女性労働(読み)じょせいろうどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「女性労働」の意味・わかりやすい解説

女性労働
じょせいろうどう

通常、女性の雇用労働(賃労働)をいい、家事労働や自営的労働と区別して用いられることが多い。

[伍賀一道]

戦前の女性労働

産業革命によって機械制大工業が確立し、筋力をあまり必要としない不熟練労働分野が拡大すると、男子熟練労働者にかわって女性が年少者とともに工場に引き入れられた。日本においては日清(にっしん)戦争から日露戦争にかけて綿紡績部門を中心に産業革命がほぼ完了した。当時の工場労働者の大部分は繊維産業労働者で(1894年64.4%、1913年64.7%)、その多くが女性であった。全工場労働者に占める女性の割合は60%を超えていた。とくに若年女子の比重が高く、その多くは高率小作料に苦しむ貧農の子女で、口減らしと家計補助を目的として年期契約で工場へ働きに出された。

 彼らの労働実態は、『女工哀史』(細井和喜蔵(わきぞう)の1925年刊の著書)とよばれたごとく、無権利で過酷であった。労働時間は13~14時間、長い場合は17~18時間に達した。工場では連続操業を図るため深夜業や二交替制が一般化していた。また賃金は家計補助的な単身者賃金の水準にすぎず、女工を労働強化に駆り立てるため賞罰的な賃金支払い方法が用いられた。労働者としての基本的権利は保障されず、寄宿舎に強制的に緊縛され、逃亡を企てた者には残忍な体罰が加えられた。これら女工の労働実態については、横山源之助(げんのすけ)著『日本之下層社会』(1899)、農商務省編『職工事情』(1903)などに詳しく記録されている。

 このような状況のもとで政府は1911年(明治44)に工場法を制定し、1916年(大正5)から施行したが、その内容はイギリスの工場法(1844年法、1847年法など)と比較し、きわめて不十分なものであった。まず適用対象工場は職工数15人以上の工場に限定、12歳未満の就労禁止、15歳未満および女性の就業時間を12時間以内に制限、彼らに対する深夜業禁止については、交替制などの場合は同法施行後15年間は猶予するというものであった。

 第一次世界大戦後、ILO(国際労働機関)からの要請と労働運動の高揚を背景に1923年に政府は工場法を改正し、1926年7月に施行した。これにより適用工場は職工10人以上を使用する工場に拡大し、14歳未満の就業禁止、16歳未満の者と女性の就業時間を12時間から11時間に短縮、産前産後の休暇を初めて規定した。さらに1929年(昭和4)に女性・年少者の深夜業禁止が実現した。また鉱山では鉱山労役扶助規則改正(1928)によって女性の坑内労働が原則的に禁止された。このようななかで女性の就労分野は、従来の繊維部門から商業・金融・保険・公務・サービス部門へと拡大し、職業婦人ということばが登場した。満州事変以降、太平洋戦争敗戦に至る過程で産業構造の重化学工業化が進み、1933年には工場労働者のなかで男子労働者数が女子労働者数を上回るようになった。

[伍賀一道]

今日の女性労働

第二次世界大戦後の民主化の過程で1947年に労働基準法が制定され、生理休暇、深夜労働の禁止、時間外・休日労働の制限、育児時間など女子保護規定が充実した。女性の労働者化、職場進出は高度成長過程で急速に進み、1955年当時531万人であった女性労働者は、1970年には1096万人へと倍増し、1985年には1548万人、1990年(平成2)1834万人、2000年2140万人、2008年2312万人にまで増加した。労働者全体に占める女性の比率は41.8%(2008)に達している(総務省「労働力調査」)。女性労働者が多く就労している部門はサービス業、製造業、卸売・小売業で、近年、いわゆる「サービス経済化」の進展とともに第三次産業への就労が急増している。また職種別特徴をみると、事務従事者(754万人、2008年、以下同じ)がもっとも多く、これに生産工程・労務作業者(438万人)、専門的・技術的職業従事者(407万人)が続いている。

[伍賀一道]

