江戸後期の画僧。名は玄瑞,字は祥誉。月僊は号。俗称は丹家氏。尾張名古屋の醸造を業とする町家に生まれる(生年には1721年説もある)。少年のころ江戸に遊び,増上寺に入り,雪館に絵の手ほどきを受け,のち中国元・明の絵をも学ぶ。明和(1764-72)のころ,京都に移り蕪村の影響を受けつつ自らの画風を確立。円山応挙に学んだとの説もある。1774年(安永3)伊勢の浄土宗寂照寺住職となる。画料1500金を官に納め,その利子でながく貧民を救ったが,これは後世まで〈月僊金〉と称された。人物・山水画に長じ,京都妙法院,岡崎昌光律寺,寂照寺などに多数の作品がのこる。《列仙図賛》などの著作がある。
執筆者:佐々木 丞平
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江戸後期の画僧。俗姓は丹家氏。尾張(おわり)名古屋に生まれる。名は玄瑞、字(あざな)は玉成、号は月僊。別号に寂照主人、本祥寿がある。10歳のとき出家。江戸へ出て増上寺に入り、桜井雪館のもとで絵を学び、大僧正妙誉より月僊の号を与えられた。のち上洛(じょうらく)して、知恩院大僧正擅誉に厚く遇された。円山応挙(まるやまおうきょ)の門に入り、また雪舟の筆意や元(げん)・明(みん)の画風を学ぶ一方、与謝蕪村(よさぶそん)に私淑して、さまざまな流派を取り込んだ鋭い筆法の作風で一家をなした。初め画料をむさぼるために、世人より「乞食(こじき)月僊」と称されたが、晩年にはその画料を資として、伊勢(いせ)山田の寂照寺を再興したほか、貧民の救済などの社会事業に大いに努力した。独特の山水、人物、花鳥、また俳画を描いているが、とくに山水に長じ、多くの作品を残している。『列仙図賛』『月僊画譜』などの著作がある。
[玉蟲玲子]
(河野元昭)
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