青森県南東部にある市。1955年(昭和30)三本木町と大深内(おおふかない)、藤坂の2村が合併して市制施行、三本木市となり、同年四和(しわ)村を編入。翌1956年十和田市と改称。2005年(平成17)、上北(かみきた)郡十和田湖町(とわだこまち)を合併。市域は、三本木原台地(さんぼんぎはらだいち)に広がり、八甲田(はっこうだ)山南斜面から十和田湖畔に至る地域を占める。十和田湖を源とする奥入瀬(おいらせ)川が貫流する。国道4号(陸羽(りくう)街道)、45号、102号、103号、394号、454号が通じる。十和田観光電鉄が三沢市と結んでいたが、2012年(平成24)廃止。1855年(安政2)盛岡(南部)藩士新渡戸伝(にとべつとう)によって三本木原台地の開拓が始まり、約100年後の1966年に完成したが、十和田市は開拓事業の進行とともに発達した。道路も碁盤目状に走り、道幅も広く計画された。基幹産業は農業であり、稲作、畜産、野菜栽培が盛ん。工業も農産加工や製材業が多い。付近の原野は古くから馬の飼育が盛んで、中心地区の三本木は江戸時代には奥州街道の宿駅であり馬市で有名であった。最近は乳牛や肉牛飼育、酪農が盛んである。1966年北里大学畜産学部が開設された(現、獣医学部)。新渡戸記念館があり、三本木原開拓の祖新渡戸伝、十次郎、七郎三代の資料や、十次郎の三男稲造(いなぞう)の蔵書などを展示する。「法量のイチョウ(ほうりょうのいちょう)」は国指定天然記念物、旧笠石家住宅(きゅうかさいしけじゅうたく)は国指定重要文化財。十和田湖畔の子ノ口(ねのくち)から焼山(やけやま)まで約14キロメートルの奥入瀬渓流は、十和田湖とともに国の特別名勝・天然記念物。十和田八幡平(はちまんたい)国立公園の中心地域であり、猿倉(さるくら)、蔦(つた)、谷地(やち)の各温泉があるほか、スキー場を開設して観光開発に努めている。面積725.65平方キロメートル、人口6万0378(2020)。
[横山 弘]
『『十和田市史』全3冊(1978、1979・十和田市)』
青森県南部の市。2005年1月旧十和田市と十和田湖(とわだこ)町とが合体して成立した。人口6万6110(2010)。
十和田市東部の旧市で,三本木原の中心にある。1955年三本木町,大深内(おおふかない)村,藤坂村が合体して三本木市となり,56年改称。人口6万3363(2000)。かつては水に乏しく開拓の遅れた原野であったが,1855年(安政2)ころ南部藩士新渡戸伝(にとべつとう)により奥入瀬(おいらせ)川の水を引き入れて開拓され,農業的基盤が確立されてから発展した。この街は開拓事業の進行とともにしだいに発達し,道路も東西・南北に碁盤の目のように整然と走り,道幅も広く計画された。農業の比重が大で,工業も農産加工や製材業が多い。付近の原野は古くから馬の飼育の盛んなところで,かつての三本木は馬市で有名であった。近年は乳牛や肉牛の飼育が盛んになり,乳業会社が誘致され,北里大学獣医畜産学部(現,獣医学部)も開校(1966)された。十和田観光電鉄線(2012年廃止)が通じていた。
執筆者:横山 弘
十和田市西部の旧町。旧上北郡所属。1975年十和田町が改称。人口6267(2000)。十和田湖東部,八甲田山南麓を含み,奥入瀬川上流と支流蔦(つた)川の流域を占める。町域の9割近くが山林であるが,東部の奥入瀬川流域平野は良質米の産地として知られ,肉牛の飼育も盛ん。町の西部一帯は十和田八幡平国立公園に含まれ,奥入瀬渓流をはじめ景勝地が多く,十和田湖南岸の御前ヶ浜には高村光太郎作の乙女像がある。大町桂月が晩年を過ごした蔦温泉や八甲田山南麓の猿倉温泉,谷地温泉があり,焼山には1962年に猿倉温泉から引湯してつくられた十和田湖温泉郷がある。法量のイチョウは天然記念物に指定されている。
執筆者:佐藤 裕治
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