平田寺
へいでんじ
[現在地名]相良町大江
南に延びる丘陵西側の麓にある。吸江山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は釈迦如来。平田寺草創記(平田寺文書)によれば、無学祖元の孫弟子龍峯宏雲(上杉頼重の子、足利尊氏の叔父)が開いたという。しかし「扶桑五山記」は開山を無学祖元の法嗣高峰顕日とする。開基は上杉憲藤という(相良史)。永仁四年(一二九六)五月一三日の伏見天皇綸旨(平田寺文書)の宛所に「□田院上人」とみえ、一条三位(実連)が菊河宿(現金谷町)接待所領として寄進した相良庄内の田一〇〇町と屋敷一所を妙円(一条三位妻)に安堵したことを伝えるよう平田寺の前身平田院住持(龍峯宏雲)に命じている。平田寺草創記によれば、永仁元年に一条三位が私田八〇町と山林河海を寄進し伽藍を造営した。病床に伏せった三位は同四年三月、宏雲とその弟子となった子息(空叟智玄)を上洛させ五月に前述の綸旨を与えられた。同年一条三位は智玄に平田院の後事を託して没し、道場院殿一条黄門覚公大禅定門と号し、妻は剃髪して妙円大姉といったという。
平田寺
へいでんじ
[現在地名]西春町九之坪 宮前
大雲山と号し、曹洞宗。本尊阿弥陀如来。永禄七年(一五六四)平田城(現名古屋市)城主平田和泉守(元亀二年没)の開基で、開山は玄作。草創当時は天台宗。寺号は平田和泉守の法号「平田寺殿前泉州大守麟嶽宗竜大居士」によるといわれるが、幡豆郡吉良町の海蔵寺に「勧進僧宗重 尾張国春日郡 平田寺 暦応二年二月日」銘の雲版があり、その創建と寺号は少なくとも南北朝初期にさかのぼる。慶長九年(一六〇四)晦岩義雲が再興し、師の雲興寺(現瀬戸市)一四世居雲宗準を請じて中興開山とし、曹洞宗に改めた。これより先、玄作の代に豊臣秀吉より朱印地三〇〇石(「徇行記」は五二石とする)を受領したという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
Sponserd by 
平田(へいでん)寺
静岡県牧之原市、荻間川の河口近くの丘陵地の麓にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は吸江山、本尊は釈迦如来。国宝の聖武天皇勅書を所蔵。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
Sponserd by 