三・一独立運動(読み)さんいちどくりつうんどう

精選版 日本国語大辞典の解説

さんいち‐どくりつうんどう【三・一独立運動】

日本統治下の朝鮮で、大正八年(一九一九)三月一日から始められた朝鮮民族の独立運動。京城(現在のソウル)で独立宣言を発表、民衆は「独立万歳」を叫んで大示威運動を起こし、たちまち全国に波及したが、日本側は軍隊や警察を出動させてこれを鎮圧した。万歳事件。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三・一独立運動
さんいちどくりつうんどう

1919年3月1日を期して朝鮮全土に巻き起こり、以後1年以上にわたって、国内外で断続的に展開された日本の支配に対する民族独立闘争。全国218郡のうち212郡で直接蜂起(ほうき)があった。

[宮田節子]

背景

1910年の韓国併合によって日本の植民地になって以来、朝鮮は過酷な憲兵警察の支配下に置かれ、言論、集会、結社の自由は完全に奪われ、同化教育が行われ、民族解放闘争は直接武力で弾圧され、指導者は逮捕、投獄された。しかしこのような武断支配は、かえって抵抗の力量を潜在化させ拡散させた。各所に秘密結社が組織され、書堂や夜学などが増大し、愛国教育が行われ、抵抗の拠点へと成長していった。経済的にも土地調査事業などで大多数の農民は小作農に転落し、さらには火田民、賃金労働者となり、あるいは故国を追われて中国や日本に流亡せざるをえないほど矛盾は極点に達していた。一方国際的にも、1917年のロシア革命の成功、1918年のアメリカ大統領ウィルソンの民族自決宣言の発表などが大きな感銘を与えた。このような背景の下に、国内外で独立運動の機運が盛り上がっていた。

[宮田節子]

運動の展開

国内では天道教、キリスト教、仏教徒が中心となり運動を企画、33名が民族代表として独立宣言文に署名し、運動の口火を切った。非暴力、平和的な運動を行おうとした指導者に対して、ソウル市内のパコダ公園に集まった学生、市民たちは自然発生的に示威行進を始め、デモ隊はみるまに数十万に膨れ上がり、ソウル中は「独立万歳」を叫ぶ人の波で埋まった(そのため万歳事件とよばれたこともあった)。もはや警察の手には負えなくなり、軍隊が出動して群集を解散させた。3月1日にはソウルのほかにも平壌など6か所でデモ行進が行われ、運動の展開がいかに組織的であったかを示している。運動は都市から農村に広がっていった。在地の中農、書堂の教師、故郷に帰った学生たちが次から次へと指導者となり、運動を組織していった。地方での運動は市日(いちび)など村民が集まる日に起こされ、3月中旬には全道に波及、暴動に転化していった。民衆は鎌(かま)、鍬(くわ)、棍棒(こんぼう)などをもって、面(めん)(行政単位で、日本の村にあたる)事務所、憲兵派出所、駐在所など権力機構を襲撃し、ときには国有小作人名寄帳などを焼却している。これらは運動の主たる担い手であった農民の怒りがどこにあったかを示している。このような素手の民衆に対し、日本は正規の軍隊を出動させて弾圧した。村民を教会堂に集めて閉じ込め、一斉射撃を加え、さらに教会堂に放火した「提岩里の虐殺」はその一例である。朝鮮人の被害は、一説では死者7645人、被傷者4万5562人、被囚者4万9811人、焼却家屋724戸といわれている。国外でも、上海(シャンハイ)では独立運動者が集まって4月11日には大韓臨時政府を樹立し、間島(かんとう)、沿海州などでも断続的に武装闘争が展開された。

 三・一独立運動は朝鮮近代史の分水嶺(ぶんすいれい)であり、その後の解放闘争に決定的な影響を与え、日本の支配政策の転換を余儀なくさせたばかりでなく、中国の五・四運動をはじめとするアジアの解放闘争の高揚にも大きな役割を果たした。

[宮田節子]

『山辺健太郎著『日本統治下の朝鮮』(岩波新書)』『朴慶植著『朝鮮三・一独立運動』(1976・平凡社)』

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