北九州市(旧筑前域)(読み)きたきゆうしゆうし(きゆうちくぜんいき)

日本歴史地名大系 「北九州市(旧筑前域)」の解説

北九州市(旧筑前域)
きたきゆうしゆうし(きゆうちくぜんいき)

面積:二〇三・一八平方キロ
戸畑とばた区・若松わかまつ区・八幡西やはたにし区・八幡東やはたひがし

戸畑区・若松区・八幡西区・八幡東区・小倉北区・小倉南区・門司もじ区からなる北九州市(総面積四八五・二五平方キロ)は県の北東部に位置し、北は響灘、東は周防灘に臨む。九州の北東端にあたり、響・周防の両灘を結ぶ関門かんもん海峡を挟んで北は山口県下関市に対し、西は遠賀おんが芦屋あしや町・水巻みずまき町、中間市、鞍手くらて郡鞍手町、南は直方のおがた市、田川郡赤池あかいけ町・方城ほうじよう町・香春かわら町・勝山かつやま町、南東は行橋市、京都みやこ苅田かんだ町と接する。市域のうち西半を占める戸畑・若松・八幡西・八幡東の四区は近世までは筑前国(八幡東区の一部は豊前国)、東半を占める小倉北・小倉南・門司の三区は豊前国に属していた。以下の記述では、近世までは旧筑前域にあたる西半部(四区)を対象とし、近代以降は東半部を含む現在の北九州市全域を対象とする。

旧筑前域の北部は若松半島が西から東へ向かって響灘に張出し、同半島の南側に東から洞海どうかい湾が湾入する。南部はしやく(六〇八メートル)権現ごんげん(六一七・四メートル)皿倉さらくら(六二二・二メートル)帆柱ほばしら(四八八メートル)など福智ふくち山塊北部の山々が連なり、西部は遠賀川下流の東岸に発達する丘陵地である。尺岳から北の権現山に至る稜線の西側の水を集めた割子わりこ川・金山かなやま川が洞海湾の南岸に注ぎ、同じくくろ川が地域の南西端部を北流する遠賀川の右岸に注いでいる。一方、この稜線の東側の水を集めた板櫃いたびつ川は、北東に流れて旧豊前域に入り、やがて響灘に注ぐ。また金比羅こんぴら山一帯を水源として北に流れるさかい川が、東方の旧豊前域との境界をなす。若松半島の南側を流れる川は東方で洞海湾、西方では遠賀川に通じる。平地は洞海湾の周辺部や前述諸河川の沿岸部などに発達するが、地域全体でみると山地や丘陵地が勝る地形である。北九州市(旧豊前域)

〔原始・古代〕

前期旧石器の存在が検証されるなか、辻田つじた遺跡(八幡西区)八女やめ・鳥栖ロームよりスクレーパーなど中期旧石器が出土している。後期旧石器は紅梅こうばい(八幡西区)茶屋原ちややのはる(同上)など五遺跡で出土し、椎木山しいのきやま遺跡(若松区)では住居跡が確認された。縄文時代では草創期・早期の遺跡は未確認であり、前期以降、洞海湾沿岸や遠賀川流域・響灘沿岸部で確認される。縄文海進は古洞海湾・古遠賀湾を形成する。しかし土砂の流入や気候の温暖化で後期には湾は泥海化し、晩期に陸化はほぼ完了する。古遠賀湾に立地する前期・中期・後期の遺跡として山鹿やまが(芦屋町)楠橋くすばし(八幡西区)新延にのぶ(鞍手町)の各貝塚があり、古洞海湾では黒崎くろさき永犬丸えいのまる(八幡西区)の両貝塚がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報