(1)平曲の曲名。平物(ひらもの)。フシ物。高倉天皇のもとに小督という美女が居た。中宮が上がらせた女で琴の上手だった。小督には冷泉少将(れいぜいのしようしよう)が心を通わせていたが,帝に召されてからはすげない応対であった。中宮の父で少将の義父に当たる清盛が怒っていると小督は知り,ひそかに身を隠した。帝の嘆きはひと通りでなく,夜は月ばかりを眺めていた(〈中音(ちゆうおん)〉)。八月十五夜の夜更け,源仲国が帝に召され,嵯峨野にあるらしい小督の隠れ家を訪ねるように命じられた。仲国は御所に笛の役で出仕したおりに小督の琴と合奏したことがあった。今夜は名月だから小督は琴を弾くに違いないと思いつつ,仲国は馬を走らせた。牡鹿鳴くこの山里と和歌に詠じられた嵯峨野の秋は,もののあわれもひとしおだったが,片折戸の小邸をつぎつぎに回ってみても琴の音はなかった(〈中音・初重(しよじゆう)〉)。もしやと法輪寺の方へ行くと物音が聞こえる。峰の嵐か松風かと近づくとまさしく小督の琴の音で,しかも夫を思って恋うという名の想夫恋(そうふれん)の曲だった(〈三重(さんじゆう)〉)。仲国はおして対面し,帝の御心を伝え,返事を受けて邸を出た。内裏では帝が夜を明かして待っていたので,委細を奏上し,また勅命によって後日小督を連れ戻って内裏の片隅に忍ばせた。やがて姫宮が誕生したが,清盛の知るところとなり,小督は尼にさせられた。この件が原因でか帝は病死した。帝の父後白河法皇は,〈悲しみの至って悲しきは,老いて後子に後れたるより悲しきはなし……〉という詩を思い起こした(〈三重〉)。平曲の中でもっとも長文の曲の一つで,中音・三重などが聞きどころ。(2)能の曲名。四番目物。現在物。作者不明。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作ともいう。シテは源仲国。仲国が勅命を受けるところから,小督(ツレ)の隠れ家を辞去するところまで平曲の筋を舞台化した能だが,辞去の前に仲国が杯を受けて舞を舞うというように仕立ててある。嵯峨野を馬上で尋ね回る所(〈駒ノ段〉),帝の心を知った小督の感慨(〈クセ〉),仲国の舞(〈男舞〉)が中心。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。四番目物。五流現行曲。金春禅竹(こんぱるぜんちく)作。『平家物語』巻6の「小督事」によった叙情的な現在能である。平清盛(きよもり)を恐れて身を隠した小督の局(つぼね)のことを深く嘆かれる高倉(たかくら)天皇。勅使(ワキ)は弾正大弼仲国(だんじょうのだいひつなかくに)(シテ)にその捜索を命ずる。場面は嵯峨野(さがの)に変わり、小督(ツレ)と侍女がわびしく住んでいる。宿の主が都の高貴な女性を泊めていることを語り、名月の夜とて琴を所望する。小督の身の上の嘆き。後シテは馬上の態で登場。「駒(こま)の段」とよばれ、月下の嵯峨野の描写が美しい。『想夫恋(そうぶれん)』の琴の音を聞きつけ、仲国は案内を請い、身分を明かそうとせぬ小督に天皇の嘆きを伝え、御書を渡す。玄宗と楊貴妃(ようきひ)の悲恋を引いて、つらい小督の恋心が語られ、仲国は小督に宮中へ帰られるよう説得する。直接の返事を手にした仲国は、別れの宴にさわやかに舞う。
これを箏曲(そうきょく)に写した山田流の大曲に、山田検校(けんぎょう)作曲『小督』がある。また、新歌舞伎(かぶき)十八番に福地桜痴(おうち)作『雪月花三景(みつのながめ)』(通称「仲国」)があり、長唄(ながうた)にも『嵯峨秋』があるが、ともに明治期の作である。
[増田正造]
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