妙徳寺(読み)みようとくじ

日本歴史地名大系 「妙徳寺」の解説

妙徳寺
みようとくじ

[現在地名]水戸市加倉井町

国道五〇号のやや北にある。隠井山高在院と号し、日蓮宗本尊は祖師像。境内中世の豪族加倉井氏の館跡で、土塁と空堀遺構がある。

永仁元年(一二九三)加倉井かくらいの領主波木井実氏が日高を開山として創建。実氏の母妙徳尼の菩提のためと伝える。実氏は日蓮の外護者として知られ、甲州波木井の豪族波木井(南部)実長の三男であった。


妙徳寺
みようとくじ

[現在地名]三木町平木

茶園ちやえんにある。日蓮宗。本尊は多宝如来・釈迦如来。安政三年(一八五六)の妙徳寺記録によると、貞治六年(一三六七)日教の開基といい、寺格は独御礼であったが、享保一九年(一七三四)には一代の御胞近となったという。「讃岐国名勝図会」には「今を去る事百年ばかり」前の洪水で当寺は流されたという古老の談を記す。宝暦一〇年(一七六〇)本堂建立(同一一年の棟札裏銘)によると、宝永七年(一七一〇)日意によって再興されたのち宝暦一〇年日徳によって再び建直され、そのとき瓦葺にしている。本堂内の宮殿に鬼子母神十羅刹女像など一一体がある。同像には截金模様もみられ、宮殿とともに江戸初期のものとされる。


妙徳寺
みようとくじ

[現在地名]大口町小口 宮ノ前

俗にしもだんと称する田畑の中にある。吉祥山と号し臨済宗妙心寺派。本尊は薬師如来坐像。俗に雷除けのお薬師さまと称している。「尾張志」に「此寺もと余野村徳林寺末なりしが、天明元年本山直末となれり、寺伝に文明七未年、小口の城主織田遠江守広近の開基。明応元子年、同城主織田伊勢守敏定の再興と記せり、されども徳林寺はかの山姥ものかたりの後の建立なれば、それより先つかたの文明七年に末寺の建立はおほつかなし」と記すが、徳林とくりん寺は文明元年(一四六九)織田広近の再建開基で年代の齟齬はない。


妙徳寺
みようとくじ

[現在地名]山陽町大字郡 野中

厚狭盆地を南流する厚狭川左岸野中のなかの丘にある。日蓮宗で清涼山と号し、本尊は十界大曼荼羅。

「注進案」によれば、天正一〇年(一五八二)毛利元就の八男でのち厚狭毛利家初代となった元康が開基となり、安芸国に滞在中であった本圀寺ほんこくじ(現京都市山科区)の日栖の閑居として建立したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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