ポアンカレ(Raymond Nicolas Landry Poincaré)(読み)ぽあんかれ(英語表記)Raymond Nicolas Landry Poincaré

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ポアンカレ(Raymond Nicolas Landry Poincaré)
ぽあんかれ
Raymond Nicolas Landry Poincaré
(1860―1934)

フランスの政治家。弁護士として早くから頭角を現し、1887年代議士に当選、自由主義的共和派たる「進歩派」(プログレシスト)に属した。たちまち弁論と財政家的力量をもって名声を得、周囲にバルトゥー、デルカッセらの気鋭の政治家を集めて新しい強力な保守グループを形成し、文相(1893)、財務相(1894)、下院副議長(1895)を歴任した。しかし、ドレフュス事件の過程で、左翼が政府に参加した時期には、政治の中枢から離れている。この間1903年に上院議員となった。1911年のアガディール事件(第二次モロッコ事件)に際しては、急進派カイヨー内閣の失敗の後を受けて翌1912年有力者を連ねた強力内閣を組織し、国内世論を背景に対ドイツ強硬政策を貫き、モロッコを保護国とすることに成功した。またこれによって生じたドイツとの対立に対処するため三国協商の強化に奔走した。1913年2月、クレマンソーの推す急進派の候補者を破って大統領に選出されたときは「対独復讐(ふくしゅう)大統領」として大衆喝采(かっさい)を博した。しかし第一次世界大戦が長期化し、兵士、国民の士気が低下して危機的段階に入った1917年11月、政敵クレマンソーをその鉄腕に期待して首相に起用し、強力な戦争指導を行わせて勝利を得た。

 戦後の任期満了後上院に復帰し、ブリアン内閣の対独(対英)和解政策に反対して、これの辞職後は自ら首相となり(1922)、賠償の「担保とり」政策としてドイツのルール地方を占領した。これは完全な失敗に終わって下野したが、1926年左翼連合政権の経済政策失敗の後を受けて挙国一致内閣を組織した。議会から全権委任を得て増税のうえ財政を均衡させ、1928年6月フランを5分の1に切り下げ(いわゆる「ポアンカレ・フラン」)、これによって輸出を増大させ、国債償還を容易にし、経済を安定させた。1929年7月病により辞任、1934年10月15日死去。

石原 司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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