今東光(読み)コントウコウ

デジタル大辞泉 「今東光」の意味・読み・例文・類語

こん‐とうこう〔‐トウクワウ〕【今東光】

[1898~1977]小説家僧侶政治家神奈川の生まれ。日出海ひでみの兄。一時文壇から離れて天台宗の僧となるが、その後文壇に復帰大阪風土人情を描いた小説で知られる。「お吟さま」で直木賞受賞。他に「春泥尼抄しゅんでいにしょう」「悪名」など。昭和43年(1968)からは参議院議員も務めた。

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百科事典マイペディア 「今東光」の意味・わかりやすい解説

今東光【こんとうこう】

小説家。横浜市生れ。法名春聴。作家今日出海は弟。中学退学後,1923年《文芸春秋同人,翌年横光利一川端康成らの《文芸時代》に参加。しかし,やがて両誌とたもとを分かって,村山知義らと《文党》を創刊した。さらにプロレタリア文学にも接近するが,1930年出家して天台宗の僧侶となり,以後約20年間,文壇からは遠ざかる。1956年《お吟さま》が第36回直木賞を受賞し,文壇に復帰する。1968年―1974年自民党参議院議員。
→関連項目新思潮

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「今東光」の意味・わかりやすい解説

今東光
こんとうこう
(1898―1977)

小説家。今日出海(ひでみ)の長兄。横浜市生まれ。父が船長であったので転校を重ね、兵庫県の豊岡(とよおか)中学を中退。川端康成(かわばたやすなり)と知り合い、1923年(大正12)第六次『新思潮』に参加。『文芸時代』同人を中途脱退し、プロレタリア文学運動に呼応した『文党』を主宰した。『痩(や)せた花嫁』(1925)が出世作。30年(昭和5)得度(とくど)して天台宗延暦寺(えんりゃくじ)派の僧侶(そうりょ)となる。法名春聴。千利休(せんのりきゅう)の娘お吟(ぎん)の悲劇的生涯を描いた『お吟さま』(1956)で直木賞受賞。以後、『春泥尼抄』(1957)など、河内(かわち)の人情、風物に取材した「河内もの」を数多く発表した。66年(昭和41)より岩手県平泉の中尊寺貫主、68年には参議院議員となった。

[神谷忠孝]

『『今東光代表作選集』全6巻(1972~73・読売新聞社)』『『日本文学全集59 今東光・今日出海集』(1972・集英社)』『『お吟さま』(角川文庫・新潮文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「今東光」の意味・わかりやすい解説

今東光
こんとうこう

[生]1898.3.26. 横浜
[没]1977.9.19. 佐倉
小説家,権大僧正。 1923年創刊の『文藝春秋』に参加,川端康成,横光利一らと『文芸時代』を創刊して新感覚派文学運動を起したが,菊池寛との確執が原因で脱退,『文党』を創刊 (1925) し左傾した。 30年僧籍に入って文学を離れたが,『お吟さま』 (56) で直木賞を受け復帰,流行作家となった。ほかに『山椒魚』 (57) ,『悪名』 (61) など。 66年中尊寺貫主,68~74年参議院議員。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今東光」の解説

今東光 こん-とうこう

1898-1977 昭和時代の小説家,僧。
明治31年3月26日生まれ。今日出海(ひでみ)の兄。大正10年第6次「新思潮」創刊に参加,12年「文芸春秋」創刊にくわわる。昭和5年天台宗の僧となる。32年に「お吟さま」で直木賞。河内(かわち)(大阪府)の風土,人情をこのんでえがく。41年岩手県中尊寺貫主。43年参議院議員。昭和52年9月19日死去。79歳。神奈川県出身。法名は春聴。作品に「痩(や)せた花嫁」「春泥尼抄」「悪名」など。

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