常陸大宮(読み)ヒタチオオミヤ

デジタル大辞泉 「常陸大宮」の意味・読み・例文・類語

ひたちおおみや〔ひたちおほみや〕【常陸大宮】

茨城県北西部、那珂なか中流にある市。稲作ほか、ねぎ・椎茸の栽培が盛ん。平成16年(2004)大宮町御前山ごぜんやま村、山方やまがた町、美和村緒川おがわ村が編入合併して市制施行。人口4.5万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「常陸大宮」の意味・読み・例文・類語

ひたちおおみやひたちおほみや【常陸大宮】

  1. 茨城県北西部の地名。久慈川および那珂川の中流域を占める。JR水郡線が通じる。平成一六年(二〇〇四)市制。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「常陸大宮」の意味・わかりやすい解説

常陸大宮(市)
ひたちおおみや

茨城県北部にある市。2004年(平成16)、那珂(なか)郡大宮町に山方町(やまがたまち)、美和村(みわむら)、緒川村(おがわむら)、東茨城郡の御前山村(ごぜんやまむら)が編入して市制施行、常陸大宮市となった。市域には、久慈(くじ)川と那珂川が流れ、八溝(やみぞ)山地と久慈山地をもつ山間地域、沿岸低地、河岸段丘、丘陵山地よりなる。西部は栃木県に接する。JR水郡(すいぐん)線、国道118号、123号、293号が通じる。中世には長く佐竹氏が支配し、近世は水戸藩領となる。山方南郷(なんごう)街道の宿場として、また久慈川と那珂川の各水運を結ぶ河岸町(かしまち)として栄えた。伊勢畑には下野(しもつけ)薬師寺別当(べっとう)に左遷された道鏡(どうきょう)にまつわる伝説が残り、那珂川北岸の野口には水戸藩の郷校(ごうこう)時雍館(じようかん)跡がある。

 近世以来、辰ノ口江堰(たつのくちえぜき)、岩崎江堰、小場(おば)江堰などの水利灌漑(かんがい)施設で水田が開けた。ナス、ネギ、コンニャクソバシイタケなどの野菜栽培や、養鶏、肉牛飼育が盛ん。山間部では林業が中心。砕石、砂利、木材、木炭、和紙の産もある。奥久慈の入口として交通上の要地であり、商業も発達。1960年代以降、電機、精密機械などの機械工業が増加し、南部の若林に水戸北部中核工業団地も造成(1991)され、さらに企業が進出した。農林水産省の放射線育種場(現、農業生物資源研究所放射線育種場)がある。なお、伝統的に手漉(す)き和紙づくりが盛んであり、江戸時代にはコウゾをつくり和紙を多く産した。とくに「西の内紙」は、工芸技術として国の選択無形文化財に指定され、舟生(ふにゅう)には「紙のさと和紙資料館」がある。また、諸沢(もろざわ)は、江戸後期、コンニャクの粉末化技術を開発した中島藤右衛門(なかじまとうえもん)の出生地。奥久慈県立自然公園御前山県立自然公園に属し、御前山青少年旅行村、大宮自然公園、辰ノ口親水公園がある。ほかに、プラネタリウム、森林科学館、アスレチックコースなどを備えた多目的施設「パークアルカディア」、キャンプ場、淡水魚館などがある。面積348.45平方キロメートル、人口3万9267(2020)。

[編集部]


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改訂新版 世界大百科事典 「常陸大宮」の意味・わかりやすい解説

常陸大宮[市] (ひたちおおみや)

茨城県北西部の市。2004年10月山方(やまがた)町と緒川(おがわ),御前山(ごぜんやま),美和(みわ)の3村が大宮町に編入され,大宮町が常陸大宮市と名称変更し市制。人口4万5178(2010)。

