合理化(経営)(読み)ごうりか(英語表記)rationalization 英語

日本大百科全書(ニッポニカ)「合理化(経営)」の解説

合理化(経営)
ごうりか
rationalization 英語
Rationalisierung ドイツ語

合理化とは、基本的には、労働者の抵抗に対処しながら、企業内部において展開される、最大限の利潤を追求するための諸方策のことである。もっとも原初的には、資本論理法則に従って、(1)労働時間の延長、(2)機械受持ち台数の増加、(3)機械の回転数をあげることによって労働の強度を強める、という方法で労働生産性の向上と生産費の低下が図られた。資本主義の発展に伴い、合理化はさらに多面化する。(1)新鋭機械の導入による労働強化・超過利潤の追求、(2)合理化カルテルによる価格の管理と生産行程ないし生産分野の調整、(3)科学的管理法をベースとする作業組織の再編や労務管理の刷新による人員整理や労務費の節約、(4)「原単価の切下げ」とよばれる生産の規模化・標準化による原材料減価償却費節減など、冗費排除を目ざす経営組織の再編が行われ、一企業の枠を越えて、産業全体の合理化(産業合理化)に発展する。産業合理化は資本主義国家の経済政策の援助なしには有効に機能しえない事態を迎える。失業対策、補助金、税制面での企業の優遇措置などがそれである。

[殿村晋一]

全般的危機と合理化

ロシアに社会主義政権が成立し、労働運動と民族運動の高揚が始まる第一次世界大戦後の資本主義の体制的危機は、敗戦によって巨額の賠償債務を負ったドイツに集中的にれ、国民経済の破綻(はたん)、革命の危機を招いた。産業合理化運動は、労働者のハンブルク蜂起(ほうき)の失敗により危機が一時的に去ったドイツから始まった(1925)。ドイツ工業全国同盟が提唱し、国家的機関としての帝国合理化本部の指導で推進された合理化運動は、企業レベルでは市場独占が可能な規模の合理化カルテルが結成され、外資(とくにアメリカ)導入によってアメリカの新鋭機械・技術のほか、テーラーの「科学的管理法」やフォードの「フォードシステム(コンベヤー・システム)」が積極的に採用された。これに対し、ドイツ労働組合総同盟が賃金の上昇と雇用の拡大につながるとして支持し、ドイツ社会民主党も「組織された資本主義」のための方策であるとして礼賛した。コミンテルンとその指導下にあるプロフィンテルンは、新鋭機械の導入は労働強化と失業の増大につながるとしてこれに反対した。1929年の世界恐慌は、輸出競争を激化させ、アメリカ、イギリス、フランスでも合理化運動を発生させ、資源・市場をめぐる国家的対立が再燃し、植民地再分割の動きと関連した軍拡競争、さらには革命運動抑圧のためのファシズム体制を成立させた。

 日本でも、第一次世界大戦後の不況からの脱出策として、軽工業や重工業の各産業分野でカルテルが結成され、政府もカルテル助成法(重要産業統制法、1931)を制定したほか、1930年(昭和5)には商工省に臨時産業合理局を置いた。1933年には「日本製鉄株式会社法」が成立、鉄鋼業界で官民合同が実施され、1937年の「製鉄事業法」によって戦時国家統制へ移行し、1938年「国家総動員法」が成立する。この過程で「国家の利益」「産業の利益」の名のもとに合理化が強行され、大量解雇、賃金切下げ、労働強化が行われた。

[殿村晋一]

国家独占資本主義段階=管理社会の発展と合理化

第二次世界大戦後ヨーロッパの合理化運動は、「冷戦体制」の開始とともに、アメリカの援助(マーシャル・プラン、1948)によって、イギリス、西ドイツ、フランスで「生産性向上運動」として展開された。OEEC(ヨーロッパ経済協力機構)のほか、ICFTU(国際自由労連)やILO(国際労働機関)もこれに参加し、とくにILOはアジア・アフリカなど発展途上国の生産性向上と労働条件の確立にあたることとなった。この運動の当面の目標は、(1)国民に公正に分配されるべき国民所得の大きさは、生産性の高さに依存する、(2)社会主義よりも資本主義のほうが高い生産性と生活水準を保証できる、ということに置かれ、「豊かさ」の実現による管理=支配体制の強化を目ざす反共戦略的性格と、福祉国家論につながる労使協調路線がその骨格をなしていた。

