旧甲州街道の南方にある。主祭神は中殿中央に祀られる大国魂大神で、その左右に武蔵国内諸神・御霊大神、東殿に小野大神・小河大神・氷川大神、西殿に秩父大神・金佐奈大神・杉山大神を祀る。明治四年(一八七一)に現社名に改称する以前は六所宮・六所大明神・武州惣社六所宮などと称し、武蔵国内六社を勧請したところからその名がある(神道集)。府中に鎮座する武蔵惣社として武蔵国内外から崇敬を集めた。
大国魂神社境内およびその東側一帯の
応永三年(一三九六)一〇月一八日に「武州惣社六所宮如法堂」で一日頓写経の書写が行われている(栃木県日光輪王寺蔵「大般若経」巻二七九奥書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都府中市に鎮座。大国魂大神を主神として中殿中央に,その左右に武蔵国内諸神,御霊大神を,東殿に小野大神,小河大神,氷川大神を,西殿に秩父大神,金佐奈大神,杉山大神をまつる。主神は武蔵の国魂,すなわち武蔵の国土の霊で,古く国造がまつり,律令体制とともに国司がまつり,古代末期になり,国府に近い本社に国内各神社を勧請し併せまつったので,ために武蔵国総社,また東西殿の神の数より六所宮とも呼ばれた。1051年(永承6)源頼義が陸奥の安倍頼時父子を征伐の途次,当社に祈願,凱旋のとき御礼のためケヤキ苗1000株を植えたと伝承し,源頼朝が鎌倉に入って以後は本社を崇敬,1182年(寿永1)北条政子の安産を祈願のため使者を派遣,以後関東武士の崇敬が続いた。1590年(天正18)徳川家康は江戸入城とともに保護にあたり,1646年(正保3)の火災のあと,67年(寛文7)家綱が造営したのが現社殿。1868年(明治1)準勅祭社とされ,85年官幣小社となる。武蔵一円の信仰をあつめ,5月5日の例祭は,4月30日の品川海上禊祓式よりはじまり,5日当日の御饌催促の儀,動座祭のあと神輿8基の御旅所への行列は,もと町内消灯したことで暗闇(くらやみ)祭といわれ,またその前後には各戸神灯をともしたことから提灯祭ともいわれにぎわった。ほかに7月12日夜より13日にかけての青袖祭,杉舞祭など特殊神事が多い。
執筆者:鎌田 純一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東京都府中市宮町に鎮座。武蔵(むさし)国(東京都、埼玉県、神奈川県の東部)の土地の魂である武蔵大国魂大神(おおかみ)のほか、国内有力神社の小野(おのの)大神、小河(おがわ)大神、氷川(ひかわ)大神、秩父(ちちぶ)大神、金佐奈(かなさな)大神、杉山大神などを祀(まつ)る。創建年代不詳。社伝では景行(けいこう)天皇のとき、神託により創建と伝え、また源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)父子が安倍頼時(あべのよりとき)父子征伐の途次、本社に祈願、1062年(康平5)平定の帰途報賽(ほうさい)のため植えたのが、現在に残る欅(けやき)並木と伝える。古代末期、武蔵国の国府に近い有力神社として、国内神社を勧請(かんじょう)されたことで、武蔵国総社、また六所宮とよばれた。源氏以下武将の崇敬も厚く、江戸時代に朱印領500石を寄せられた。明治の制で官幣小社。5月5日の例祭は、夜間8基の神輿(みこし)渡御のとき、灯火を消して行ったので闇夜祭(くらやみまつり)とよばれて有名である。他に4月30日の品川海上禊祓式(みそぎはらいしき)など古式による特殊神事が多い。狛犬(こまいぬ)1対は国指定重要文化財である。
[鎌田純一]
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