を養成するための国民教育,行政の合理化,国家による保健衛生の普及などを骨子とする〈国民効率〉の運動を推進した。…

【スコット】より

…1905年テーラーの死後は同紙を買いとり,名実ともに支配者となった。ボーア戦争(1899‐1902)に反対した少数のひとりで,購読者の激減,暴徒の脅迫に屈せず,最後まで批判を続けたことは著名。1895‐1905年,自由党下院議員となる。…

【トランスバール共和国】より

…これに目をつけたイギリス植民地相カーナーボンは77年同国を併合した。ボーア人は一致して反対し,ロンドンに代表を派遣して独立の回復をはかったが拒絶され,80年武装蜂起し(第1次ボーア戦争),81年2月マジュバの戦でイギリス軍を破り,独立を回復した。86年同国のウィットウォーターズランドで金の大富鉱が発見されると,イギリスは直ちに同国の併合を企てた。…

【南アフリカ】より

…アフリカーンス語はオランダ語の一つの方言であり,本国から隔絶した間に変化したものである。入植初期の苦闘と,イギリスとのボーア戦争に敗北した苦い経験から,アフリカーナーは一種のナショナリズムを抱くにいたった。それはさらに〈神の真の僕(しもべ)はキリスト教徒である白人のみで,他の人種は白人に仕えるために存在する〉という選民意識につながり,アパルトヘイトという人種隔離政策を打ち出した。…

※「ボーア戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ボーア戦争の関連キーワードカラッチサフィ独占資本主義バガモヨアラード要塞シナイア修道院БургасモンデッロОрск聖ジョセフ大聖堂

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

ボーア戦争の関連情報