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モダン・ダンス モダン・ダンス modern dance

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

モダン・ダンス
モダン・ダンス
modern dance

ヨーロッパにおける正統的な舞踊であったバレエを否定して,20世紀初頭に生れた新しい舞踊の形態。初めドイツで盛んになったためノイエ・タンツなどとも呼ばれたが,のちに世界的に普及するのに伴いモダン・ダンスと総称されるようになった。

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知恵蔵2015の解説

モダン・ダンス

20世紀初頭にアメリカやドイツなどで生まれた新しいジャンルダンス。形を重んじるバレエを否定し、トゥ・シューズを履かず、形式にとらわれず、自由に踊ることをモットーとしたが、やがて独自の理論と訓練法を持つようになり、体系化していった。ロイ・フラー、イサドラ・ダンカンを先駆者として、ドリス・ハンフリーマーサグレアムらが続いた。ドイツではノイエ・タンツ(Neuetanz=新舞踊)と呼ばれ、マリー・ビグマン、クルトヨースらを輩出した。舞台芸術としては1960年代から衰退し、80年代にはほぼ終息するが、学校教育や学生舞踊などにはまだ残っている。ちなみに日本では戦前、バレエよりもモダン・ダンスのほうが広く普及した。その草分けは石井漠(いしい・ばく)である。

(鈴木晶 舞踊評論家 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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百科事典マイペディアの解説

モダン・ダンス

伝統的な古典バレエの技法(クラシック・ダンス)にとらわれない新しい舞踊。ダンカンらによる自由なダンスを目ざす運動から米国で発展し,M.グレアムがその代表的存在。
→関連項目江口隆哉クロイツベルク崔承喜ジャック・ダルクローズデニショーンニューヨーク・シティ・バレエ団舞踊

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

モダン・ダンス
もだんだんす
modern dance

1920年代に古典バレエに抗して生まれた芸術舞踊。ドイツにまず発生し、ついでアメリカ、日本で盛んになった。20世紀初めアメリカ出身のI・ダンカンが、当時唯一の芸術舞踊であったバレエに反発し、トーシューズを履かずはだしで、自由な動きができるゆったりした衣装で、体系化されたバレエのステップを使わずに踊った。その影響を受けた新しい傾向の舞踊はドイツでノイエ・タンツNeue-Tanz(新しい舞踊)といわれた。その後、アメリカのモダン・ダンス、ドイツのモデルヌ・タンツ、日本のモダン・ダンス、新舞踊、創作舞踊などが生まれた。
 なお、モダン・ダンスということばは、ポスト・モダン・ダンスなども含めた現代の前衛舞踊全体をさす広義の場合と、1920年代から60年代までの、今日からみればスタイルの完成された、ある特定の舞踊をさす狭義の場合とがあり、人によって異なる使い方がされている。[市川 雅・國吉和子]

ドイツ

1920年代のドイツのノイエ・タンツを代表するのは、R・V・ラバンとM・ウィグマンであった。彼らは人間の内面を表現する舞踊を指向したが、ラバンは群舞に非凡な力を発揮し、ウィグマンは『魔女の踊り』『墓標』など、第一次世界大戦後のドイツ人の死や絶望に傾く感情を舞踊によって表現した。キャバレーを中心に活躍したV・ゲルトは大胆な構成でウィグマン以上といわれ、G・パルッカは天才的なダンサーといわれた。G・ワイトはコミュニスト・ダンサーとして社会批判的な作品を上演し、K・ヨースもまた代表作『緑のテーブル』にみられるように戦争を批判する作品をつくっている。そのほか第二次世界大戦後バレエに転向したY・ゲオルゲ、来日したことのあるH・クロイツベルクなど多くの優れたダンサーがいた。この時代のドイツ新舞踊を総称して、表現主義舞踊Ausdruckstanzともいう。
 1930年代の終わりに彼らの舞踊は、ヒトラーによって退廃芸術といわれ、公演活動が困難になり急速に衰退した。第二次世界大戦後、ドイツ・モデルヌ・タンツは絶滅したかにみえたが、ヨースが49年エッセンのフォルクワング芸術学校に復帰し、その教え子のなかから70年代になってP・バウシュ、R・ホフマン、S・リンケなど、タンツ・テアターとよばれる新しい傾向の舞踊が出現してきた。
 バウシュ以降、1990年代からはW・ゴロンカ、U・ディートリヒ、D・ゴールディン、H・ホルンなど、フォルクワング出身者のほか、S・ワルツ、S・トス、I・フェンフハウゼン、S・ゲラバートらが活躍した。都市の市立劇場に所属しながら新しい作品を発表する作家のほかに、フリーの小グループが林立している。作風はさまざまで、一括することはできないが、いずれも振付けを重視し、日常的なささいな動きも含めて、動きが生まれる根拠を探求する傾向が特徴的である。[市川 雅・國吉和子]