性別役割分業と女性労働

日本の女性の就労形態には男性とは異なる特徴がある。その一つは同一年齢人口のなかで労働力人口(就業者+完全失業者)の占める割合(労働力率)が20代前半(1990年75.1%、2006年70.1%、2007年69.5%)をピークに低下し、30代前半期(1990年51.7%、2006年62.8%、2007年64.0%)に底を迎え、その後40代後半(1990年71.7%、2006年71.4%、2007年72.0%)まで再び上昇するM字型カーブを描いていることである。これは女性の一定部分が結婚や出産、育児のためにいったん仕事を離れた後、子供が成長するにつれふたたび仕事に復帰するためである。再就職の場合には正規雇用につくことは困難となるため多くの女性がパートタイマーとなる。仕事を中断しない女性の割合は年々増えつつあるが、依然としてM字型カーブは顕著である。かつてはほかの先進国でも同様の傾向がみられたが、各国政府が家事労働や育児、介護の負担の女性への集中を避けることを目ざして性別役割分業解消の政策を進めたため、M字型はしだいに解消されてきた。

 女性労働の第二の特徴は雇用形態にある。男性に比べ、女性労働者のなかでパート、アルバイトの占める比率はとくに高く、2009年時点で男8.7%に対し、女40.3%である。これは企業がコストの切り下げを目的に正規労働者を抑制または削減する一方、女性の非正規雇用を積極的に活用しているためである。その背景には性別役割分業も関係している。日本では女性に家事や育児、介護の責任が集中している結果、長時間労働が一般化している正規雇用を女性自ら避けざるをえない場合が多い。

[伍賀一道]

労働条件

男女間の賃金格差は先進国のなかで日本がもっとも大きい。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(2008)によれば男子労働者(全産業平均)の時間当り賃金(ボーナス分を含む)2549円に対し、女子労働者(同)の賃金は1685円で、男子の6割台にとどまっている。年齢・学歴・勤続年数などの条件を同一にした標準労働者の所定内賃金についても男女間格差は大きく、高卒の場合、50~54歳層で女性の賃金は男性のおよそ7割の水準である。こうした格差が生ずるおもな要因は企業の雇用管理にある。昇進・昇格の際に女性の多くは男性よりも低い地位に置かれるため賃金も低くなる。企業のなかで課長以上の役職者についている女性はきわめて少数である。

 賃金や昇格などの男女差別の解消を実質的に推進しているのは、商社、メーカー、証券会社などに勤務する女性たちで、1990年代から裁判や国際世論(たとえば国連女性差別撤廃委員会CEDAW)に訴えるなどの運動に取り組んでいる。その際の論拠とされているのが「同一価値労働同一賃金原則」(同一の職務の場合はもとより、職務が異なる場合でも等しい価値をもっている仕事に従事しているならば、同一賃金を支給すべきとする原則)という理念である。

[伍賀一道]

男女雇用機会均等法の成立

1979年に国連で採択された女性差別撤廃条約は、雇用や労働条件など、あらゆる分野における性別役割分業に基づく男女差別を撤廃するとともに、母性保護の重要性を強調し、こうした措置を条約締結国がとることを求めている。日本は同条約を批准し、その趣旨にそって国内法を整備する必要に迫られた。1985年(昭和60)5月に成立した男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律。1986年4月施行)は、募集・採用や配置・昇進面での男女差別の排除について事業主に努力義務を課し、また教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇面での男女差別を禁止した(ただし、罰則規定はない)。しかし、こうした措置と引き換えに、従来、労働基準法で定められていた女子保護規定は大幅に緩和され、専門職や管理職の女性に対しては、時間外・休日労働、深夜業の制限は廃止された。

 男女雇用機会均等法の施行後も雇用管理面での男女差別は依然として残った。たとえば、採用にあたって企業は、管理職に昇進できるが転勤を伴う総合職コースと、転勤がないかわりに昇進もできない一般職コースに区分して、女性はもっぱら後者で採用するなどの例(間接差別)がみられた。

