精選版 日本国語大辞典 「ポンド」の意味・読み・例文・類語
ポンド
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翻訳|pound
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イギリスおよびキプロス共和国,レバノン共和国の通貨単位。ふつうポンドといえばイギリスの通貨のことをいい,正式にはポンド・スターリングpound sterlingという。補助通貨単位はペニーpenny(ペンスpenceはペニーの複数形)で,1ポンド=100ペンスである。1971年2月13日までは1ポンド=20シリングshilling=240ペンスであった。
ポンドの歴史は8世紀にまでさかのぼる。当時のアングロ・サクソン時代にはスターリングとかペニーと呼ばれていた銀貨が鋳造されていた。そして重量1ポンドの銀からその銀貨240枚が鋳造された。また多額の支払の際にはpound of sterlingsという計算単位が用いられた。ポンド・スターリングの呼称はこれに由来するという。ノルマン人もイギリスへの進入後,この銀貨を継承し,古代ローマの度量衡や貨幣の単位であるリブラlibra,ソリドゥスsolidus,デナリウスdenariusをそれぞれポンド,シリング,ペニーに対応させ,1ポンド=20シリング=240ペンスとした。ポンド,シリング,ペニーの略称である£(またはlb),s,dはそれぞれlibra,solidus,denariusからきている。その後1663年にチャールズ2世がギニーguineaと呼ばれる新しい金貨を鋳造し,公式にその価値を1ポンドとした。すでに13世紀半ばころからヨーロッパでは金貨と銀貨が流通していたが,金と銀の市場比価と貨幣1単位が含む金と銀の量目である法定比価との間に差が生まれると,金銀はそれぞれ有利な国に流れることになる。17世紀以降イギリスの法定比価は金に有利であったため,大量の金がイギリスに集中した。とくに1774年イギリスが銀貨を事実上本位貨幣としては認めない措置をとったことも手伝って,18世紀末すでに金の優位は決定的になった。イギリスが1816年金本位制を法制化(リバプール卿の鋳貨法ともいわれる)し21年これを実施したとき,それまで続いた金と銀との複本位制の歴史は終止符を打ったといってよい。このとき1663年以来使用されてきたギニー金貨に代わって,1817年新たに20シリングのソブリン金貨sovereignが登場した。このとき金1オンスの公定価格は3ポンド17シリング10ペンス半とされた。
ところでイングランド銀行は,ウィリアム3世の対フランス戦争の戦費調達機関として1694年創設されたが,同行創設以降,イギリスの貨幣的流通手段は(一部には補助硬貨と地方銀行券が存在したが)イングランド銀行券とギニー金貨である。1793年勃発したフランスとの戦争は好況の頂点にあったイギリス経済を襲い,金融パニックによりイングランド銀行に対する金の取付けが相次いだ。その後たび重なる国際収支の悪化が信頼の喪失につながり,ついに97年イングランド銀行は金支払の停止に踏み切った。この措置は,戦争による貿易の障害,1799-1800年の農業不作によって長びいたが,その間枢密院に設置された〈鋳貨事情の研究とその改善〉に関する委員会は,イングランド銀行の保有する金地金の量が著増したこと,1816年には金の打歩が1%以下にまで縮小したことを好材料に金兌換(だかん)の準備を始め,試行錯誤の末ついに金単本位制が成立したのである。
ポンドが19世紀に国際通貨として確固たる地位を築いたのは,ポンドが金本位通貨であっただけでなく,イギリス経済が〈世界の工場〉〈世界の銀行〉の役割を果たしたからである。イギリスは世界で最も早く産業革命をなしとげ,近代工業製品の輸出,食糧・原材料の輸入を通じて世界経済の成長の原動力となった。加えてロンドンに形成された国際商品市場と国際金融市場(シティ)は,証券投資のほか輸出入決済をポンドで行うことを至便にしたので,世界各国はいずれもポンド残高をもつ必要に迫られた。しかもポンドがいかなる通貨とも無制限に交換可能であり,金の裏付けによって価値が安定していたから,ポンドを基軸とする国際金本位制の形成は当然の帰結であった。イングランド銀行は,イギリスの国際収支が黒字となり金が流入するときには金利を引き下げて資本輸出を促進し,逆に赤字のときは金利引上げ政策によってポンド建貸付資本の還流を刺激した。世界はポンドを基軸にした金本位制のルールによって内外均衡を自動的に保証することができた。
しかし第1次大戦によるイギリス経済の消耗と巨額の海外資産の喪失は,ポンドの地位を急速に低下させた。これに代わってアメリカは貿易黒字とその結果として巨額の金の蓄積を実現し,ドルをポンドにまさる国際通貨とすることに成功した。とくに1923年,公開市場政策により大量に流入した金を不胎化して以降,金は非貨幣化され世界はドル本位制に向かって大きく転回したのである。しかるにイギリスは25年,かつてのポンドの威光を信じて金本位制への復帰を強行したが,イングランド銀行の金利政策は実質的にはアメリカ連邦準備局(FRB)のそれに従わざるをえず,加えてヨーロッパ大陸の信用恐慌の圧力が重くのしかかり,ついに31年金本位制を離脱した。離脱後のポンドは金本位制時代の平価を大きく下回り,その結果イギリスの国際収支は大不況下でも大幅に改善した。同時にイギリスはポンドの国際通貨としての地位を保持するために為替平衡勘定を設置し,自国通貨をポンドとリンクしているスターリング地域との結合を深めた。32年のオタワ協定はその具体化である。1930年代のポンドは,このように管理通貨となったものの,広大なスターリング地域を基盤に国際通貨性を維持することができた。