アメリカ

R・セント・デニスとT・ショーンのエキゾチシズムを強調した舞踊団から、M・グレアム、D・ハンフリーが1920年代の終わりごろ独立し、自身のダンス・コンサートを開いた。グレアムは現代の人々の苦悩や恐怖を舞踊によって表現しようとし、ギリシア悲劇を題材とした『クリタイムネストラ』やオイディプス王に取材した『夜の旅』などを上演、クリタイムネストラの嫉妬(しっと)やオイディプスの母親の苦悩などに焦点をあわせ、グレアム・メソッドによる身体表現を使ってみごとに感情の表出に成功した。グレアム・メソッドは、絶望と歓喜に対応する「コントラクション&リリース」(緊張と解放)という技法や、逡巡(しゅんじゅん)を示す螺旋(らせん)状の動きなどによってできている。
 グレアム以後、表現主義的、心理主義的なモダン・ダンスに反対するM・カニンガム、A・ニコライなどが抽象的な作品を発表し、アメリカのモダン・ダンスのもう一つの流れをつくった。とくにカニンガムはポスト・モダン・ダンスの興隆に大きな影響を与え、L・チャイルズ、Y・レイナー、S・フォルティ、T・ブラウンなどのミニマルな空間を志向するダンサーを生んだ。ポスト・モダン・ダンスの特徴は、劇的なドラマツルギーをもたないこと、時間的にも空間的にも平板であることだが、T・サープ、L・ディーン、K・アーミタージュなどはこうした性質にスピードとタイミングのよさを付け加えている。そのほか重要な振付家として、軽妙な作風のP・テーラー、黒人舞踊を芸術に高めたA・エイリーの名前も落とすことができない。
 1970年代末から80年代にかけて、ポスト・モダン・ダンスが一応の成果をあげたころ、アメリカ、とくにニューヨークの舞踊状況が財政的に厳しい時代を迎えたことも原因して、ダンスの中心はヨーロッパに移った。1975年にカールソンCarolyn Carlson(1943― )がパリ・オペラ座と契約し、現代舞踊研究グループを創設したことは、その後のフランスのヌーベル・ダンス興隆のきっかけといえるだろう。90年代はカニンガムやブラウンのヨーロッパでの公演活動が続き、パクストンSteve Paxton(1939― )が1970年代に考案したコンタクト・インプロビゼーション・テクニックもまた、ヨーロッパの新しいダンスに大きな影響を与えた。この技術は、重力や弾みなど身体の動きを通して、ダンサーが互いに接触しあいながら身体的交感を深めていくことを目的としたものである。[市川 雅・國吉和子]

日本

モダン・ダンスということばは第二次世界大戦後、アメリカ文化センターを介して来日したアメリカのモダン・ダンサーからもたらされた。しかし、アメリカやヨーロッパのモダン・ダンスと同じような主張に基づいた新しい舞踊が、大正時代から日本でも石井漠(ばく)、高田雅夫(まさお)、高田せい子らによって上演され、創作舞踊といわれた。日本舞踊の分野では、藤蔭(ふじかげ)静枝、五條珠実(ごじょうたまみ)などによる新舞踊の運動が大正から昭和初期にかけておこったが、これも広義には歌舞伎(かぶき)舞踊を基本にしたモダン・ダンス(近代舞踊)といえよう。また、昭和の初期には江口隆哉(たかや)、宮操子(みさこ)、邦正美(くにまさみ)、執行正俊(しぎょうまさとし)、津田信敏(のぶとし)らがドイツに留学し、帰国後それぞれ独自な作品を発表して後進を育てた。とくにベルリンで一時ウィグマンに師事した江口、宮が移入したドイツの表現的舞踊は、その後の日本のモダン・ダンスに大きな影響を与えた。
 第二次世界大戦後、自由主義的な空気のなかでモダン・ダンスの活動は活発になされた。1948年(昭和23)に日本芸術舞踊家協会がモダン・ダンサーを中心に組織され、56年に全日本芸術舞踊協会となり、現在の現代舞踊協会(1971結成)の前身となった。その後は藤井公(こう)、折田克子(かつこ)、庄司裕(しょうじひろし)、正田千鶴、西田尭(たかし)など表現的な傾向の強いモダン・ダンスと、アメリカのポスト・モダン・ダンスの影響を受けている厚木凡人(あつぎぼんじん)、石井かほる、加藤みや子、菊地純子、江原朋子(ともこ)らが活躍している。97年(平成9)に新国立劇場が開場して以来、一般の観客の目に触れる機会が多くなり、新たな展開が待たれている。[市川 雅・國吉和子]
『市川雅著『アメリカン・ダンス・ナウ』(1975・パルコ出版) ▽ジョン・マーチン著、小倉重夫訳『舞踊入門』(1980・大修館書店) ▽西宮安一郎編『モダンダンス 江口隆哉と芸術年代史』(1989・東京新聞出版局) ▽市川雅著『ダンスの20世紀』(1995・新書館) ▽海野弘著『モダンダンスの歴史』(1999・新書館) ▽外山紀久子著『帰宅しない放蕩娘――アメリカ舞踊におけるモダニズム・ポストモダニズム』(1999・勁草書房) ▽片岡康子編著『20世紀舞踊の作家と作品世界』(1999・遊戯社) ▽ダンスマガジン編『ダンス・ハンドブック』改訂新版(1999・新書館) ▽シンシア・J・ノヴァック著、菊池淳子他訳『コンタクト・インプロヴィゼーション――交感する身体』(2000・フィルムアート社) ▽市川雅著、國吉和子編『見ることの距離――ダンスの軌跡1962~1996』(2000・新書館) ▽邦正美著『舞踊の文化史』(岩波新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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