中新町(読み)なかしんまち

日本歴史地名大系 「中新町」の解説

中新町
なかしんまち

[現在地名]高知市桜井さくらい町一―二丁目・宝永ほうえい

南新みなみしん町の北側、東西に並行する両側町蓮池町はすいけまち筋ともよばれた。西は横堀を挟んで蓮池町で、横堀には桜井橋が架けられていた。東は下知しもじ村。町の西端を流れる井溝のそばに桜井とよばれる井戸があった。寛政一二年(一八〇〇)しも町地区の水質が悪いのを改善しようと、町奉行馬詰親音が近江より職人を招いて揉抜井戸を掘らせたもので、清水が湧き出た。井戸端桜木を植えて桜井と名付けた。現在井戸跡は路面下になっているが記念碑が建つ。この井戸の後、紺屋こんや町・種崎たねざき町などにも掘り、成功している(高知市沿革略志)

中新町
なかじんちよう

[現在地名]津市西丸之内にしまるのうち南丸之内みなみまるのうち丸之内養正まるのうちようせい

西堀端にしほりばたの西側に並行した町筋で、二〇〇石より六〇〇石ほどの中士が居住する武家屋敷町。藤堂高虎の津城修築は慶長一八年(一六一三)一応完成したが、武家屋敷町の整備は、北側や南側に比べ西側が遅れたらしい。西堀端の西側がもと田畑や低湿地であったための遅延と思われる。中新町筋は寛永(一六二四―四四)頃は単にしん町とよばれ、北方の塔世とうせ川土手への通路はなく、稲葉九郎兵衛宅で突当たり、玉置たまき町へ曲がった。延宝年間(一六七三―八一)さらに西に並行して町筋ができ、北新きたじん町・南新みなみじん町と称したので、この町筋は中新町と改称した。

中新町
なかじんちよう

[現在地名]高松市中新町・中央町ちゆうおうちよう天神前てんじんまえ

城下町南端部にある町人町。北と東は町、西は天神前武家屋敷、南は旅籠はたご町。田町に並行して南北方向に通る二本の通路に沿った町区であるが、町の南西部は行止りの小路が走り、ふくろ町といった(天保一五年城下図)。生駒氏時代は城下外の地で香川郡なかノ村に属し、松平頼重入部後、正徳年間(一七一一―一六)頃までに町屋が形成された。町名は天明年間(一七八一―八九)の城下図にみえるが、享保年間(一七一六―三六)の城下図にすでに「新町」とあり、町名の由来も中ノ村に新しく成立した町という意とみられる。

中新町
なかしんまち

[現在地名]池田市しん

南新町の北にあり、猪名いな川沿いの新町筋(北方で能勢街道と合流)に沿って開けた町。安政四年(一八五七)写の延享三年(一七四六)池田村絵図(池田市教育委員会蔵)には元新町とある。元禄一〇年(一六九七)池田村絵図(伊居太神社蔵)には酒屋二・米屋七・茶屋二・茶売三・餅屋二・饅頭屋一・飴屋一・味噌屋一・柏屋一・古手屋六・古手売一・小間物屋一・木綿屋一・足袋屋二・布屋二・荒物屋一・炭屋一・炭売一・炭商二・油屋二・柴売一・煙草一・煙草切二・香具屋一・ながや一・籠屋一・木引一・瓦屋二・屋根屋一・壁塗一・杭屋一・割木屋三・樽屋一・指物屋一・鍛冶屋二・蓑屋一・髪結二・紺屋二・いかき屋一・日用二三・糸引一一・薬師一・陰陽師一・不明一・職業無記載一一がみられ、有職戸一〇三で、日常品の小売をはじめ諸職人が居住して繁盛した町であった。

中新町
なかじんまち

[現在地名]四日市市中部ちゆうぶ元新もとしん

上新かみじん町の東にあり、北は七幡しちまん(南瀬古)、東は下新しもじん町。旧版「四日市市史」によれば、寛文年間(一六六一―七三)には下新町と称したが、元禄年間(一六八八―一七〇四)以降中新町となったという。明和五年(一七六八)の四日市町絵図(四日市市立図書館井島文庫蔵)では東西一二〇間とみえ、北側には常徳じようとく(浄土真宗本願寺派)がある。

中新町
なかしんまち

[現在地名]岐阜市中新町

上新町の西に位置する東西に延びる両側町。西は大工だいく町に続き、町西端を北に折れると蜂屋横はちやよこ町、南に折れると布屋ぬのや町。岐阜町四四町の一で、織田信長による岐阜町建設のとき成立した新町のうち。承応町絵図に町名がみえる。岐阜由緒書(小林文書)では地子免許地反別七反一畝余。「増補岐阜志略」によれば町の長さ六四間余、家数一六。町代は堀田与平治が勤めた。寛保三年(一七四三)の大火により全焼した(岐阜志略)。文政一三年(一八三〇)の岐阜持丸相撲鑑写(遠藤文書)に酒・米を扱った堀田茂左衛門、酒・紙を扱った前田七右衛門、酒を扱った津島屋与平治、柿を扱った神戸与左衛門など商人の名がみえる。

中新町
なかしんまち

[現在地名]小矢部市新富町しんとみまち

上新町の東に続く北陸街道沿いの両側町。本町に属する。北陸街道に沿って延びてきた町並はここまでが本町で、以東は散町となる。北裏は畠中はたけなか村に接し、南裏は下新田しもしんでん町および小矢部村に接する(元禄一五年今石動町図)。寛保二年(一七四二)には宅地二千三三七歩余で、地子米一二石二斗九升余(一歩につき五合二勺余)。組合頭は高島屋太右衛門・野寺屋伝兵衛(今石動由来)

中新町
なかしんまち

[現在地名]倉吉市新町しんまち二丁目

江戸期の町人町。西の上新町から東に延びる通りの両側町で、南はたま川を挟んで西仲にしなか町、東は下新町に続く。北を東流する鉢屋はちや川が限る。当時は職人町として知られ、現在も桶屋畳屋などが残る。寛延(一七四八―五一)頃の倉吉絵図(県立博物館蔵)に町名がみえ、竈数一一四、間数一五一間余。

中新町
なかしんまち

[現在地名]檜山郡江差町字新栄町しんえいちよう

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。詰木石づみきいし町の東、川原新かわらしん町の北に位置する。文化四年(一八〇七)の江差図(京都大学文学部蔵)では詰木石町の東、川原新町の北に中新町がみえる。「蝦夷日誌」(二編)に詰木石町の上町で横筋町とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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