久米寺(読み)クメデラ

デジタル大辞泉 「久米寺」の意味・読み・例文・類語

くめ‐でら【久米寺】

奈良県橿原かしはら市にある真言宗の寺。山号は霊禅山。開創久米仙人と伝えられ、また聖徳太子の弟の来目皇子くめのおうじとする説もある。

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精選版 日本国語大辞典 「久米寺」の意味・読み・例文・類語

くめ‐でら【久米寺】

  1. 奈良県橿原市にある真言宗の寺。久米仙人(くめのせんにん)の創建と伝えられる。山号は霊禅山。本尊薬師如来。延暦年間(七八二‐八〇六空海が霊夢により、この寺で大日経を感得し、新しい真言密教開宗を志したとの伝説がある。

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日本歴史地名大系 「久米寺」の解説

久米寺
くめでら

[現在地名]橿原市久米町

畝傍うねび山の南東麓、久米集落の北端に位置する。霊禅山東塔院と号し、真言宗御室派。本尊は薬師如来。寺伝に推古天皇の勅願により、聖徳太子の弟来目皇子建立とあり(和州久米寺流記)、また久米仙人の建立とする説話(扶桑略記・七大寺巡礼私記・多武峯略記)もある。久米寺は、元来、久米部の本貫の地に建立された部族の私寺であったと思われる。文献上の初見は遅れるが、創立は古瓦や礎石によって奈良時代前期に上ると考えられる。最も典拠の確実なものは空海の益田池碑銘并序(天長二年九月撰)のなかに「池之為状也、左竜寺、右鳥陵、大墓南聳、畝傍北峙、来眼精舎鎮其艮」とあるもので、これによって平安前期に来眼くめ寺が益田ますだ池の北東方の現在地にあったことがわかる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久米寺」の意味・わかりやすい解説

久米寺
くめでら

奈良県橿原(かしはら)市久米町にある真言宗御室(おむろ)派の別格本山。仁和寺(にんなじ)別院。霊禅山(れいぜんざん)東塔院と号する。久米部の氏寺ともいわれる。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。聖徳太子の弟が眼病を患ったとき、ここで薬師如来に祈ったところ、満願の暁、二十五菩薩(ぼさつ)とともに薬師如来が降臨、たちまち眼病が治ったので、自ら来目(くめ)の皇子と称し、寺をつくったのに始まると伝える。あるいは、吉野で修行して神通(じんずう)力を得た久米仙人が創建、百数十年間住し、東大寺建立の際に諸国の大木や大石を仙術で運んだともいう。さらに、インドから中国へ密教を伝えた善無畏(ぜんむい)三蔵が住して、多宝塔を建立し、仏舎利と『大日経』を納めたという。空海は『大日経』の研究のため入唐(にっとう)し、帰国後ここで講讃(こうさん)したので真言宗発祥の聖地とされる。多宝塔は国の重要文化財。1月8日に初薬師、5月3日に二十五菩薩練供養大会式(ねりくようだいえしき)が行われる。寺の南方に益田岩船(ますだいわふね)という巨石がある。

[田村晃祐]


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百科事典マイペディア 「久米寺」の意味・わかりやすい解説

久米寺【くめでら】

奈良県橿原市久米町にある真言宗御室派の寺。本尊薬師如来。久米の仙人が建立したと伝える。延暦年間(782年―806年)に空海がここに住み《大日経》を感得したと伝える。現在の堂塔江戸時代の再建。
→関連項目橿原[市]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「久米寺」の解説

久米寺
(通称)
くめでら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
和州久米寺開帳
初演
享保2.2(大坂・岩井半四郎座)

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世界大百科事典(旧版)内の久米寺の言及

【久米の仙人】より

…これにより人々は久米をうやまい,天皇は田30町を与えた。久米はそこに寺を建てたがこれが久米寺(奈良県橿原市)である。以上のように久米寺の縁起を語った説話だが,後世には話の前半がもてはやされ,久米の仙人といえば好色者の代表のように伝えられるに至った。…

※「久米寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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