岩木山の東南麓、
「津軽一統志」に
とある。
岩木山を神体として信仰することは古くから行われてきたが、その創立については種々の伝承がある。永保年間(一〇八一―八四)丹後
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
青森県弘前市に鎮座。旧国幣小社。顕国玉(うつしくにたま)神,多都比売(たつひめ)神,宇賀能売(うかのめ)神,大山祇(おおやまづみ)神,坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)命をまつり,桓武朝に坂上田村麻呂が創建したと伝えるが,本来は岩木山(いわきさん)自体を神とする信仰に発し,顕国玉神は国魂(くにたま)神で主祭神である。室町時代には北畠氏が,戦国時代には大浦氏が社殿を造営したといい,津軽(大浦)氏が代々崇敬し社殿を修造した。現社殿は1847年(弘化4)の築造で〈奥の日光〉の称がある。例祭は旧8月1日。〈岩木山詣〉〈お山参詣〉といって,白装束に御幣を持って神社に参拝し,山頂の奥宮に笛・太鼓を鳴らし唱えことばを発して登る。近世,岩木判官伝説すなわち安寿・厨子王の説話が結びつき盛行した。
執筆者:新野 直吉
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青森県弘前(ひろさき)市百沢(ひゃくざわ)寺沢に鎮座。顕国玉神(うつしくにたまのかみ)、多都比姫神(たつひひめのかみ)、宇賀能売神(うかのめのかみ)の3神を主祭神とし、大山祇神(おおやまつみのかみ)、坂上苅田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)を配祀(はいし)する。創建年代は不詳。社伝では、800年(延暦19)坂上田村麻呂(たむらまろ)の創建と伝える。中世以降武門の崇敬厚く、津軽一宮、津軽総鎮守と称された。とくに初代弘前(ひろさき)藩主津軽為信(ためのぶ)から4代信政(のぶまさ)に至る歴代藩主によって造営された華麗な社殿は「奥の日光」ともよばれ、国の重要文化財に指定されている。古くは岩木三所大権現(だいごんげん)と称し、別当百沢寺(ひゃくたくじ)の支配下にあったが、明治の神仏分離により百沢寺および諸堂は廃絶した。旧国幣小社。例祭は旧暦8月1日。例祭日を中心に行われる山頂奥宮への「お山参詣(さんけい)」は、津軽地方の年中行事として有名である。
[高橋美由紀]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…同社の鎮火祭は,祭場を庭上に設け,鎮火の儀は,庭上の火の上るのを待って,川菜を投じ,水をそそぎ,土をもって火を埋める。このほか,祭儀の方法は異なるが,青森県の岩木山(いわきやま)神社,大阪市の生国魂(いくくにたま)神社,島根県の物部(もののべ)神社,東京都台東区の秋葉神社などでも行われる。【沼部 春友】。…
※「岩木山神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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