稲佐浜(読み)いなさのはま

日本歴史地名大系 「稲佐浜」の解説

稲佐浜
いなさのはま

[現在地名]大社町杵築北

日本海に面した砂浜の海岸。白砂青松の地で、出雲浦として和歌にも歌われたことで知られる。「雲陽誌」に稲佐浦と記され、「伊奈佐社あり故に所の号とす、此辺塩を焼海士の業とせり」とある。伊奈佐いなさ社は現在の因佐いなさ神社であろう。出雲神話の最終段階で語られる大国主命の国譲りの談判の舞台として知られ、「古事記」上巻に「伊那佐の小浜」、「日本書紀」神代上に「五十狭狭の小汀」、同書神代下に「五十田狭の小汀」などと記される。ただし、「出雲国風土記」には国譲りの神話はみえない。天平一一年(七三九)の出雲国大税賑給歴名帳(正倉院文書)杵築郷に関連して「因佐里」とあるが、これをこの浜の東方二〇〇メートルの奉納ほうのう山北側の山間付近とする見解がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「稲佐浜」の意味・わかりやすい解説

稲佐浜 (いなさのはま)

島根県東部,出雲市の旧大社町の砂浜海岸。《出雲国風土記》で〈薗(その)の長浜〉とよばれた大社砂丘国譲り神話服従の談判をしたことからイナサ(否諾)の名があるとする地名起源説がある。国譲岩や弁天島,北方に出雲二見といわれる笹子島がある。全国から出雲大社に集まる神々の上陸地とされ,陰暦10月10日神迎えの神事が行われる。砂丘谷は水田化し大社参道があったが,微高地は17世紀以降,綿作から桑園,さらに第2次世界大戦後は島根ブドウの産地として発展した。出雲のお国ゆかりの地とされる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「稲佐浜」の意味・わかりやすい解説

稲佐浜
いなさのはま

島根県北東部,出雲市西部の日本海沿岸に延びる砂浜海岸。古く『出雲国風土記』では薗ノ長浜 (そののながはま) と呼ばれ,国譲の神話で知られる。陰暦 10月に全国の八百万神 (やおよろずのかみ) がこの浜に上陸したとされる。現在では大社砂丘ともいう。神戸川南北に発達し,湊原,荒木原の新旧二つの砂丘からなる。貞享4 (1687) 年に荒木原を耕地化,湊原に植林がなされ,のちにクワ畑となったが,第2次世界大戦後はブドウ栽培が中心。海水浴場もある。東部に出雲大社北西方に日御碕神社がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「稲佐浜」の意味・わかりやすい解説

稲佐浜
いなさのはま

島根県北東部、出雲(いずも)平野の北西部にある砂浜海岸。古称を薗の長浜(そののながはま)という。国譲りの神話で知られ、近くには国譲岩、弁天岩などがある。神無月(かんなづき)(陰暦10月)出雲大社に集まる全国の神々はこの浜から上陸するとされる。砂丘地は防砂、防風の植林によって耕地となり、桑畑として利用されていたが、近年はブドウ園に変わった。種なしの「島根ブドウ」の特産地として、甲州ブドウの出荷の時期を外して近畿や北九州方面などに出荷される。浜の東には出雲大社、北西に日御碕(ひのみさき)灯台や日御碕神社がある。

[矢野 博]

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世界大百科事典(旧版)内の稲佐浜の言及

【出雲平野】より

…築地松は平野東部の散村に古くからみられる景観で,家格により樹種,密度,刈込みなどに差があるといわれる。 平野の西岸には卓越風によって砂丘を生じ,《出雲国風土記》にある薗の長浜(稲佐浜)を形成した。新旧二つの砂丘のうち,内側は地盤隆起で消滅,このあとに大社参道の新砂丘が生まれた。…

【大社[町]】より

…大社は5月の例祭,旧暦10月の神在(かみあり)祭,11月の新嘗(にいなめ)祭がにぎわう。大社の西に歌舞伎の創始者出雲のお国の墓があり,国譲り神話で名高い稲佐浜(いなさのはま)は遠浅の砂浜で,海水浴場でもある。町の北西の日御碕(ひのみさき)は日本一高い灯台と天然記念物ウミネコの繁殖地経(ふみ)島で知られ,北の鵜峠(うどう)にはかつて銅やセッコウを産した鉱山がある。…

※「稲佐浜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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