 1997年(平成9)6月に成立した改正男女雇用機会均等法(1999年4月施行)は、使用者に対して、募集・採用や配置・昇進の際の差別の排除を従来の努力義務から禁止規定に改めること、新たにセクシュアル・ハラスメントに対する防止措置を設けることなど、男女平等の促進を図ったが、それと引き換えに時間外・休日労働や深夜業の規制などの労働基準法の女子保護規定が全面的に撤廃された。時間外・休日労働や深夜業が日常化すると健康を害するおそれがあり、本来、男女を問わず可能な限り避けるべきであるが、こうした措置がとられず、女子保護規定を撤廃することで女性も男性と同様の働き方が可能となった。これをめぐって、女性の職場進出を促進すると考える見解と、逆に妨げることになるという見解とが対立している。

 2006年6月に成立した改正法(2007年4月施行)では、セクシュアル・ハラスメントに関して、それまで女性に限られていた保護対象が男性にまで拡大され、事業主には従来の「配慮義務」より強化された「措置義務」が課せられることになった。また、間接差別に関する概念が導入されたが、間接差別という用語が用いられているわけではなく、事業主の行う措置を禁止するという定め方をしている。

[伍賀一道]

『篠塚英子著『日本の女子労働』(1982・東洋経済新報社)』『竹中恵美子編『新・女子労働論』(1991・有斐閣)』『基礎経済科学研究所編『日本型企業社会と女性』(1995・青木書店)』『宮地光子著『平等への女たちの挑戦』(1996・明石書店)』『女性労働問題研究会編『女性労働 20世紀から21世紀へ』(2002・青木書店)』『木本喜美子著『女性労働とマネジメント』(2003・勁草書房)』『柴山恵美子・藤井治枝・守屋貴司編著『世界の女性労働――ジェンダー・バランス社会の創造へ』(2005・ミネルヴァ書房)』『森ます美著『日本の性差別賃金――同一価値労働同一賃金原則の可能性』(2005・有斐閣)』『厚生労働省雇用均等・児童家庭局編『女性労働の分析』各年版(21世紀職業財団)』『日本婦人団体連合会編『女性白書』各年版(ほるぷ出版)』『細井和喜蔵著『女工哀史』(岩波文庫)』『横山源之助著『日本の下層社会』(岩波文庫)』『熊沢誠著『女性労働と企業社会』(岩波新書)』

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改訂新版 世界大百科事典 「女性労働」の意味・わかりやすい解説

女性労働 (じょせいろうどう)

産業革命による機械制大工業の成立は,一方で機械が熟練や体力を不要にし,他方で家計補助の必要から,労働者家族の労働力の窮迫販売を余儀なくさせたことにより,女性の賃労働化に決定的意義をもった。一般に女性の労働が家計補助的労働であり,また男子労働者に比べて自己の要求を主張し実現する力が弱いことから,資本は低賃金や過度労働を強いることが可能となり,賃金をはじめ一般的な労働条件を引き下げる効果をもった。こうした女性労働の特質は,労働力の再生産をもっぱら労働者家庭の私的な家事労働にゆだね,これを妻の役割とする性別役割分業を内包した労働力商品化体制によって根本的に規定されている。女性労働が男性労働とちがって,単純労働でかつ家庭と職場を出入りする流動的な産業予備軍的性格をもち,労働市場の下層,内職などの苦汗産業に集中する特徴をもつゆえんである。先進国における女性の経済的地位が発展途上国に比べて相対的に高いのは,基本的には労働運動の強弱によるが,賃金水準の違いからくる生活の合理化,家事労働からの解放の程度の差,保育や介護などの社会施設などの整備,教育および技術の修得機会の増大,女性労働保護と労働条件の整備などが,ある程度前進してきているためである。第2次大戦後は先進資本主義国を中心に既婚女性の労働力化(とりわけパートタイマー化)が著しいが,女性労働のこのような性格は,基本的に克服されていない。

 日本の女性労働は,第2次大戦前には低い生活水準に基づく労働力の販売と身分制度や家父長的家族制度が加重されて,劣悪な労働条件のもとにあった。戦後は労働運動の発展によって,男女差別は部分的に撤廃されたが,なお差別的慣行は根強い。高度成長期以降,女性労働の増大は目ざましく,1995年の女性雇用者数は2048万人(総雇用者数の39%),うち既婚者が67%(非農林業)に達している。その雇用増の主力は,主婦層を中心としたパートタイマーであり,1960年から95年の35年間に女性パート労働者は57万人から632万人へと11倍に増加し,いまや女性雇用者総数の約40%に達している。新しい景気調節弁労働力として登場した女性パート労働者は,80年代以降,高まる経済のサービス化と労働のフレキシビリティ戦略によって,経営上の基幹労働力になりつつある。その他派遣労働,在宅勤務など,多様な雇用形態も広がりつつあるが,パート労働者と並ぶ非正規労働者として,不安定雇用としての性格を免れない。そのため男女賃金格差も,95年現在,男性を100として60%にとどまっている。