第2次大戦はイギリス経済に対し第1次大戦以上の打撃を与えた。巨額の戦費を調達するために,海外資産の処分と国内資本の食いつぶしのほかに対外負債の重荷が加わった。対外負債の相手はアメリカであり,当然のことながら大量の金・ドルがアメリカに移動しただけでなく,巨額のポンド債務を累積することになった。これがいわゆる〈ポンド残高問題〉であり,第2次大戦後のポンドに苦難の道を用意したのである。第1に,戦前は対アメリカ貿易で出超傾向を維持していたスターリング地域が逆に入超を続けることになったため,イギリス本国がみずからの金・ドル準備でこれを補塡(ほてん)せざるをえなくなった。第2に,ポンドの信認低下を象徴するかのように,1946年7月15日(それは〈イギリス・アメリカ金融協定〉の発効日であった)ポンドのドルへの大量逃避が発生し,ついに8月20日ポンドの交換性が停止され,ポンドの凋落を世界的に印象づけることになった(ポンド危機)。ポンドの将来に対するこうした悪材料は当然ポンド切下げ期待を強める。しかもイギリス(スターリング地域全体)のドル収支はいっこうに改善されず,イギリスの金・ドル準備が危機的水準に陥るに及んで,49年9月18日1ポンド=4.03ドルから2.80ドルへ30.5%に及ぶ平価切下げが実施された。アメリカの景気回復による所得効果もあるが,大幅切下げの価格効果によってイギリスの貿易収支は一時的に改善した。しかしそれでポンドの国際的信認が回復されたわけではない。52年にはイギリスは早くも戦後第3回目の国際収支危機に見舞われたからである。とはいえポンドの苦難の道も厳しいディスインフレーション政策によって曙光を見いだし,54年には管理ポンドから制限つきながら自由ポンド(非居住者保有ポンドによる金の購入)へ転化する可能性がでてきた。
スターリング地域を擁するイギリスにとって,ポンドが国際通貨として重用されることが何よりも望ましい。しかしそのことはスターリング地域全体の国際収支の変化が直接イギリス経済に影響を与えることに,イギリスが耐えられなければならない。その意味でポンド再建の鍵はスターリング地域といかなる結合関係を維持するかにかかっていた。58年ヨーロッパ経済共同体(EEC)がフランス,西ドイツなど6ヵ国で形成されたとき,イギリスはこれに加盟せず,みずからが中心となってヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を形成したのも,スターリング地域との補完的貿易関係を考慮したからである。しかしそれもポンドの基盤強化とはならず,同じ58年末,大陸西ヨーロッパ諸国とともに通貨の交換性回復に踏み切った後でも,いわゆるストップ・アンド・ゴー政策によってポンドの価値を維持するのがやっとであった。むしろ67年秋の第2回目の平価切下げ(1ポンド=2.80ドルから2.40ドルへ14.3%)に象徴されるようにポンドの国際通貨性は明りょうに衰退し,72年イギリスはついにヨーロッパ共同体(EC)に加盟することによって実質的に一欧州国家となった。そしてポンドも変動相場制に移行した。
執筆者:島野 卓爾
ヤード・ポンド法の質量の単位。常衡,トロイ衡,薬衡の別があり,現在は常用ポンドを基本単位とし,他の2衡のポンドは\(\frac{1}{7000}\)常用ポンドのグレーン(gr)から導かれる。常用ポンドの大きさは従来国によって異なっていたが,英語圏諸国の主要標準機関の協議により〈国際ポンドinternational pound〉が採用され,1959年7月以降,実効上これに統一されている。その大きさは国際キログラム原器に基づいて定義され,厳密に,0.453 59237kg,すなわち453.592 37gに等しい。通常,常用ポンドを単にポンドという。単位記号はlbまたはlb avであり,lbはラテン語の単位名libra(e)に由来し,avはavoirdupoisの略である。おもな分量単位,倍量単位は,グレーンのほか,1/16lbの(常用)オンスと,2000lb avの米トン,2240lbの英トンである。トロイ・ポンドと薬用ポンドはともに5760grに等しく,約373.24gであり,単位記号はそれぞれlb tr,lb apである(trはtroyの,apはapothecaries’の略である)。なお,ヤード・ポンド法による重力単位系の力の単位〈重量ポンドpound force〉を単にポンドということがある。その大きさは,重力加速度を9.8119m/s2として,約4.45N(ニュートン)に等しい。記号はlbf,lbwである。
執筆者:三宅 史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…ヤード・ポンド法の質量の単位。常衡,トロイ衡,薬衡の別があり,現在は常用ポンドを基本単位とし,他の2衡のポンドは1/7000常用ポンドのグレーン(gr)から導かれる。常用ポンドの大きさは従来国によって異なっていたが,英語圏諸国の主要標準機関の協議により〈国際ポンドinternational pound〉が採用され,1959年7月以降,実効上これに統一されている。その大きさは国際キログラム原器に基づいて定義され,厳密に,0.453 592 37kg,すなわち453.592 37gに等しい。…
…実際問題として,三つの機能のうちの一部分だけを果たす貨幣(部分貨幣)は歴史的にみてもまれな現象であり,そのような貨幣の重要性は取るに足らない。そのような部分貨幣の例としては,植民地時代のアメリカのポンドや,最近に至るまでのイギリスにおけるギニーを挙げることができる。前者の例では,決済手段としてはスペイン硬貨が利用され,ポンドはもっぱら計算単位としてのみ用いられた。…
※「ポンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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