一般に、国がその活動によって国民に対し生じた損失を補償すること。国がどの程度もしくは範囲まで責任を感じて補償するのかによって、国家補償の概念にも広狭がみられるが、近年は、国家活動により直接に生じた損失のみならず、間接的な損失や、相手方を危険な状態に置いたことに伴って責任をとる補償など、広がる傾向にあり、さらに広く、政策的・行政的な見地から、国民に被害が生じたとき、国に責任がなくとも、その救済のために国が行う金銭給付まで含めていう場合がある。
[池田政章]
かつては「国家無責任の原則」などといわれて、国の活動による損害について国は責任を問われないという考え方が支配し、日本でも明治憲法時代ではこの考え方によっていた。しかし、国の活動によって国民が損失を被り、それが本人の責任に基づかない場合には、国がその損失を填補(てんぽ)すべきことは、社会的正義や公平の原則からいって当然の要請だという考え方がとられるようになって、現行憲法でもこの考え方に従った国家補償制度が設けられた。その場合、損失発生の原因なり態様が異なるにしたがって、損失を填補する理由や方法も異なり、この違いに応じて、憲法上、3種類の国家補償制度が区別され定められている。それはまず、違法な国家活動によって生じた損害の賠償と、適法な国家活動によって財産権を侵害した場合の損失の補償とに分けられるが、前者が国家賠償(憲法17条)であり、後者が公法上の損失補償(憲法29条3項)である。さらに、生じた結果に対して国が責任をとるという考え方のもとに、犯罪(容疑)者として抑留または拘禁された者が、のちに無罪の裁判を受けた場合に、国が補償する刑事補償(憲法40条)がある。
(1)国家賠償 日本国憲法は「何人(なんぴと)も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる」(17条)と規定し、これを受けて国家賠償法が制定されている(1947)。この法律によれば、憲法が定めた場合、つまり「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」(1条)に限らず、「道路、河川その他の公の営造物の設置又は管理に瑕疵(かし)があつたために他人に損害を生じたとき」(2条1項)も、国・公共団体は損害賠償責任をとることになっている。第2条の場合はいわゆる無過失責任を定めている。第1条、第2条いずれの場合についても、裁判所は、規定の意味を広くもしくは緩く解釈して、被害者を救済するという方向の判決をすることが多くなっている。たとえば、第2条の例をとれば、不可抗力と思われる場合(台風による被害など)は別にして、人災と思われる部分のある損害の発生については国家賠償を認める例が多い。
(2)損失補償 憲法上の根拠規定として「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」(29条3項)と定められている。損失補償の問題は、財産権の保障と表裏の関係にたち、したがって公共のために私有財産に対して特別の犠牲を強いるときは、公平負担の見地から、犠牲に伴う損失に対し補償されるのである。「正当な補償」とはどの程度をいうのか、判例上は「合理的に算出された相当な額」といわれているが、実務上は「完全な補償」が保障されている。収用のための一般手続法として土地収用法が定められている。しかし、この法律によって強制買収をするという実例は少なく、ほとんど話し合いによる任意買収の方法がとられている。
(3)刑事補償 「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる」(40条)という憲法の規定に基づいて、刑事補償法(1950)が定められている。無罪の判決確定によって、被疑者・被告人に対するそれまでの人身の拘束が結果的に違法になるので、その結果責任を国がとろうという趣旨である。不起訴となった場合は、刑事補償の対象とはならないが、補償の必要があるので、そのため「被疑者補償規程」が定められ、刑事補償の場合、1日1000円以上1万2500円以下の割合で補償金が交付される。刑事手続上、担当公務員に故意・過失があれば、別に国家賠償を求めることもできる(刑事補償法5条)。
[池田政章]
現代における国家活動は、かつてと異なり国民のさまざまな生活領域について行われ、それだけ国民の権利・利益に影響を与えることが少なくない。そのため、この3種類の国家補償制度では、国家活動によって生じたすべての偶然の損失について、国民に対し填補しえないという状態が生ずる。たとえば、公共事業の施行に伴って生ずる事業損失のような間接的な損失は填補されない。そこで、国の活動によって、結果的に損失が生じたとか、あるいは相手方を危険な状態に置いたことによって生じた場合に、国が結果責任・危険責任をとるという形で補償がなされる場合がある。この場合については、個別的に法律が規定するか、行政措置として補償の範囲を広げるという形で行われ、たとえば、文化庁長官の命令・勧告によって文化財を修理・公開したことによって生じた損害を国が補償する(文化財保護法41条・52条)とか、公務災害補償を定める(国家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法)などの例がある。
