出雲平野(読み)イズモヘイヤ

デジタル大辞泉 「出雲平野」の意味・読み・例文・類語

いずも‐へいや〔いづも‐〕【出雲平野】

島根県北東部、宍道しんじの西にある沖積平野斐伊ひい神戸かんど川の下流を占める。簸川ひのかわ平野

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精選版 日本国語大辞典 「出雲平野」の意味・読み・例文・類語

いずも‐へいや いづも‥【出雲平野】

島根県東部の沖積平野。斐伊(ひい)川、神戸(かんど)川の流域発達簸川(ひのかわ)平野。

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改訂新版 世界大百科事典 「出雲平野」の意味・わかりやすい解説

出雲平野 (いずもへいや)

島根県東部,島根半島と中国山地の間の低地帯の西部にある平野。東は宍道(しんじ)湖,西は大社湾を経て日本海に臨む。斐伊(ひい)川と神戸(かんど)川による沖積平野で,斐伊川の河道変遷により成長した。南西部の神西(じんざい)湖は《出雲国風土記》の神門水海(かんどのみずうみ)で,付近には沼沢地がかなり広がっていた。かつて斐伊川は出雲市小山の微高地の北を通って西流し,神門水海の北部を沖積して同市の旧大社町付近の土地を形成した。斐伊川は数度の洪水によって寛永年間(1624-44)に東流するようになり,同市の旧平田市と旧斐川町荘原を結ぶ線の東部に平野が拡大した。多量の流砂,卓越風と沿岸流による砂嘴(さし)の発達に,砂鉄採取に基づく鉄穴(かんな)流しによる人工流砂が加わり,平野の成長を促進した。平野は深さ約70mで基盤に達し,礫(れき)層,砂質土,粘土層が重なり地下水は豊富である。とくに表土の粘土層に著しく滞水し,湿田地帯の典型をつくった。古来,神門八万石といわれ県の産米の一中心をなす。近世初頭まで斐伊川の流路であった平野西部の江田,八島(やしま),薗(その)(いずれも旧出雲市),荒木(旧大社町)一帯も堤防と用水路の建設で水田化したが,大部分湿田で,緑肥作物の苜蓿(もくしゆく)(ウマゴヤシ)を高畦で裏作栽培した。〈ふんぎり〉という窓鍬で土を掘り返し積みあげ客土とする農作業は,第2次世界大戦後の土地改良による乾田化で解消された。

 平野東部は近世の造成地で,出東(しゆつとう)(出雲市斐川町三分市付近)は典型的な新田集落である。河道変遷に伴う微地形の成立と集落の立地が密接に結びついている。河間や自然堤防の微高地にみられる北島,蔵島などの島のつく地名は,低湿地を避け旧河道跡に立地した小塊村を示しており,自然堤防の後背湿地や出来洲(旧平田市東部)付近の低湿地では散村の典型を示している。平野は東西系統,とくに西よりの風が強く,軟弱な地盤の安定を兼ねた屋敷森の築地松が防風林の役目も果たした。築地松は平野東部の散村に古くからみられる景観で,家格により樹種,密度,刈込みなどに差があるといわれる。

 平野の西岸には卓越風によって砂丘を生じ,《出雲国風土記》にある薗の長浜稲佐浜)を形成した。新旧二つの砂丘のうち,内側は地盤隆起で消滅,このあとに大社参道の新砂丘が生まれた。17世紀,菱根池干拓,堀川と差海(さしみ)川開削によって耕地化が進み,18世紀には防砂林も完成した。砂丘谷の一部は水田化したが,畑地が主で,綿作から桑園を経て,第2次大戦後は島根ブドウの産地として発展した。平野にはメタンガスの埋蔵も多く,沖積層中の第四系ガス鉱床と基盤の布志名(ふじな)層に含まれる新第三系のガス鉱床は,8km2にも及ぶ。将来,工業用・家庭用燃料として期待される。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「出雲平野」の意味・わかりやすい解説

出雲平野
いずもへいや

島根県北東部,出雲市を中心とする平野。簸川平野(ひのかわへいや)ともいう。斐伊川神戸川による沖積平野で,北は島根半島,東は宍道湖,西は日本海の大社湾にいたる。天平時代には沼沢地が多かったが,斐伊川上流の砂鉄採取に伴う多量の流砂で急速に平野が成長。宍道湖への平野の延びは 17世紀中頃以降約 5kmに及び,湖岸線が東進。出雲市の三分市(さんぶいち)以東は江戸時代以降の造成地で,出東(しゅっとう)は典型的な新田集落。平野東部は斐伊川の河道変遷に伴う自然堤防と後背低湿地が旧河道に沿って列状に展開し散村が立地。この集落は冬の卓越風を避けるための屋敷森が特徴で,築地松(ついじまつ)と呼ばれるクロマツを主体とする。地下水が豊富なため湿田が多いが,土地改良による乾田化が進んでいる。またメタンガスの埋蔵量が多く,家庭用燃料に利用されている。東部でチューリップなどの花卉園芸,西部の日本海岸の砂丘地ではブドウ栽培が盛ん。北西部に出雲大社がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「出雲平野」の意味・わかりやすい解説

出雲平野
いずもへいや

島根県東部、斐伊(ひい)川、神戸(かんど)川流域の沖積平野。簸川平野(ひかわへいや)ともいう。東西約30キロメートル、南北約20キロメートルの長方形をなす。北を島根半島の山地、南を中国山地の北辺でくぎられ、西端に砂丘、東端に宍道(しんじ)湖がある。斐伊川下流の三角州形成は著しく、出雲市の北東部にあたる旧平田市と斐川町荘原(ひかわちょうしょうばら)を結ぶ線の東部は江戸期以後の新開地である。湿田が多く、湖岸は水害を繰り返したが、土地改良により乾田化された。東部の乾田はチューリップ栽培、西端の砂丘では種なしブドウの生産が盛ん。中心は出雲市の市街地で、古い自然堤防上は築地松(ついじまつ)で囲まれた散居集落が分布し、独特の景観をみせる。しかし近年では、松くい虫による被害や市街化の進行などによって、築地松景観は減少している。

[矢野 博]

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世界大百科事典(旧版)内の出雲平野の言及

【島根[県]】より

出雲国石見国隠岐国【狐塚 裕子】
[狭い平野と長い海岸線]
 中国山地の北側斜面から日本海に至る〈山陰〉の西部を占める島根県は,中国山地の分水嶺が北にかたよっているため,地形は比較的急な傾斜を示す。河川は急流が多く,高津川による益田平野,斐伊(ひい)川,神戸(かんど)川による出雲平野のほかは,平野の発達はよくない。飯梨川扇状地,松江平野,出雲平野は県内最大の低地帯である宍道(しんじ)地溝帯に属し,最終氷期の海退期の深い谷を,後氷期の海成粘土層と河川の砂礫(されき)が埋積したところである。…

【斐伊川】より

…古くは簸(ひの)川,出雲大川とも呼ばれ,上流部は八岐大蛇(やまたのおろち)神話の舞台とされる。下流部は出雲平野を形成しており,《出雲国風土記》の時代には大社湾に注いでいたが,のち数度の洪水でしだいに東流するようになり,1639年(寛永16)には完全に宍道湖へ流入するに至った。 上流域は,黒雲母花コウ岩や花コウセン緑岩などの風化した地帯で良質の砂鉄を含み,これを原料とするたたら製鉄が中世以降盛んに行われた。…

※「出雲平野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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