女性労働法規には,平等規定(男女同一価値労働同一賃金など)と保護規定(就業時間制限や母性保護など)の2側面がある。保護は資本にとって冗費と考えられるため,その実現にはたゆみない労働運動を必要とした。まず女性労働保護は歴史的には国家による労働時間規制に始まる。例えば先進資本主義国のイギリスでは,1802年法を起点に33年,34年の12時間法,47年の10時間法など,いずれも女性労働保護を内容とした。しかし自衛的組織のない弱い性に対する国家の保護としての性格をもったこれら保護法も,その後の女性労働運動の発展にともない,母性のもつ社会的機能を権利として積極的に位置づけ,母性機能をもつ女性が男性と対等に働きうる条件として,母性保護法は母性保障制度の拡充とともに展開された。国際的な母性保護基準のおもなものとして,ILO条約には,深夜業ならびに夜業の禁止(4号,41号,89号,171号),母性保護勧告(95号),社会保障の最低基準に関する条約(102号),母性保護に関する条約(103号)などがある。

 男女平等権としての男女同一労働同一賃金要求は,1889年の第二インターナショナル結成以前にもあらわれていたが,とくに第1次大戦中,女性労働者が男子に代わって重要産業部門に進出するにつれて,この要求が高まり,1919年のILO憲章でこの原則の重要性が宣言された。しかし同一価値労働についての男女労働者に対する同一報酬条約(100号),90号勧告として採択されたのは51年である。56年に国際婦人労働者会議が組織され,70年を前後してアメリカ(1963),イギリス(1970),フランス(1972)などで男女同等賃金法が相次いで成立した。1960年代以降,世界各国で男女平等要求が高まり,75年国際婦人年には,ILO第60回総会で女性労働者の機会および均等待遇のための〈宣言,行動計画〉が採択された。79年国連の〈女子差別撤廃条約〉の採択(1981成立)にともなって,ILOでは家庭責任は両性にあるという立場から,従来の保護法を見直して画期的な〈男女労働者,家族的責任を有する労働者の機会均等及び平等待遇に関する条約〉(156号)と165号勧告を採択した。つづく90年代には,〈パートタイム労働に関する条約〉(175号),勧告(182号),〈家内労働に関する条約〉(177号),勧告(184号)が採択された。こうしたなかで70年代半ば以降,各国でも男女雇用平等法が相次いで制定された。この平等については,機会の平等か,結果の平等か,また保護と平等をめぐっても意見の対立がある。しかし1995年の第4回世界女性会議で採択された行動綱領の趣旨にそって,各国の平等法も,一般女性保護(時間外労働,深夜労働など)を男女共通規定に移行させるとともに,男女同一価値労働同一賃金原則の履行,積極的措置(ポジティブ・アクション)など,実質的平等を実現するための法の強化がはかられつつある。とくにEU(ヨーロッパ連合)では,加盟国に対して平等政策の理事会指令や行動計画を策定し,司法機関としてのヨーロッパ裁判所は,判例で先進的な働きかけをしている。

 戦前日本の工場法(1911年,改正23年)は,労働時間11時間制度と女子深夜業禁止をおもな内容としていた。戦後の労働基準法の女性保護規定は,形式的には国際水準に達したが,その後の国際労働保護条約の進展によって,国際水準からの立遅れも目だつとともに,一方では平等実現のための保護見直しが必要であるとする見解も出され,女子差別撤廃条約を日本が批准したことにともなう国内法整備として,85年に男女雇用機会均等法が成立し,同時に労働基準法の女性保護規定を緩和する改正が行われた。また97年には〈均等法〉の改正とともに,女性保護規定の廃止が決定された。なお日本はILO条約100号,102号(ただし,母性保護の項目は,国内法は基準に達していない),156号を批准したが,まだ批准していない89号,103号,111号(雇用および職業についての差別待遇に関する条約),175号,177号の批准と,そのための国内法の整備が当面の課題である。
執筆者:

