20世紀日本人名事典 「岡本 綺堂」の解説
岡本 綺堂
オカモト キドウ
- 生年
- 明治5年10月15日(1872年)
- 没年
- 昭和14(1939)年3月1日
- 出生地
- 東京・芝高輪(現・東京都港区)
- 本名
- 岡本 敬二
- 別名
- 別号=狂綺堂,甲字楼主人
- 学歴〔年〕
- 東京府中学校〔明治22年〕卒
- 経歴
- 明治22年中学卒業と同時に東京日日新聞社に入社。のち中央新聞社、絵入日報社、東京新聞社と移り、36年東京日日新聞社に再勤し、39年東京毎日新聞社に移る。その間、劇評の傍ら劇作に励み、29年に「紫宸殿」を発表。41年2代目市川左団次のために「維新前後」を執筆し、明治座で上演される。つづいて44年「修禅寺物語」が上演され、新時代劇の作家として注目をあび、以後いわゆる“新歌舞伎”と呼ばれる新作を数多く発表。小説も執筆し、大正5年から「半七捕物帳」を発表、捕物帳の先駆を作る。戯曲の代表作としては「修禅寺物語」「室町御所」「鳥辺山心中」「番町皿屋敷」「権三と助十」「相馬の金さん」などがある。昭和5年「舞台」を創刊し、後進に作品発表の場を与え、12年帝国芸術院会員となった。一方、東日在社時代より句作を手がけ、同僚星野麦人主宰の「木太刀」選者を務めた。俳句・漢詩集「独吟」、「岡本綺堂日記」、「綺堂戯曲集」(全14巻 春陽堂)、「岡本綺堂劇曲選集」(全8巻 青蛙房)、「岡本綺堂読物選集」(全8巻 青蛙房)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報