朝日日本歴史人物事典 「嵐三右衛門(初代)」の解説
嵐三右衛門(初代)
生年:寛永12(1635)
江戸前期の立役の歌舞伎役者。俳名三楽。摂州西宮(兵庫県西宮市)の浪人で,江戸で魚問屋を営んでいた西崎新平の子。本名西崎三右衛門。江戸で丸小三右衛門と称していたが,寛永ごろ「小夜嵐」という狂言が当たり,名を嵐と改める。延宝(1673~81)ごろ上方に上り座本を勤め活躍した。延宝8年,京北側芝居で伊藤小太夫と共演した「吉野身請」は大当たりをとった。やつし事の名人と呼ばれた鈴木平左衛門に芸風を学び,六法(歩き方を様式化した荒事の一種)や濡れ事,やつし事を得意とした立役で,上方における元禄歌舞伎の基礎を作った。2代目,3代目も有名で,初代同様大坂で座本を勤めた立役であり,以後昭和期まで11代を数える。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『日本庶民文化史料集成』6巻
(北川博子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報