


なり」とし、「人の規
(きく)
るに象るなり。巫と同
なり」とする。巫のもつところは、左・
(尋)・隱(隠)の字形に含まれる工と同じく、神事に用いる呪具。工具の工は、金文に鍛冶の台の形にみえるものがあり、巫祝の用いるものとは異なるものであろう。金文の〔明公
(めいこうき)〕に「魯侯に
工(えうこう)
(あ)り」とは、祝
の功あるをいい、また〔詩、小雅、楚茨〕「工
(いの)ることを致す」、〔詩、周頌、臣工〕「嗟嗟(ああ)臣工 爾(なんぢ)の
(宮)に在るを
(つつし)め」とある工祝は巫祝、臣工は神事につかえるものであった。〔書、酒誥〕に「宗工」「百宗工」の名があり、これも神事を主とするものであろうが、のち百工・百官の意となった。西周後期の〔伊
(いき)〕に「康宮の王の臣妾・百工を官
(司)せよ」とあるのは、宮
に隷属する職能的品部をさすものであろう。
(巨)をこの部に属し、前部には左、後部には
(てん)・巫を連ねる。
は定規で工作の器。工の中間に把握のところを加えた形。巫祝の用いる工にはそのような把手を加えることがなく、巫祝の工と工作の工とは、もと別事異物である。ただその形が似ているので、のち通用するに至ったのであろう。
(きよう)・攻・
(空)・江・紅・功など二十字を収める。
・攻・功は工具の意をとるが、
・江は虹のようにゆるく彎曲する形をとるもので、虹の象形。巫祝・工具の工とは、また別系である。
khongは中空で彎曲する形のもの。金文の工にも、下の画を彎曲した形に作るものがある。出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…元来は中国の古典に起源する言葉であるが,近世の国制を中国古代の封建制になぞらえて理解しようとした儒学者などによって使用されたのをきっかけに,江戸時代の国家,社会に関する支配イデオロギー上の重要なキーワードとして広く一般に使用されるようになった。中国の古典では,士農工商の四民は国の石民,すなわち国の本で柱の礎石のごとくであり(《管子》),また学をもって位に就いている者を士といい,土地を耕して穀物を作るのを農といい,技巧をふるって器物を作るのを工といい,財貨を流通させる者を商という(《漢書》)とされている。日本では《神皇正統記》が《漢書》と同じ意味で四民という言葉を使っているが,士を官に仕えるものとするなど,兵農分離以前のこの段階では中国の概念の直訳にとどまっている。…
※「工」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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