岸沢式佐(5代)(読み)きしざわ・しきさ

朝日日本歴史人物事典 「岸沢式佐(5代)」の解説

岸沢式佐(5代)

没年:慶応2.12.19(1867.1.24)
生年:文化3(1806)
江戸後期の常磐津節三味線方。4代目式佐の子で名は仲助。文政5(1822)年4代目式佐が名古屋で客死したのち,2代目岸沢右和左(3代目式佐)と跡目争いとなったが,8年11月中村座で5代目式佐を襲名。天保4(1833)年6月両国中村屋で襲名披露,5年名古屋にて4代目の十三回忌追善を行った。嘉永6(1853)年4代目古式部と改名,常磐津豊後大掾(4代目文字太夫)とのコンビで常磐津節は隆盛を誇った。「三世相」の功績をめぐって両者は不和となり,万延1(1860)年常磐津・岸沢両派は分裂し,6代目式佐の三味線で立語りとなった。元治1(1864)年竹遊斎を名乗った。作曲に優れ,現存の常磐津節の名曲の大半はこの人の作曲である。主な作品は「角兵衛」(1828),「将門」(1836),「靱猿」(1838),「三人生酔」(1838),「乗合船」(1843),「どんつく」(1846),「勢獅子」(1851),「薪荷雪間市川」(1848)。<参考文献>岩沙慎一『江戸豊後浄瑠璃史』

(安田文吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸沢式佐(5代)」の解説

岸沢式佐(5代) きしざわ-しきさ

1806-1867* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
文化3年生まれ。4代岸沢式佐の子。文政8年3代式佐との家元相続争いにかち,岸沢派5代目を襲名。近世名人といわれる。嘉永(かえい)6年4代古式部を襲名。万延元年初代常磐津豊後大掾(ときわず-ぶんごのだいじょう)(4代文字太夫)と不和になり,分離独立し,竹遊斎と改名した。慶応2年12月19日死去。61歳。本名は仲助。作品に「角兵衛」「将門(まさかど)」「乗合船」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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