犯人でないのに誤って刑事裁判の被告人とされた者へ,国がその損害の埋合せのために行う給付。
刑事補償は,刑罰権実現のための訴追が国家の手によって行われる社会で初めて問題となる。しかし,訴追が国家権力の作用として行われるようになっても,君主が無制限の権力を保持し,個人の自由が尊重されない絶対主義の時代には,国家の義務としての刑事補償制度は成立せず,せいぜい君主の施す恩恵として,冤罪(えんざい)に問われた者への補償が行われたにとどまる。これに続く立憲主義の下でも,初めは,公務員の違法行為についての国家の法的責任を否定する思想が強かったため,刑事補償の制度は容易に確立しなかった。ようやく19世紀末のヨーロッパ大陸諸国において,個人主義と法治国思想の高まりに応じて,国家の義務としての刑事補償制度が立法により広く認められるようになった。その基礎となったのは,裁判制度が国家公共の必要によって設けられるものである以上,そこから生じた冤罪という甚大な被害を,一個人に負担させることは衡平でない,という考え方である。日本では,1910年代以降刑事補償制度の立法を求める主張が強まり,1931年に旧刑事補償法が制定されたが,この立法は国の賠償義務というよりも仁政の考え方に基づくものであった。そこに定められた補償は恩恵としての性格が強く,給付の条件は限定されており,補償の請求が拒否されることも多かった。その後,日本国憲法は,新たに人権尊重の立場から,抑留または拘禁の後に無罪の裁判を受けた者が国に対して補償の請求権を持つことを保障し(40条),これに基づいて50年に現在の刑事補償法が定められた。
刑事補償法によって補償の請求ができるのは,無罪の裁判を受けた者である(1条1項)。ただし,本人が自分から身代り犯人となっていたような場合には,補償の全部または一部を受けられないことがある(3条)。免訴または公訴棄却の裁判を受けた者も,それらの裁判によって訴訟が終わることがなければ無罪の言渡しを受けたであろうと認められる十分な理由があれば,補償の請求ができる(25条)。本人が死亡しているときは,相続人から請求ができる。刑事補償は国家賠償と異なり,損害が検察官など公務員の過失によらない場合でも,請求することができる。その反面,補償の対象となる損害は,無罪となった事件の裁判のための身柄拘束および刑の執行によるものに限られる(1条)。補償の額にも限度があり,身体の拘束については1日当り1000円から1万2500円,死刑の執行については3000万円に財産上の損害を加えた額の範囲内で,裁判所が補償額を決める(4条)。このような補償の内容が十分なものといえるかは,立法論として議論のあるところである。
刑事補償法による補償とは別に,無罪となった者は,刑事訴訟法(188条の2以下)によって,弁護士報酬など一定の範囲の裁判費用の補償を受けることができる。また,被疑者として身柄を拘束されながら起訴されず,したがって無罪の裁判も受けなかった者には,刑事補償の請求は認められていないが,1957年の被疑者補償規程(法務省訓令)によって,一定の場合にこれに代わる補償が行われている。以上の制度によって塡補(てんぽ)されない損害については,国家賠償の請求ができるが,そのためには手続に関与した公務員に違法な行為と故意または過失のあったことが認められなければならない。
執筆者:後藤 昭
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無罪・免訴・公訴棄却の裁判を受けた者、または被疑者に対し、一定の場合にその抑留、拘禁、刑の執行または拘置に対して国が行う補償をいう。憲法は無罪の裁判を受けた者に補償請求権を認め、刑事補償が国家の義務的なものであることを明らかにした(憲法40条)。刑事訴訟法による通常手続・再審または非常上告の手続において無罪の裁判を受けた者が、同法・少年法または経済調査庁法(昭和23年法律第206号)によって未決の抑留または拘禁を受けた場合には、その者は国に対して、抑留または拘禁による補償を請求することができる(刑事補償法1条1項)。上訴権回復による上訴、再審または非常上告の手続において、無罪の裁判を受けた者が、原判決によってすでに刑の執行を受け、または刑法第11条2項の規定による拘置(死刑執行までの拘置)を受けた場合にも、刑の執行または拘置による補償を請求することができる(刑事補償法1条2項。なお3項参照)。刑事訴訟法の規定による免訴または公訴棄却の裁判を受けた者であって、もし免訴または公訴棄却の裁判がなければ無罪の裁判を受けていたと認められる十分な事由があるときには、国に対して、抑留、拘禁、刑の執行、拘置による補償を請求することができる(刑事補償法25条、なお26条参照)。補償の内容は、抑留または拘禁による補償においては、その日数に応じて、1日1000円以上1万2500円以下の割合による額の補償金を交付し、懲役、禁錮もしくは拘留の執行または拘置による補償においても、同様である。死刑の執行による補償は、3000万円に財産上の損失額を加えた額の範囲内で交付し、罰金または科料の執行による補償についても、補償の内容が定められている(刑事補償法4条)。刑事補償があった場合でも、さらに国家賠償(国家賠償法1条1項)の請求もできる(刑事補償法5条1項)。なお、検察官は、被疑者として抑留または拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留または拘禁による補償をするものとする(被疑者補償規定2条)。補償は、抑留または拘禁の日数に応じ、1日1000円以上1万2500円以下の割合による額の補償金を本人に交付して行う(同規定3条1項)。
[内田一郎・田口守一]
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…ただ,国家賠償はすでに生じた損害をあとから金銭で償うための救済制度であるので,現に公務員の不法行為や〈公の施設〉の瑕疵で被害を受けているものは,この制度で救済を求めることはできない(行政事件訴訟法の取消訴訟,民法上の差止請求権が利用される)。また,国家賠償と似た制度に刑事補償があるが,それは無罪判決を受けた者に,国に違法過失がなくとも,一定の金銭を支払って救済しようとするもので,広い意味での補償制度にはなるが,ここでいう国家賠償とは異なるし,また財産に対する補償でもないため損失補償とも異なる。国家補償損失補償【下山 瑛二】。…
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