密教の経典《宿曜経》(唐の不空訳)にもとづく星占い。二十八宿,十二宮,七曜,九曜など天体の運行を考え,生誕の日により,人間一生の運命を卜知(ぼくち)し,または日時,方角の吉凶を占察する術。仏教経典の《文殊師利菩薩(もんじゆしりぼさつ)及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経》(略して宿曜経)に説くところと,中国の道教の説が混じたものである。宿曜経は唐の不空によって,759年中国で訳出され,これが806年(大同1)に空海,847年(承和14)に円仁,858年(天安2)に円珍によって日本に伝えられた。本来この経は,密教の修法にあたって,その日時を選定するために用いられたものであるが,しだいに通俗化して,一般の吉凶禍福を占う場合にも用いられ,《百練(錬)抄》によると,1164年(長寛2)5月15日の月食にあたって暦道・宿曜道相論のことがある。《源氏物語》桐壺にも,源氏の運勢を〈宿曜のかしこき道の人〉(宿曜師)に見てもらったという記述があり,《吾妻鏡》によれば1263年(弘長3)11月16日,宗尊親王御息所(みやすどころ)の着帯に,僧職,医師,陰陽師とともに宿曜師大夫法眼晴尊が参仕していることが見られる。しかし後世になると陰陽道に混入してしまった。
→占星術
執筆者:三浦 国雄+勝野 隆信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
宿曜とは星宿(しょうしゅく)のことで、仏教の天文学。インドの天文学を母胎として唐代に完成された。早くも奈良時代に道鏡(どうきょう)がその達人であったといわれるが確証はなく、日本への伝来は平安初期に真言密教に伴うとするのが妥当である。宿曜経のほか文殊(もんじゅ)経、大集(だいじゅう)経、日蔵(にちぞう)経などを所依(しょえ)の経典とし、星を七曜、九執(しゅう)(九曜)、十二宮、二十八宿などに分かち、その運行によって人の運命の吉凶禍福を予知しようとする一種の占星(せんせい)術である。すでに中国で陰陽五行(いんようごぎょう)説の影響を受けているので陰陽道(おんみょうどう)の天文道と大差ないが、従事者はほとんど僧侶(そうりょ)で宿曜師といい、平安から中世にかけて陰陽師と区別された。最盛期は中世で、宿曜師の呪力(じゅりょく)は星の運行に働きかけて人間の運命を好転させると信じられ、俗信の有力な基盤の一つであった。
[下出積與]
宿曜師が行った星占いや祈祷の術。平安初期に西方起源の「宿曜経」「七曜攘災決(しちようじょうさいけつ)」「都利聿斯経(とりいつしきょう)」などの占星書が入唐僧によってもたらされたが,957年(天徳元)延暦寺僧日延(にちえん)が中国の符天暦(ふてんれき)を持ち帰って惑星の位置を推算できるようになり,占いや星祭の作法が確立されて宿曜道とよばれた。平安中期に盛行し,朝廷でも造暦や星祭の際に用いられた。室町中期になると衰え,戦国期には廃絶したとされる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…とくに泰親は〈さすのみこ〉といわれ,源平興亡の激動期には政局の前途を占ってよく的中し注目された。これに対して暦道は振るわず,反面算道や宿曜道(すくようどう)が進出した。宿曜道はがんらい中国で密教の星宿信仰と陰陽道が結びついたもので,僧侶が占星術を用いて人の運勢判断などを行い,奈良朝より盛んで空海が唐より宿曜経を伝えるにおよび,南都北嶺を中心にいよいよ発展し,仁海,法蔵,浄蔵ら卜占の名手を出した。…
※「宿曜道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加