女性労働者の肉体的・生理的条件が男性労働者と異なっていることから,これまで労働基準法に女性労働者の保護規定が設けられていたが,1985年制定の男女雇用機会均等法の97年改正に伴って大きく変化した。つまり母性についてはできるかぎり保護をするが,母性時以外の女性についてはできるかぎり男性と平等にするという考えに基づき,女性労働者の保護規定のいくつかを削除し,男性と同じにした。

 その結果,1999年4月1日より,満18歳以上の女性について時間外,休日労働および深夜業の規制が廃止された。したがって女性も男性と同じだけの時間外労働,休日労働や深夜業が可能となる。ただ性別に関係なく育児や家族介護に従事する労働者の請求があれば,深夜業を免除する措置を事業主に義務づけている。しかし,坑内労働の満18歳以上の女性に対する禁止規定は残った。

 母性保護の点では,しだいにその保護が厚くなっている。まず産前産後の休業制度(出産休暇)があるが,多胎妊娠の場合の産前休業の期間が10週から14週に延長になった。多胎妊娠以外の産前休業の期間は6週間である。この期間は女性が休業を請求した場合には,使用者は女性を就業させることができない。また妊娠中の女性が請求する場合,軽易な業務に転換されなければならない。産後8週間を経過しない女性の場合には,その請求の有無に関係なく,その女性を就業させることができない。しかし,産後6週間を経過した女性が請求すれば,医師が支障がないと認めた業務に就かせることができる。次に,生理休暇制度があるが,これは生理日の就業が著しく困難な女性が請求した場合に,その者を就業させることが禁止されている。

 出産後育児が必要になるが,労働基準法では1歳未満の生児を育てる女性に,休暇時間の他に,1日2回それぞれ少なくとも30分の育児時間を請求することが認められている。その間女性を使用することが禁止されている。1995年育児休業法が制定されて,男性も女性も育児休業がとれるようになった。満1歳に満たない子を養育するために休業を申し出た場合,事業主は原則として,それを拒むことができない。さらに育児休業の申し出や取得を理由に解雇することができない。その間無給でもかまわないが,雇用保険法によって育児休業給付が支給されている。また申し出によって健康保険,厚生年金保険の保険料の支払いが免除される。さらに勤務時間を短縮して,育児と勤務との両立を図る措置も設けられている。

 性による差別は労働基準法4条によって,女性であることを理由とする賃金の差別的取扱いが禁止されている。この規定や民法90条,憲法14条の平等原則を活用することによって,賃金以外の性による差別問題に対処してきた。つまり女性の結婚退職制,出産退職制,若年退職制が合理的理由のないかぎり公序良俗に反して無効となった。しかし,それだけでは雇用平等実現には限界があり,より積極的に男女の雇用上の差別をなくすために男女雇用機会均等法が制定された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「女性労働」の意味・わかりやすい解説

女性労働
じょせいろうどう
female labor

1990年の全産業労働力人口は 6249万人で,総人口の 50.6%に相当するが,このうち女性労働力は 2536万人で,男性 3713万人との比率はほぼ2対3である。平均週間就業時間は男性約 50時間,女性 39時間で,これを一日当たりの労働時間に直すと,男性が 10時間働いているのに対して,女性は 7.8時間となる。日本の労働市場はすでに女性なくして成り立たない。特に農業,サービス業では女性が男性を上回っている。出生率の低下による将来の労働力不足に対応するには,女性労働力が今後ますます重要になってくるとみられている。

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世界大百科事典(旧版)内の女性労働の言及

【女性運動】より

…しかし,女性が男性と同等な立場で労働することは,資本からも男性労働者からも歓迎されなかった。資本は女性労働者を産業予備軍として景気変動の安全弁に利用し,労働組合は女性にだけ労働時間の短縮を含む諸規制を課することを要求し,女性運動を進める運動家たちと対立した。第1次,第2次両大戦には,女性は男性に代わってさまざまな職業に従事し,女性が労働者として能力をもつことを示した。…

※「女性労働」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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