デジタル大辞泉
「船坂峠」の意味・読み・例文・類語
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ふなさか‐とうげ‥たうげ【船坂峠】
- 兵庫県と岡山県との境にある国道二号の峠。備前市三石の東部にあたる。古来、山陽道の難所として知られた交通の要地で、古くは和気関が置かれた。元弘二年(一三三二)児島高徳(たかのり)が隠岐に移される後醍醐天皇を迎えた所。標高一七一メートル。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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船坂峠
ふなさかとうげ
播磨・備前両国の境に位置する。標高一九〇メートル。古代の官道山陽道は野磨駅から船坂峠を越えて備前国坂長駅(現岡山県備前市三石)に至った。奈良東大寺の重源の事跡を記した南無阿弥陀仏作善集(東京大学史料編纂所蔵)に「備前国船坂山者、自昔相交緑陰往還人、或愁悩或失身命」とみえ、重源が峠道を伐り開いたとある。「太平記」巻一六によれば、建武三年(一三三六)足利方を追討するため両国に下った新田義貞は白旗城攻めを放棄し、戦略上重要な山陽道を確保するため、軍勢を船坂山に向けた。峠への道は谷深く両方を峨々たる峰に囲まれた細道で、山陽道第一の難所で、天然の要害であった。新田勢は足利勢と激しい戦闘の末、船坂山を落したが、まもなく奪還されたという。
船坂峠
ふなさかとうげ
三石集落東部の岡山県と兵庫県赤穂郡上郡町との境に位置する。標高一九〇メートル。古代の官道山陽道が通り、備前国で最初の駅である坂長駅を船坂峠を下った三石に比定する説が有力で、「延喜式」兵部省によれば駅馬二〇疋が置かれた。平安末期には三石は宿として知られていた(「平家物語」巻八妹尾最期)。東大寺重源の事跡を記した「南無阿弥陀仏作善集」に「備前国舩坂山者自昔相交緑陰往還人或愁悩或失身命」とあり、そのため木を伐採して道を明らかにしたと記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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船坂峠 (ふなさかとうげ)
兵庫県赤穂郡上郡(かみごおり)町と岡山県備前市の境にある峠。古くは播磨と備前の国境であった。山陽本線,国道2号線もこの峠をトンネルで抜ける。古来,山陽道第1の難所として知られ,1332年(元弘2)後醍醐天皇が隠岐に流される際,児島高徳が天皇を奪い返そうとこの峠で待ちうけたが,一行が別路をとったため果たせなかったと《太平記》にある。峠の東麓に有年(うね),西麓に三石(みついし)の宿場町が発達した。
執筆者:小森 星児
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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船坂峠
ふなさかとうげ
岡山県備前(びぜん)市三石(みついし)と兵庫県赤穂(あこう)郡上郡(かみごおり)町の間にある峠。標高180メートル。旧山陽道の峠で、国道2号とJR山陽本線はトンネルで峠の下を通過する。古代には峠の西、坂長(さかなが)(現在の三石付近)に駅(うまや)が置かれた。『太平記』には児島高徳(こじまたかのり)が隠岐(おき)へ配流される後醍醐(ごだいご)天皇を奪還するため、峠に待ち受けたことが記されている。
[由比浜省吾]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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船坂峠
ふなさかとうげ
山陽道 (現国道2号線) の兵庫県上郡町と岡山県備前市との境にある峠。標高 180m。赤穂市の北西に位置し,北方 20kmの地点にある杉坂峠とともに南北朝時代の武将児島高徳ゆかりの峠で,江戸時代には峠の両側の有年 (兵庫県側) ,三石 (岡山県側) は宿場町として繁栄。現在は JR山陽本線,国道2号線が峠の下をトンネルで通過する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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船坂峠【ふなさかとうげ】
岡山県備前市の東部,兵庫県境にある峠。標高171m。国道2号,山陽本線がトンネルで通過する。古くから山陽道の要所で,《太平記》には道中第一の難所とある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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