大龍寺(読み)だいりゆうじ

日本歴史地名大系 「大龍寺」の解説

大龍寺
だいりゆうじ

[現在地名]東大阪市日下町八丁目

黄檗宗、山号瑞雲山、本尊釈迦如来。寺伝では、推古天皇六年、聖徳太子が自作の観音像を安置して創建し、瑞雲山巌松がんしよう寺と号したという。養老四年(七二〇)諸堂大破、天平三年(七三一)再建、建久二年(一一九一)八条女院が牒を下し僧坊若干を造営、同五年寺領の諸役免除の院宣が下されたという。また、元応二年(一三二〇)後醍醐天皇より寺田若干が寄進され、源頼朝の御教書楠木正成・足利尊氏・足利義満の寄進状等を蔵したが応仁の乱で堂宇とともに焼失、その後再興されるが、大坂の陣で再び烏有に帰したと伝える。


大龍寺
だいりゆうじ

[現在地名]中央区神戸港地方 再度山

六甲ろつこう山地西部の再度ふたたび山中にある。再度山と号し、東寺真言宗。本尊は如意輪観音。「伽藍開基記」によれば神護景雲二年(七六八)和気清麻呂が開基、摩尼山如意輪堂を建立。延暦二三年(八〇四)空海が参堂、帰朝後にも駐錫して密法を修した。観応二年(一三五一)赤松範資の援助で善妙が中興。戦国期に再び衰壊したが、寛文年中(一六六一―七三)賢正が再興したという。


大龍寺
だいりゆうじ

[現在地名]岐阜市粟野

小丘南麓に位置。金粟山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊腹帯子守観音。地元でだるま寺・だるま観音とよばれるように、本堂脇の達磨大師堂には大小多くのだるまが並べられている。寺伝によれば、もと密教寺院であったが、文亀二年(一五〇二)土岐氏の外護によって禅宗となり、瑞翁が中興開山したという。その後法系が絶えたところ、慶長年間(一五九六―一六一五)快川紹喜の法嗣淳岩玄朴が再興した。天正一〇年(一五八二)六月日付で稲葉貞通・同一鉄連署禁制(寺蔵文書)が下された。


大龍寺
だいりゆうじ

[現在地名]村上市瀬波上町 北町裏

瀬波せなみ集落の東にあり、錦藍山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。「碧巌録」の大龍智洪の言葉「山花開似錦、澗水湛如藍」から山号と寺号をとったといわれる。創建の時期は不明。耕雲こううん寺一八世月通雲良が開山と伝える。当寺の過去帳には天正一〇年(一五八二)能庵芸が二世の住職となったと記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大龍寺」の解説

大龍寺

兵庫県神戸市にある寺院。東寺真言宗別格本山。山号は再度山(ふたたびさん)。

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