仏心寺(読み)ぶつしんじ

日本歴史地名大系 「仏心寺」の解説

仏心寺
ぶつしんじ

[現在地名]小松町新屋敷 旧藩

新屋敷しんやしきの西部、国鉄予讃本線伊予小松駅の南西六〇〇メートルにあり、南は遠見とおみ山丘陵に連なる。円覚山と号し、臨済宗妙心寺派本尊釈迦牟尼仏。小松藩主の菩提寺であった。

創建については「寛政重修諸家譜」に「直頼(中略)機岳宗活仏心寺と号す、小松の仏心寺に葬る、仏心寺は直頼が開基する所なり」とある。南明開山とされ、慶安年間(一六四八―五二)に二代藩主一柳直治が創建したともいわれる。

「伊予国周布郡地誌」には「境内東西五拾一間南北拾九間面積二反一畝拾一歩村の西方七町字藍刈ニアリ」と明治初期の状況を記す。


仏心寺
ぶつしんじ

[現在地名]岡山市湊

みなと北方みさお山の南麓にある。瑞光山と号し単立(天台宗系)、本尊は阿弥陀如来。「社寺旧記」(池田家文庫)によれば、藩主池田綱政の姉一条教輔夫人輝子が比叡山安楽あんらく院に帰依していることから、岡山寺観音坊円然が天台宗寺院建立を働きかけ、正徳四年(一七一四)寺地が公許され、綱政の子継政も金一千両・寺領一〇〇石・山林を寄進したという。また「吉備温故秘録」では、輝子の発願により擢山(操山)のうち二町余を寺地として草堂を建て、在中であったが岡山城下町分の寺となったのが始まりと記す。


仏心寺
ぶつしんじ

[現在地名]大塔村大字阪本

阪本さかもと集落東部にある。有徳山と号し、曹洞宗。本尊阿弥陀如来。もと真言宗であったが、文安三年(一四四六)一休が当地に来て堂宇を再建し、臨済宗、京都大徳だいとく寺の末寺としたといわれる。昭和二三年(一九四八)曹洞宗に転じた。同二四年一一月と三一年四月とに二度にわたって火災に遭い、多くの重宝とともに一山烏有に帰した。このとき弘長年間(一二六一―六四)書写の大般若波羅蜜多経六〇〇巻も焼失した。


仏心寺
ぶつしんじ

[現在地名]佐賀市大財四丁目

佐賀城下の東北にあたる。宝専山と号し、黄檗宗。本尊は聖観世音菩薩。二代藩主鍋島光茂の子長行(鍋島内匠、大田鍋島家となる)が元禄五年(一六九二)に建立し、開山は桂巌。

桂巌が鍋島藩内の無縁仏を供養したのに始まる施餓鬼は毎年七月一六日に行われ、領内の村々に喜捨袋を回すことが認可された。享保一七年(一七三二)の大飢饉では佐賀藩領だけで八万人ほどが死亡したといわれるが、その死体を仏心寺周辺の堀に埋め、このために堀が埋まったので藩ではこの土地を免租地とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「仏心寺」の解説

仏心寺

(滋賀県愛知郡愛荘町)
湖国百選 社/寺編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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