中村雀右衛門(読み)ナカムラジャクエモン

デジタル大辞泉 「中村雀右衛門」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐じゃくえもん〔‐ジヤクヱモン〕【中村雀右衛門】

[1920~2012]歌舞伎俳優。4世。屋号、京屋。東京の生まれ。本名、青木清治きよはる女形として活躍し、古典の復活にも尽力した。平成16年(2004)文化勲章受章。人間国宝

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村雀右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村雀右衛門
なかむらじゃくえもん

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号は代々京屋(きょうや)。

初世

(1806―1871)幕末の上方(かみがた)で活躍した敵(かたき)役・親仁(おやじ)方の名優。芸達者で、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の大判事、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』の本蔵などが当り役

服部幸雄

2世

(1841―1895)大阪の人。初世の門弟2世中村芝雀(しばじゃく)が1875年(明治8)に2世を継いだ。立役(たちやく)、敵役、女方(おんながた)を兼ね、上方歌舞伎界の重鎮と仰がれた。

[服部幸雄]

3世

(1875―1927)大阪生まれ。嵐璃笑(あらしりしょう)の子で、2世の養子。4世芝雀となったのち1917年(大正6)に3世を襲名。美貌(びぼう)で、近代の典型的女方と称されて人気があった。時代物の「赤姫」や娘役を得意にした。大阪中座に出演中急死。

[服部幸雄]

4世

(1920―2012)本名青木清治(きよはる)。6世大谷友右衛門(ともえもん)の長男。初名大谷広太郎。1948年(昭和23)に7世大谷友右衛門を襲名したのち、1964年9月、4世を襲名した。近代感覚の女方として活躍した。1991年(平成3)重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、1992年芸術院会員、2001年文化功労者となる。2004年文化勲章受章。長男が8世大谷友右衛門(1949― )、次男が7世中村芝雀(1955― )である。

[服部幸雄]

『岩田アキラ写真『すずめ百まで・雀右衛門写真集』(1987・京都書院)』『4世中村雀右衛門著『女形無限』(1998・白水社)』『渡辺保著『名女形・雀右衛門』(2006・新潮社)』

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中村雀右衛門」の解説

中村 雀右衛門(3代目)
ナカムラ ジャクエモン


職業
歌舞伎俳優

本名
中島 笑太郎

別名
初名=嵐 笑太郎,前名=中村 笑太郎,中村 芝雀(4代目)(ナカムラ シバジャク),俳名=梅都

屋号
京屋

生年月日
明治8年 1月2日

出生地
大阪新町(大阪府 大阪市)

経歴
嵐璃笑の子。明治12年嵐笑太郎の名で初舞台。11歳で父と死別、子供芝居で修業。17歳で2代目中村雀右衛門の養子となり、中村笑太郎を経て、24年4代目芝雀を襲名、27年名題に昇進。大正6年には3代目雀右衛門を継ぎ、艶麗な容姿で人気を博したが、襲名10年後、大阪で出演中に急死した。当たり役に「野崎村」のお光、「合邦」の玉手御前、「酒屋」のお園、「帯屋」のお半など。

没年月日
昭和2年 11月15日 (1927年)

家族
実父=嵐 璃笑,養父=中村 雀右衛門(2代目)


中村 雀右衛門(2代目)
ナカムラ ジャクエモン


職業
歌舞伎俳優

本名
中島 保平

別名
初名=中村 芝之助,前名=中村 芝雀(2代目)(ナカムラ シバジャク),俳名=梅都,芝斗

屋号
京屋

生年月日
天保12年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
初代中村雀右衛門に入門し、芝之助を名乗り初舞台。慶応2年芝雀と改名。明治8年2代目雀右衛門を襲名。立役、敵役、女形を兼ね、上方歌舞伎界の中心として活躍した。当り役に「忠臣蔵」の石堂、「伊賀水月」の荒木又右衛門などがある。

没年月日
明治28年 7月20日 (1895年)

家族
養子=中村 雀右衛門(3代目)

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改訂新版 世界大百科事典 「中村雀右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村雀右衛門 (なかむらじゃくえもん)