常陸大宮市南東部の旧町。旧那珂郡所属。人口2万7126(2000)。町域は久慈川と那珂川にはさまれた台地と丘陵からなり,両川と久慈川支流の玉川沿岸に水田が開ける。中心集落の大宮は中世に部垂(へたれ)城が置かれたところで,江戸時代は水戸へ通ずる街道の宿場町,周辺農村の商業中心であった。現在も商業活動が盛んで,地方行政機関も集中する。農業は米作のほか葉タバコが栽培されている。肉用牛の飼育が行われ,県立大家畜経営センター(現,茨城県畜産センター肉用牛研究所)が置かれている。南部の丘陵には1962年につくられた農林水産省放射線育種場(γ-フィールド。現,独立行政法人農業生物資源研究所の放射線育種場)がある。近年,水戸北部中核工業団地がつくられている。JR水郡線が通じる。

常陸大宮市西部の旧村。旧那珂郡所属。人口4750(2000)。八溝(やみぞ)山地にあり,東部を那珂川の支流緒川が流れる。村域の6割が山林で,耕地は1割にすぎない。小規模な兼業農家が多く,かつては製炭と葉タバコ栽培が中心であったが,近年は畜産やシイタケ栽培が行われている。人口の流出が著しく,1970年には過疎地域の指定を受けた。明治初年,地租改正に反対する農民一揆〈小瀬騒動〉がこの村で起こっている。

常陸大宮市南西部の旧村。旧東茨城郡所属。人口4428(2000)。八溝山地縁辺の丘陵地を占め,中央部を那珂川が東流し,西は栃木県と接する。江戸時代は水戸藩領で,江戸後期に水戸藩の郷校の一つ時雍館(じようかん)が置かれ,幕末には天狗党の乱の陣地ともなった。1960年代に人口流出が著しく,70年に過疎地域の指定を受けた。シイタケ栽培が行われる。旧緒川村にかけ日野自動車のテストコースがある。御前山県立自然公園に含まれ,近年は観光開発に力が注がれている。下伊勢畑の相川にはラジウム鉱泉がある。

常陸大宮市北西部の旧村。旧那珂郡所属。人口4612(2000)。八溝山地の鷲子(とりのこ)山南東麓を占め,西は栃木県に接する。那珂川支流の緒川が中央部を流れ,南部を国道293号線が横断する。江戸時代に鷲子紙(鳥の子紙)と呼ばれた手すき和紙の生産が盛んとなり,紙商人の往来でにぎわった。明治以降,洋紙におされて生産は衰退し,代わって葉タバコやコンニャクが生産された。近年はシイタケ栽培が盛ん。林業も古くから盛んで,杉,ヒノキの造林がすすみ,製材業が行われる。1950年ころまでは馬や羊が飼育されていた。50年代後半以降,人口流出が著しく,70年には過疎地域の指定を受けた。吉田神社の三浦杉(天)は周囲10m,枝下28m,樹高59mの巨木である。

常陸大宮市北東部の旧町。旧那珂郡所属。人口8048(2000)。久慈川中流域にあり,周辺は男体山(654m)につづく山地や鷲子山塊などに囲まれる。久慈川沿いにJR水郡線,国道118号線が通じている。中心集落山方は近世には水戸と郡山を結ぶ街道の宿場町として,また久慈川舟運の要地として発達した。江戸時代からの伝統をもつコンニャクと西の内紙といわれる手すき和紙の特産がある。1960年代以降人口流出が進み,70年には過疎地域の指定を受けた。奥久慈県立自然公園の入口にあり,観光開発をはかっている。久慈川はアユの好釣場として知られる。

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百科事典マイペディア 「常陸大宮」の意味・わかりやすい解説

常陸大宮[市]【ひたちおおみや】

茨城県北部の市。市内を那珂川と久慈川が流れる。2004年10月東茨城郡御前山村,那珂郡大宮町,山方町,美和村,緒川村が合併し市制。JR水郡線,国道118号線,293号線が通じる。東日本大震災で,市内において被害が発生。348.45km2。4万5178人(2010)。

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デジタル大辞泉プラス 「常陸大宮」の解説

常陸大宮

茨城県常陸大宮市にある道の駅。国道118号に沿う。体験農園、バーベキュー施設などがある。愛称は「かわプラザ」。

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