奏者番(読み)ソウシャバン

デジタル大辞泉 「奏者番」の意味・読み・例文・類語

そうしゃ‐ばん【奏者番】

江戸幕府職名大名旗本年始五節句などに将軍に謁見するとき、その姓名言上進物披露、将軍からの下賜品の伝達などをつかさどった。奏者役

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精選版 日本国語大辞典 「奏者番」の意味・読み・例文・類語

そうしゃ‐ばん【奏者番】

〘名〙 江戸幕府の職名の一つ。年始、五節供朔望(さくぼう)などに、大名、旗本などが将軍に拝謁する時、その取次、進物の披露など殿中礼式をつかさどり、参勤御暇の際など、諸大名の家に上使役をつとめたもの。奏者。御奏者番。〔東職紀聞‐一(古事類苑・官位五五)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「奏者番」の意味・わかりやすい解説

奏者番 (そうしゃばん)

江戸幕府の職制。君側にあって諸事を取り次ぐ人,またその役を奏者といい,室町幕府では申次衆のことをいった。織田氏,豊臣氏,開幕以前の徳川氏も奏者の役を置いた。江戸幕府における初任は,1603年(慶長8)徳川家康に召され室町幕府の礼法を伝えた本郷信富といわれる。《当代記》によると08年ごろ,永井直勝,石川忠総,遠山利景,西尾忠永,城昌茂らが奏者番として諸方よりの献上物を披露している。その後しだいに制度化され,万石以上より20~30人を任命当番助番,添,非番の別があり,かわるがわる務めた。任務は年始・五節句等に将軍に謁見する大名等の姓名を披露すること,献上品・下賜品の受渡し,殿中で元服する大名に作法を指導すること,三家・大名家への上使等であった。また寺社奉行は1658年(万治1)以降奏者番より兼帯する例となった。1862年(文久2)に至りいったん廃止されたが,翌年旧に復した。
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百科事典マイペディア 「奏者番」の意味・わかりやすい解説

奏者番【そうしゃばん】

江戸幕府の職名。略して奏者とも。幕府の典礼をつかさどり,大名等が年始・節供・叙任などで将軍に謁見する時,姓名の奏上,進物の披露,下賜品の伝達などを担当。家格1万石以上の譜代大名から20〜30名が任じられ,交代で勤めた。1658年以降,寺社奉行(じしゃぶぎょう)は奏者番から兼帯した。対朝廷関係の典礼は高家(こうけ)が担当。
→関連項目大岡忠相日記所司代奏者土浦藩

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「奏者番」の意味・わかりやすい解説

奏者番
そうじゃばん

江戸幕府の職名。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)の創置。員数20~30人(諸大夫(しょだいぶ)、芙蓉間(ふようのま)詰)。万石以上の譜代(ふだい)大名のなかから補任(ぶにん)された。大名、旗本などが年始、五節供、朔望(さくぼう)などに将軍に拝謁するとき、その姓名や進物(しんもつ)を披露(ひろう)し、将軍の下賜品を伝達した。また御三家(ごさんけ)および諸大名家へ上使を勤めることがあった。当番、助(すけ)番、非番などがあり、交替で勤めた。言語怜悧(れいり)、英邁(えいまい)の人物でなくては勤まらぬ役職といわれ、1658年(万治1)以降寺社奉行(ぶぎょう)(定員4人)はこのうちから兼帯することを例とした。譜代大名はここを振り出しに、寺社奉行を経て若年寄や大坂城代、京都所司代(しょしだい)あるいは老中などの重職へと上った。1862年(文久2)廃止。職掌は詰衆、詰衆並(なみ)、寺社奉行、大目付、目付、進物番、高家(こうけ)などに分属した。翌年再置。

[北原章男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奏者番」の意味・わかりやすい解説

奏者番
そうじゃばん

江戸幕府の職名。大名旗本が将軍に謁見するとき,姓名や進物を披露し,下賜物を伝達する取次ぎの役で,城主の格式をもつ譜代大名がつとめるのをたてまえとした。寛永9 (1632) 年設置。万治1 (58) 年以後寺社奉行が兼ねた。別に将軍世子に対して同じ職務を行う西丸奏者番があった。

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