歌舞伎俳優。4世まである。(1)初世(1806-71・文化3-明治4) 大坂の生れ。4世中村歌右衛門の弟子中村儀左衛門が,1851年(嘉永4)11月中の芝居で雀右衛門を名のる。敵役を中心に,66年(慶応2)には実悪の大上上吉まで進んだ。実悪と親仁方を得意とし,《妹背山》の大判事,《矢口渡》の頓兵衛などが当り役。(2)2世(1841-95・天保12-明治28) 本名中島保兵衛。初世の弟子で,芝之助,芝雀を経て1875年3月雀右衛門を襲名。立役,敵役,女方を兼ねた。(3)3世(1875-1927・明治8-昭和2) 本名中島笑太郎。嵐璃笑の子で,2世の養子。中村笑太郎,芝雀を経て,女方専門で人気を得,1917年雀右衛門を襲名した。(4)4世(1920-2012・大正9-平成24)本名青木清治。6世大谷友右衛門の子。大谷広太郎,7世大谷友右衛門から64年雀右衛門を襲名。女方で,所作事をよくし,《妹背山》のお三輪など時代物に秀でている。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「中村雀右衛門」の解説

中村 雀右衛門(3代目)
ナカムラ ジャクエモン

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治8年1月2日(1875年)

没年
昭和2(1927)年11月15日

出生地
大阪新町(大阪府大阪市)

本名
中島 笑太郎

別名
初名=嵐 笑太郎,前名=中村 笑太郎,中村 芝雀(4代目)(ナカムラ シバジャク),俳名=梅都

屋号
京屋

経歴
嵐璃笑の子。明治12年嵐笑太郎の名で初舞台。11歳で父と死別、子供芝居で修業。17歳で2代目中村雀右衛門の養子となり、中村笑太郎を経て、24年4代目芝雀を襲名、27年名題に昇進。大正6年には3代目雀右衛門を継ぎ、艶麗な容姿で人気を博したが、襲名10年後、大阪で出演中に急死した。当たり役に「野崎村」のお光、「合邦」の玉手御前、「酒屋」のお園、「帯屋」のお半など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村雀右衛門」の解説

中村雀右衛門(4代) なかむら-じゃくえもん

1920-2012 昭和-平成時代の歌舞伎役者
大正9年8月20日生まれ。6代大谷友右衛門の養子。昭和2年初舞台。戦後女方に転向し,23年7代大谷友右衛門を襲名。「佐々木小次郎」などの映画にも出演。一時関西で活躍したのち,39年歌舞伎座で4代中村雀右衛門を襲名。当たり役に「本朝廿四孝八重垣姫,「鎌倉三代記」時姫,「助六」揚巻のほか,「京鹿子娘道成寺」などの道成寺物。平成3年人間国宝。4年芸術院会員。13年文化功労者。同年日本俳優協会会長に就任。16年文化勲章。平成24年2月23日死去。91歳。東京出身。暁星中学卒。本名は青木清治。初名は大谷広太郎。俳名は梅斗。屋号は京屋。

中村雀右衛門(3代) なかむら-じゃくえもん

1875-1927 明治-昭和時代前期の歌舞伎役者。
明治8年1月20日生まれ。12年大阪戎(えびす)座で初舞台。2代中村雀右衛門にみいだされて養子となる。24年4代中村芝雀をつぎ,以後女方を専門として名声をえた。大正6年3代雀右衛門を襲名。当たり役に「本蔵下屋敷」の三千歳姫。昭和2年11月14日死去。53歳。大阪出身。本名は中島笑太郎。初名は嵐笑太郎。俳名は梅都,芝斗。屋号は京屋。

中村雀右衛門(2代) なかむら-じゃくえもん

1841-1895 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)12年生まれ。初代中村雀右衛門の門弟。はじめ宮地芝居で修業。慶応2年2代中村芝雀を名のり,明治8年2代雀右衛門を襲名。立役(たちやく),敵役(かたきやく),女方をかね,東西の舞台で活躍した。明治28年7月20日死去。55歳。大坂出身。本名は中島保兵衛(保平)。初名は中村芝之助。俳名は梅都,芝斗。屋号は京屋。

中村雀右衛門(初代) なかむら-じゃくえもん

1806-1871 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
文化3年生まれ。4代中村歌右衛門の弟子。芝蔵,儀左衛門を名のり敵役(かたきやく)をよくし,大坂,江戸,名古屋で活躍する。嘉永(かえい)4年雀右衛門と改名。演技力にすぐれ「実悪(じつあく)の開山(かいさん)」と称された。明治4年8月18日死去。66歳。大坂出身。初名は中村源次。俳名は芝斗。屋号は江戸屋。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中村雀右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村雀右衛門(4世)
なかむらじゃくえもん[よんせい]

