マイセン磁器(読み)マイセンジキ

デジタル大辞泉 「マイセン磁器」の意味・読み・例文・類語

マイセン‐じき【マイセン磁器】

ドイツマイセン産の磁器欧州最初硬質磁器で、18世紀初頭以来、今日に至るまで名声を保つ。

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精選版 日本国語大辞典 「マイセン磁器」の意味・読み・例文・類語

マイセン‐じき【マイセン磁器】

  1. 〘 名詞 〙 ( マイセンは[ドイツ語] Meissen ) ドイツのマイセン窯で作られる磁器。一八世紀初めから製作されるようになった。ヨーロッパで最初に焼かれた硬質磁器で、その初期に数多くの秀作が生み出された。

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改訂新版 世界大百科事典 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器 (マイセンじき)

ドイツ,ドレスデンに近いマイセンの地で焼成される磁器。ヨーロッパでは,18世紀初めまで軟磁しか存在せず,中国から清代初期以降盛んに輸出された五彩磁器や日本の伊万里焼(有田焼)の模倣を行っていた。東洋の磁器の収集家で知られるザクセンのアウグスト2世はJ.F.ベットガーに命じて,1709年ヨーロッパで最初の硬質磁器焼成を成功させた。翌年王はマイセンのアルブレヒト城内に王立マイセン磁器製作所を創設,ベットガーのもとで朱泥手の炻器(せつき)の生産を始め,3年後にはカオリンを用いて白磁器を焼成した。ベットガーの死後,20年に絵師ヘロルト,31年ころ陶彫家ケンドラーを工房に迎え入れたことにより,マイセン磁器工房は最初の黄金時代を築いた。ヘロルトは白地を生かしてシノアズリーや伊万里風の〈柿右衛門手〉,後には西洋的な風景を多彩な色を用い細密画のような繊細な絵付を特徴とした。またケンドラーは熊,ヤギクジャクペリカンなどの1mに及ぶ白磁の大彫像を制作,さらに40年代からはイタリア喜劇役者を主題とした一連の小彫像を制作して磁器の造形性を発展させた。このようなマイセン磁器の絵皿やテーブル・ウェア,置物はロココ時代の典雅な趣味に受け入れられて花開き,ヨーロッパ各地に輸出された。マイセン窯は七年戦争(1756-63)やアウグスト2世の死去などにより一時衰退する。64年ドレスデン美術アカデミーの校長ウィルヘルム・ディートリヒを迎えたが,このアカデミー期(1764-74)の様式は概して前代の踏襲にすぎなかった。その後マイセンはカミロ・フォン・マルコリーニ伯を総監督に任命して工場の再建を図った。このマルコリーニ期(1774-1815)にはグルーズ風の感傷的な人物や風景,あるいはセーブル窯の影響を受けた新古典主義的な作品が製作された。1864年工場をアルブレヒト城からトリービッシュタールに移し,以後最盛期の様式を踏襲しながら今日に至るまでヨーロッパ第一の磁器窯として高級磁器を製作している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器
まいせんじき
Meißener Porzellan

ドイツのマイセンで焼成されたヨーロッパで最初の硬質磁器。1709年ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世(強健王)のもとでベットガーJohann Friedrich Böttger(1682―1719)が硬質(真性)磁器の焼成に成功し、翌年マイセンのアルブレヒトブルク城内に王立磁器製作所が開設された。マイセンでは開窯当初は主として朱泥手の炻器(せっき)を焼成していたが、1713年以降は中国の白磁、染付(そめつけ)、日本の柿右衛門(かきえもん)写しの色絵磁器を模倣した磁器が製作された。この初期にマイセンで活躍したもっとも著名な作家は絵付師でシノワズリーの名手ヘロルトJohann Gregor Herolt(1696―1775)と磁器彫像のケンドラーの2人で、彼らによってマイセンは最初の黄金時代を迎えた。

 しかし、その秘法もやがてウィーン、ミュンヘン、ベルリンへ流出し、ヨーロッパは18世紀中ごろより陶器から磁器の時代に移行した。マイセンは東洋磁器の熱烈なコレクターであった強健王の死去とともにしだいに衰退の兆しを示し、加えてヨーロッパの宮廷趣味は当時フランスのロココ様式の洗礼を受け、マイセンでもその模倣に追従した。しかし、18世紀末から19世紀初めにかけてマルコリーニ伯が工場を受け継いでから活気を取り戻し、ヨーロッパ第一を誇る名窯としての今日的繁栄に導いた。

 マイセン磁器製作所では開窯当初の1720年代ごろまでは中国・日本の磁器を模した作品が焼成されたが、以後はしだいにヨーロッパ的な器形や装飾のものが主流となり、2200点に及ぶケンドラーの「白鳥のディナー・セット」はマイセンの名器のなかでももっとも著名な作品である。ちなみに、英語のザクセン・チャイナ、ドレスデン・チャイナはこのマイセン磁器をいう。

[前田正明]

『オクタゴン編『陶芸の美2 マイセン(東ドイツ)』(1984・京都書院)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器
マイセンじき
Meissen porcelain

ドイツのマイセンで作られる最高級の磁器。ザクセン選帝侯アウグスト2世 (→フリードリヒ・アウグスト1世 ) の至上命令で,1708年に E.フォン・チルンハウスと,J.ベットガーによってヨーロッパで最初の赤褐色の 炻器 (→ストーンウェア ) が作られ,のち良質の磁土の発見と製法の改良により同年白磁の製造にも成功したのを始りとする。最初ドレスデンのアウグスト王の宮廷工房で作られていたが,技術の秘密保護と量産を目的とし,10年にマイセンに工場を設立した。主として日本の伊万里焼柿右衛門様式を写したものや中国風の食器,花器,装飾品を製造した。 18世紀中頃にはインド風の散花模様や,ドイツ風の写実的な花模様,ワトーやブーシェの絵画をモチーフにした雅宴図 (→フェート・ガラント ) などの絵付けが主体となった。 70年代には新古典主義調が導入されたが,その後フランスのセーブル磁器やイギリスのウェッジウッド窯などに押され停滞した。なおマイセン磁器の技法や様式は,またたく間にヨーロッパ全体に広まり,ヨーロッパ磁器の展開に決定的影響を与えた。第2次世界大戦後は東ドイツ国営工場となり,ドイツ統一後はザクセン州立となった。

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百科事典マイペディア 「マイセン磁器」の意味・わかりやすい解説

マイセン磁器【マイセンじき】

ドイツのマイセンMeissenで作られる磁器。ベットガーが1709年に磁土をドレスデン付近で発見し,磁器焼造に成功。翌年ドレスデンにザクセン王立工場が建設されたのに始まり,同年マイセンに移った。画家ヘロルトの東洋趣味の意匠,陶彫家ケンドラーのロココ風の作品等により美術的にもすぐれたものが作られ,1764年以降にはギリシア趣味の皿や人形も作られた。今日においてもヨーロッパ第一の磁器窯として高級磁器を制作している。
→関連項目セーブル磁器チェルシー磁器

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