これらは、国の活動に起因する損失であること、その損失を被害者に負担させることは適当でないことの2点より、国が責任をとって補償するという例であるが、結果責任・危険責任という形で類型的な法体系があるわけではない。これに加えて、近年は、損害の発生について国には原因がなく、したがって、その填補について義務を負う必要のない場合でも、現実に被害者がいて損害が填補されえないときには、国が被害者の救済のために金銭を給付するという制度の設定が目だっている。たとえば、公害健康被害補償制度、医薬品副作用被害救済制度、犯罪被害者補償制度などの例である。これらの制度は社会保障的考え方を基盤としたもので、従来の国家補償の概念からははみだすものであるが、国家補償の目的は、結局のところ国民の身体や財産に生じた被害を救済することに帰着すると考えられるから、政策的・行政的救済措置としてのこれらの被害者救済制度も国家補償の問題と考えてよいというのが、最近の学説の傾向である。狭義の国家補償法における判例による救済拡大の傾向と相まって、国家補償は社会保障的志向を示しているといってよいのかもしれない。
[池田政章]
『西村宏一・幾代通・園部逸夫編『国家補償法大系』全4巻(1987・日本評論社)』▽『宇賀克也著『国家補償法』(1997・有斐閣)』▽『西埜章著『国家補償法概説』(2008・勁草書房)』
現在,国または都道府県・市町村のような公共団体(以下たんに〈国〉という)の活動により,国民がなんらかの損害を受けた場合には,〈国〉が金銭で補償する事例が多くなってきている。これらの場合を総称して〈国家補償〉という。しかし,〈国〉の活動と称しても,その公務員が違法な活動をしたり,その施設の設置管理にミス(瑕疵(かし))があったために賠償する国家賠償の場合と,土地収用に対する補償のような損失補償の場合とでは,かなり内容が異なる。これらの場合を含めて,〈国家補償〉と総称するようになったのは,比較的最近のことであり,また,それには一定の理由があった。
損失補償制度はフランス革命の際に発せられた人権宣言17条で,初めて認められた制度である。そこでは財産権を侵してはならないと宣言するとともに(財産権の不可侵),公共の利益のために私人の財産が提供されねばならぬときには,事前に〈正当な補償〉を受ける権利のあることが認められた。そこからこの原則は近代国家の大原則となった。もっとも日本では,憲法の原則にもかかわらず,個別的法律の要件を充たさねば,補償請求権は認められえないという考え方が強く,必ずしも常に損失補償がえられていたわけではなかった。
これに対し,公務員の不法行為(たとえば警察官の取調べに際して行われた拷問等)に関する〈国〉の賠償責任制度は,19世紀末まで,どこの国でも認められていなかった。それは法律で認められぬ違法行為を公務員が行ったのであるから,公務員個人が責任を負うべきであるという理由によっていた。だが19世紀末から民間でも,社員の不法行為につき,使用主や法人が賠償責任を負う傾向が強まり(使用者責任や法人の不法行為責任),それにならって,〈国〉も公務員の不法行為につき賠償責任を負う制度を設けようとする動きが生じてきた。第2次世界大戦後には,世界中ほとんどの国で,このような制度を採択してきている。しかし日本では,民法で過失責任主義を採っていることを前提として,国家賠償責任が制度化されているため,厳格にこの過失責任主義を解すると,被害救済の範囲が著しく狭まってしまうという傾向をもっていた。
そこで損失補償にせよ国家賠償にせよ,被害者救済のための制度であるから,その趣旨を生かすように運用せねばならぬという考え方が生まれるとともに,二つの制度の谷間に入ってしまう被害についても,なんらかの救済の手を差しのべるべきであるという見解が生じてきた。たとえば,予防接種事故は,適法行為に基づくものであり,しかも,損失補償として認められるに必要な法律上の根拠がないので,従来の損失補償には該当しない。また,違法を要件とする国家賠償にも当てはまらない。ここに〈国家補償〉という考え方で,これらの事態を解決しようとする主張が生まれてきたのである。しかし,この谷間に入る被害を,〈国家賠償〉制度に入れて処理するか,〈損失補償〉で処理するか,行政の責任で救済するのか,あるいは,立法をまって救済しうるものとするのかという点については,各国でもまちまちである。
→刑事補償
執筆者:下山 瑛二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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