[生]1920.8.20. 東京
[没]2012.2.23. 東京
歌舞伎俳優。屋号は京屋。本名青木清治。6世大谷友右衛門の長男として生まれ,6歳で大谷広太郎を名のり子役で活躍。1940年から 6年間兵役に服して復員。1948年に 7世友右衛門を襲名。岳父の松本幸四郎(7世)から勧められ,20歳代後半に立役から女方に一転。1964年 4世雀右衛門を襲名。現代屈指の立女方として,時代物,世話物,新作,舞踊とあらゆる分野で艶麗な舞台を見せた。1980年から舞踊発表会「雀右衛門の会」を行ない,古典の復活に努力した。1997年にはフランスのパリ公演も成功させた。1980年日本芸術院賞受賞,1991年重要無形文化財保持者,1992年日本芸術院会員。2001年文化功労者に選ばれ,2004年文化勲章を受章した。

中村雀右衛門(3世)
なかむらじゃくえもん[さんせい]

[生]1875.1.2.
[没]1927.11.15.
歌舞伎俳優。屋号は京屋。本名中島笑太郎。嵐璃笑の子で2世中村雀右衛門の養子。4世中村芝雀から 1917年襲名。大正期を代表する関西の立女方。濃厚な色気に満ちた芸風で,姫や娘を得意とした。

中村雀右衛門(1世)
なかむらじゃくえもん[いっせい]

[生]文化3(1806)
[没]明治4(1871)
歌舞伎俳優。屋号は江戸屋。4世中村歌右衛門の門弟儀右衛門が改名。容貌にはすぐれなかったが実悪に長じ,おもに京阪で活躍した。万延1 (1860) 年には座頭となった。

中村雀右衛門(2世)
なかむらじゃくえもん[にせい]

[生]天保12(1841)
[没]1895
歌舞伎俳優。屋号は江戸屋。本名中島保平。1世中村雀右衛門の門弟。2世中村芝雀から 1875年襲名。敵役,老け役にすぐれ,京阪劇壇の重鎮として重用された。

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朝日日本歴史人物事典 「中村雀右衛門」の解説

中村雀右衛門(初代)

没年:明治4.8.18(1871.10.2)
生年:文化3(1806)
幕末期の歌舞伎役者。俳名芝斗。屋号江戸屋。大坂生まれ。4代目中村歌右衛門の愛弟子。初名中村源次。子供芝居のときから敵役専門で,21歳のとき芝蔵と改名して中芝居で修業する。文政11(1828)年23歳で師と共に江戸に下った。6年後に帰坂して大芝居に出,35歳以後はもっぱら大坂大西芝居に出て大役を勤めた。弘化3(1846)年,儀右衛門と改名し名古屋の芝居で活躍した。嘉永4(1851)年帰坂し雀右衛門と改名,このころ実悪大上上吉となった。演技力は優れていたが男ぶりが悪く,しばしば下品だと評された。しかし晩年には「実悪の開山」と称されるほどになった。「夏祭浪花鑑」の義平次,「忠臣蔵」の本蔵など当たり役は多い。2代目は門弟の3代目中村芝雀 が継いだ。

(青木繁)


中村雀右衛門(3代)

没年:昭和2.11.14(1927)
生年:明治8.1.20(1875)
明治大正期の歌舞伎役者。俳名梅都。屋号京屋。大阪新町生まれ。本名中島笑太郎。実父は嵐璃笑。嵐笑太郎で5歳の初舞台を踏む。子供芝居を経て18歳のとき2代目雀右衛門の養子となり,2代目中村芝雀と改名。明治25(1892)年東京春木座に出演後女形専門となり,おいおい昇進して,大正6(1917)年大阪浪花座で「蘆屋道満大内鑑」の葛の葉役を演じて雀右衛門を襲名した。研究熱心で,その人形身をとり入れた姿のきまりかたなど独特の色気があり,東西で人気は高かった。大阪中座の舞台で畢生の当たり役「本蔵下屋敷」の三千歳姫を演じつつ倒れ,そのまま不帰の客となり,名女形らしい最期と語り草になった。

(青木繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「中村雀右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村雀右衛門【なかむらじゃくえもん】

歌舞伎俳優。現在4世。元来は上方(かみがた)の家系で,初世,2世は敵(かたき)役だった。2世以降屋号京屋。3世〔1875-1927〕は2世の養子。女方を専門とし,もっぱら関西で活躍,若さと艶(つや)を兼ね備えた芸風で,姫役,娘役を得意とした。4世〔1920-2012〕は6世大谷友右衛門の子。7世友右衛門を経て,1964年襲名。新感覚の女方。1991年人間国宝。

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367日誕生日大事典 「中村雀右衛門」の解説

中村 雀右衛門(3代目) (なかむら じゃくえもん)

生年月日:1875年1月20日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1927年没

中村 雀右衛門(4代目) (なかむら じゃくえもん)

生年月日:1920年8月20日
昭和時代;平成時代の歌舞伎俳優

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