[殿村晋一]

日本における合理化

第二次世界大戦後における日本の合理化は、ドッジ・ラインの実施(1949)に伴う企業整理(1万1000件)と51万人の解雇に始まる。設備の合理化は、朝鮮戦争ブームを契機に、鉄鋼・紡績・合繊・硫安の諸産業で始まり、1953年(昭和28)には「合理化カルテル」が認可された。1955年には日本生産性本部が設立され、日本でも「生産性向上運動」が展開された。それは労使協議制の拡充を通じて労働組合を生産性向上に協力させることを主眼としていた。新鋭の設備が導入され、技術革新運動が各産業部門で繰り広げられ、アメリカ式の労務管理が積極的に導入された。

 企業内では、品質管理、生産管理、監督者訓練、ヒューマン・リレーションズ(人間関係)管理が強化され、合理化は、大企業だけでなく、中小企業の一部を含めて、事務部門、非番時のレクリエーションにまで及んだ。まさに、管理通貨制度に始まり、情報の管理に至る管理社会の完成の中軸をなすのがこの産業合理化=生産性向上運動なのである。「高度成長」はその集大成であった。1960年代の高度成長期を通じて、アメリカ・ヨーロッパの先進企業からの技術導入―オーバーボローイングによる設備投資の強行―技術革新による特別利潤の発生―企業内への沈殿分を春闘方式を通じて労使双方に分配する、という方式が定着し、合理化反対闘争は、国鉄(現、JR)の国労・動労など一部を除いて、ほとんど展開されなかった。

 1973年末のオイル・ショックによって安定成長に軌道修正した各企業は、徹底した合理化・減量経営に転じ、大量の人員整理を行った。失業者は1978年までに130万人(失業率2.2%)に達した。人員削減、借入金返済、不採算部門のカットで減量経営を実現した民間各社は、1979年の第二次オイル・ショックにもかかわらず、機械と設備の省エネ化と製品の高度化(付加価値の向上)、労使協調(賃上げ自粛)によって、機械工業を先頭に、なお高い国際競争力を維持し、企業ぐるみ、産業ぐるみの創意工夫による品質管理のよさは、日本的経営の特徴として世界の注目を集めた。社会的には「中流意識」が強まり、労働運動も闘争至上主義から経営参加=政策要求へと路線の変更を迫られた。

[殿村晋一]

産業構造の転換とリストラクチャリング

1980年代、日本の産業構造は、技術革新を背景に、国際分業再編への対応の必要から「重厚長大」型から「軽薄短小」型産業構造へ大きく転換していく。企業は、成長分野の拡充、不採算部門の切り捨てによる新規部門への進出など、前向きのリストラクチャリング(事業構造の再構築)を推進した。1986~1989年(平成1)、「超大型景気=円高・バブル景気」のもと、日本の海外直接投資は急増し、直接投資残高はアメリカ、イギリスに次ぐ世界第3位となり、1991年のバブル崩壊後の不況とその後の急激な円高のなかで、企業は国際的なリストラクチャリングをさらに加速化させた。国内的には、事業の縮小・再編が進み、人員・有利子負債の削減など、後ろ向きのリストラクチャリングが増え、収益立て直しのための合理化策を「リストラ」とよんでいるケースが多い。企業内では職場いじめ(リストラ・ハラスメント=リストラいじめ)など露骨なリストラが横行し、5%を超えた失業率(1999)の高まりに対し、行政、労働組合とも有効な対策を打ち出せない状況が目だった。

[殿村晋一]

『社会政策学会編『合理化と労働運動』(1967・御茶の水書房)』『堀江正規著『労働組合運動の理論第3巻「合理化」反対闘争』(1969・大月書店)』『『堀江正規著作集第4巻 資本主義的合理化』(1977・大月書店)』『吉田和夫著『ドイツ合理化運動論』(1984・ミネルヴァ書房)』『中山茂著『科学技術の戦後史』(岩波新書)』『三橋規宏著『先端技術と日本経済』(岩波新書)』『米倉誠一郎著『経営革命の構造』(岩波新書)』

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