宇和島(市)(読み)うわじま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇和島(市)」の意味・わかりやすい解説

宇和島(市)
うわじま

愛媛県南部、宇和海に臨む市。1921年(大正10)宇和島町と八幡(やわた)村が合併して市制施行。1934年(昭和9)九島村、1955年(昭和30)高光村、三浦村、1957年来村(くのむら)、1974年宇和海村を編入。2005年(平成17)吉田三間(みま)、津島の3町を合併。近世初頭までは板島(いたじま)とよばれた。関ヶ原の戦功により藤堂高虎(とうどうたかとら)が伊予半国20万石に封じられて板島丸串(まるぐし)城を修築、1615年(元和1)に伊達秀宗(だてひでむね)が宇和10万石で入り、まもなく宇和島と改称した。以後伊達氏宇和島藩城下町となった。宇和島湾奥のわずかな低地と小丘陵をもとに埋立てによる城下町の建設は、第二次世界大戦前まで市街地の骨格をなし、戦災復興によって新しい都市づくりが行われた。吉田地区は宇和島藩から分かれた吉田藩が置かれた地で、武家屋敷往時の町並みを再現した「国安(くにやす)の郷(さと)」がつくられている。

 宇和島駅はJR予讃(よさん)線の終着駅で、予土線と連絡する(路線としては北宇和島駅で接続)。出身者大和田建樹(たけき)の「鉄道唱歌」の碑が駅前にある。国道56号、320号、378号が通り、県内南部や宇和海離島などとの海陸交通の中心となっている。伊達氏、宇和島藩の歴史、文献を収蔵する伊達博物館があり、史跡も多い。明治以降、製糸をはじめ繊維工業の立地をみたが、戦後は食品加工、木工家具、造船業などが盛んとなった。商業が発展し、四国西南地域を市場としている。三間地区は米どころで、中山池など農業用溜池が多い。宇和海には藤原純友(すみとも)の遺跡をもつ日振島(ひぶりじま)がある。離島や津島地区ではハマチ養殖をはじめ漁業が盛んである。とくに真珠生産は全国的に有名である。国指定重要文化財として宇和島城天守、国指定名勝として天赦(てんしゃ)園があり、伊予神楽(かぐら)は国指定重要無形民俗文化財。市立歴史資料館(旧、宇和島警察署)は国の登録有形文化財。闘牛も知られている。和霊神社の大祭は「うわじま牛鬼まつり」としてにぎわう。三間地区には四国霊場第41番札所龍光寺、第42番札所仏木(ぶつもく)寺がある。また、津島地区の南楽園は四国最大の日本庭園として知られる。面積468.19平方キロメートル、人口7万0809(2020)。

[横山昭市]

『『宇和島市誌』全2巻(2005・宇和島市)』


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