天寿国繡帳(読み)てんじゅこくしゅうちょう

改訂新版 世界大百科事典 「天寿国繡帳」の意味・わかりやすい解説

天寿国繡帳 (てんじゅこくしゅうちょう)

飛鳥時代の刺繡作品で,《天寿国曼荼羅》ともいう。聖徳太子没後太子をしのんで,妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の往生した天寿国ありさま下絵に描かせ,采女(うねめ)らに刺繡させたもの。当初は薄く透ける羅地に刺繡された大きな2帳で,仏堂にかけられたと思われる。鎌倉時代中ごろ,中宮寺の再興者である尼信如によって法隆寺綱封蔵から発見されて以来中宮寺に伝わる。現在はわずかな断片が鎌倉時代の新繡帳断片と混じって台裂に貼り合わされているが,原繡帳断片はいまだに色鮮やかである。また,この繡帳は当時の工芸技術を伝えるだけでなく,数少ない飛鳥時代の絵画資料としても貴重である。下絵を描いた東漢末賢やまとあやのまけ),高麗加西溢こまのかせい)らは,いずれも渡来系工人で,現存する断片からは中国,朝鮮の色濃い飛鳥時代の風俗や,仏教以外の観念が同居する浄土像をうかがうことができる。また,この繡帳には,亀を形どった上に4文字ずつ刺繡された銘文があり,その全文は《上宮聖徳法王帝説》等に記載されているので,繡帳の成立事情などがわかる。また日本最古の浄土観念を示す〈天寿国〉の名称や〈世間虚仮,唯仏是真〉という聖徳太子の言葉は仏教史,思想史上からも注目されるものである。国宝。現存部分の大きさは88.8cm×82.7cm。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天寿国繡帳」の意味・わかりやすい解説

天寿国繍帳
てんじゅこくしゅうちょう

飛鳥(あすか)時代につくられた日本最古の刺しゅう。奈良・中宮寺蔵。国宝。現存するものは縦88.8センチメートル、横82.7センチメートルの濃い灰色の絹縮(きぬちぢみ)を台裂(ぎれ)に、紫羅(ら)、紫綾(あや)、白平絹(しろへいけん)を地とし刺しゅうを施している。図は蓮台(れんだい)にのる仏、神将像、僧や俗人、あるいは兎(うさぎ)、鳳凰(ほうおう)、鐘楼、仏殿、それに飛雲(ひうん)や唐草(からくさ)を配し、三段六区の二列に区分されている。その図のなかにある亀背(きはい)に「部間人公」「干時多至」「皇前曰啓」「仏是真玩」および断片の「利令者椋」の四字一組の銘文が繍(ぬ)い合わされている。これらの銘文は、もと二張りであった繍帳の100個の亀の背一つに四文字ずつ、計400文字あったが、その全文は現存最古の聖徳太子伝とされる『上宮聖徳法王帝説』に記され、この繍帳作成の由来がわかる。すなわち、推古(すいこ)天皇の30年(622)2月、聖徳太子の死後、王妃橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)は天皇の許しを得て、太子が往生された天寿国のさまを図にするため、椋部秦久麻(くらべのはたのくま)を総監督に、東漢末賢(やまとのあやのまけん)、高麗加西溢(こまのかせい)、漢奴加己利(あやのぬかこり)の3人の画師に下絵を描かせ、采女(うねめ)たちが刺しゅうしたというもので、現在残るのはその残欠である。

 紫羅地に刺しゅうを施した部分は飛鳥時代の作であるが、繍法を異にする部分も混じっていて、それは鎌倉時代に補修されたためと思われる。しかし飛鳥時代の染織品として、しかも作製の由来の明らかな点からも、きわめて貴重な遺品である。

[永井信一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天寿国繡帳」の意味・わかりやすい解説

天寿国繍帳
てんじゅこくしゅうちょう

飛鳥時代刺繍。推古30(622)年の聖徳太子の没後,妃橘大郎女が,太子が生まれ変わった天寿国のありさまを偲ぼうと発願し,東漢末賢(やまとのあやのまけん)ら 3人の渡来人に下図を描かせ,采女らに刺繍させた。奈良県の中宮寺蔵。当初は巨大な 2帳の繍帳であったが,今日では一部の断片が寄せ集められて額装になっている。繍帳中の銘文は『上宮聖徳法王帝説』に伝えられており,制作の由来がわかる。中国六朝風(→六朝時代)の古拙な人物表現や文様がみられ,飛鳥時代の絵画としても貴重な例。国宝。(→飛鳥文化繍仏日本工芸

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百科事典マイペディア 「天寿国繡帳」の意味・わかりやすい解説

天寿国繍帳【てんじゅこくしゅうちょう】

中宮寺に伝わる飛鳥時代の刺繍。天寿国曼荼羅(まんだら)とも。聖徳太子没後,妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が,太子が往生したという天寿国のさまを刺繍させたもの。もとは5m四方で2帳だったが,現在は残片を寄せ集めて80cm四方のみ。飛鳥時代美術工芸の貴重な資料。
→関連項目飛鳥時代繍仏浄土信仰高松塚古墳

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世界大百科事典(旧版)内の天寿国繡帳の言及

【飛鳥美術】より

…止利様式の作品としては法隆寺大宝蔵殿の銅造釈迦如来および脇侍像(628年銘),法隆寺献納宝物の銅造如来座像(145号),同如来立像(149号,ともに東京国立博物館)がある。また中宮寺《天寿国繡帳》は太子崩後622年,妃の橘大郎女が発願し,采女らに刺繡させたもので,今わずかに残る断片からも六朝風の作風がうかがわれる。画師も東漢末賢(やまとのあやまけん),高麗加西溢(こまのかせい),漢奴加己利(あやのぬかこり)など,漢系・高句麗系画師の名がみられる。…

【刺繡】より

…繡技も複雑に展開,写生的な視覚が中心となり,鮮麗な色彩とともに引き締まった鋭さを示す。
【日本】
 現存する最古の例は《天寿国繡帳》(622,中宮寺ほか)で,橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が亡き夫,聖徳太子を追慕して采女(うねめ)たちとともに作製したもの。専門家によるものではないが,すでに和様ともいうべき柔らかな糸遣いが見られる。…

【染色】より

… 一方,仏教の隆昌に伴って寺院の荘厳(しようごん)に染織品も利用されるようになり,刺繡(ししゆう)で仏像や仏の世界を表すことも行われた。622年(推古30)の《天寿国繡帳》はその一例で,わずかな断片として現存するにすぎないが,色糸の色相は淡黄,濃黄,真紅,淡緑,淡縹,紫,黒,白などを中心に10色以上に及んでいる。配色法も同系色の濃淡で表す繧繝(うんげん)調を応用し,また図形を鮮明にするために輪郭線を強い色彩の別色で繡(ぬ)い,効果的な表現をとるなど,その技術はかなり高いといえる。…

※「天寿国繡帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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