国上寺(読み)コクジョウジ

デジタル大辞泉 「国上寺」の意味・読み・例文・類語

こくじょう‐じ〔コクジヤウ‐〕【国上寺】

新潟県燕市にある真言宗豊山派の寺。山号は雲高山。8世紀初頭の創建と伝える。もと弥彦神社別当寺で、境内に良寛が住んだ五合庵がある。

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精選版 日本国語大辞典 「国上寺」の意味・読み・例文・類語

こくじょう‐じコクジャウ‥【国上寺】

  1. 新潟県西蒲原郡分水町にある真言宗豊山派の寺。山号は雲高山。和銅二年(七〇九)金智大徳の草創といわれる。良寛が住んだ五合庵がある。久賀窮寺。九上山寺。くにがみでら。

くにがみ‐でら【国上寺】

  1. 新潟県西蒲原郡分水町にある真言宗豊山派の寺、国上寺(こくじょうじ)の別称。

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日本歴史地名大系 「国上寺」の解説

国上寺
こくじようじ

[現在地名]分水町国上

国上くがみ(三一三・二メートル)の南の中腹にあり、雲高山と号し真言宗豊山派。本尊は阿弥陀如来。「久賀躬山寺」「九上山寺」などとも記される。和銅二年(七〇九)金智大徳により開かれたとも(「国上寺略縁起」国上寺文書)、天平勝宝(七四九―七五七)の創建とも伝える。「法華験記」巻下には、沙弥神融が法華経を誦して国上山に造立した宝塔を破壊した雷神をとらえて、山中に泉を湧き出させ、寺の四〇里四方に雷は鳴らせないことを約させた説話があり、同様の説話は「今昔物語集」にもみえる。宝塔の建てられた場所が地主神の座所で、これを不服とした地主神が雷神を使って塔を破壊したという点に特徴がある。また同じく「法華験記」巻中、「今昔物語集」には国上山に移り住んだ仏蓮上人の身辺の世話を黒歯・華歯という二人の童子が現れて勤め、上人の入滅後姿を消したという説話も載せる。

弥彦やひこ神社の本地で、三六坊寺を擁する別当寺であったともいわれる。元暦元年(一一八四)一一月二三日付の後白河院庁下文写(国上寺文書)によれば、和銅二年の創建以来いっさいの国役を課されない勅願寺で、弥彦社領と当寺領は東は信濃川・「曾利榎」、南は「渋田橋勝藻川」、西は「佐渡海」、北は「角田浜左潟江赤塚」を限るとある。これはほぼ現西蒲原郡全域と新潟市・三島さんとう郡の一部などに及ぶ地域に相当する。


国上寺
こくじようじ

[現在地名]碇ヶ関村古懸 門前

古懸こがけ集落東の山手にあり、古懸山不動院と称し、真言宗智山派。本尊の不動明王は津軽三不動の一つ。もと弘前最勝さいしよう院末、津軽領内真言五山の一つであった。寺伝によれば、推古天皇一三年唐僧円智が開基となり、同一八年聖徳太子の命で秦河勝が阿闍羅あじやら山に創立、建長六年(一二五四)北条時頼が現在地に再興したとする。天文五年(一五三六)金藤上野介が堂を造営(南津軽郡是)。「津軽一統志」によれば、天正一七年(一五八九)初代藩主大浦(津軽)為信が寺領を寄進、寛永一七年(一六四〇)三代信義が寺領を二〇〇石とし、修験五坊に各一五石を与えたとする。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国上寺」の意味・わかりやすい解説

国上寺
こくじょうじ

新潟県燕(つばめ)市国上、国上山(くがみさん)の中腹にあり、国上寺(くがみでら)ともいう。真言宗豊山(ぶざん)派に属し、山号は雲高山(くがみやま)。通称は国上山(くがみさん)。709年(和銅2)弥彦(いやひこ)大神の託宣により金地(金智)大徳が堂宇を創建。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)年間(749~757)孝謙(こうけん)天皇の勅により堂塔伽藍(がらん)が完備した。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)(行基作)で、子(ね)年と午(うま)年に開帳する。寺宝は酒呑童子(しゅてんどうじ)絵巻物3巻(土佐光信(みつのぶ)筆)、良寛書の屏風(びょうぶ)、『湖月抄』などがある。境内の五合庵(あん)は良寛の旧居である。

[祖父江章子]


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デジタル大辞泉プラス 「国上寺」の解説

国上寺(こくじょうじ)〔新潟県〕

新潟県燕市国上にある寺院。真言宗豊山派。山号は雲高山(くがみやま)。通称「国上山(くがみさん)」。709年創建と伝わる。江戸時代後期の僧侶・歌人の良寛が30年以上過ごした五合庵がある。

国上寺〔青森県〕

青森県平川市にある真言宗智山派の寺院。山号は古懸山、院号は不動院。本尊は津軽三不動のひとつに数えられる不動明王像。ねまり不動とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の国上寺の言及

【良寛】より

…帰郷した良寛は,出雲崎近辺の草庵を転々とする。97年から1802年(享和2)までの5年間,および1804年(文化1)から16年までの12年間,合わせて17年は,国上(くがみ)山の真言宗国上(こくじよう)寺の五合庵に住んだ。農民と親しく接触し,子どもたちとの交流のエピソードを残したのは,帰郷後のこの時代のことである。…

※「国上寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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