円城寺(読み)えんじようじ

日本歴史地名大系 「円城寺」の解説

円城寺
えんじようじ

[現在地名]大田市三瓶町野城

下野城しものじろの標高約三〇〇メートルの円城寺山の中腹にある。霊椿山と号し天台宗本尊千手観音。承平元年(九三一)朝満の開基と伝える。朱雀天皇の勅願所となり、往古は出雲国鰐淵がくえん寺と対等の寺院として四八坊・寺領三千石を有していたというが、毛利氏・尼子氏の合戦で兵火にかかり焼失したと伝える(円城寺記)。現在では一坊(西林坊)を残すのみ。寺領はもとは広大で、仁王門は大田町にあったという。

円城寺
えんじようじ

[現在地名]加茂川町円城

天台宗、山号は本宮山、本尊千手観音。縁起は霊喜元年(七一五)本宮ほんぐう山の頂に創建されたとするが、のち報恩大師創建の備前四八ヵ寺のうちに加えられたと伝える(備陽国誌)。本宮山頂にあった頃は本宮山正法寺と号し、僧坊一六を有していたが、風が激しく火災が起こりやすいため現在地に移し円城寺と改号。その後漸次衰微したが、弘安五年(一二八二)に蓮信が再興し、境内に鎮守提婆だいば宮を祀ったという(明治二年「円城寺観音縁起」円城寺蔵)

円城寺
えんじようじ

[現在地名]神岡町船津

高原たかはら川西岸、神岡町市街地・商業地域中央部に位置する。江戸初期に金森氏が、江馬氏一族大島屋敷跡に殿との村より移したもの。天照山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。「飛州志」は天照山円城寺として舟津町ふなつまち村と殿村の二ヵ寺をあげ、当寺については「洞下高山高隆山素玄寺末往古開山始祖未詳開基檀越江馬家、金森出雲守可重天正年中再興天翁秀梅和尚」とする。元禄七年(一六九四)検地に際し、舟津町円城寺より検地奉行に宛てた境内・境外地の除地方嘆願書(神岡町史)によれば、江馬輝盛が殿村に在城の時建立したが、江馬氏の没落とともに寺も大破。

円城寺
えんじようじ

[現在地名]神岡町殿

殿との集落のほぼ中央にある。天照山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来、別堂の聖観音子安観音として著名。古くは真言寺院とも伝えるが、「飛騨遺乗合府」所載の三郡神社仏閣除地明細帳に「元禄八年ヨリ二百年已前江馬常陸守開基」とあり、明応年間(一四九二―一五〇一)にあたる。また永禄七年(一五六四)には京都妙心寺系の禅僧が住していたことが、益田ました萩原はぎわら禅昌ぜんしよう寺に残る「明叔録」飛之円城の項から推定できる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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