幸祥光(読み)コウヨシミツ

デジタル大辞泉 「幸祥光」の意味・読み・例文・類語

こう‐よしみつ〔カウ‐〕【幸祥光】

[1892~1977]能楽師小鼓方幸流16世宗家東京の生まれ。明治から昭和にかけて不世出の名人とうたわれた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「幸祥光」の意味・わかりやすい解説

幸祥光
こうよしみつ

[生]1892.11.16. 東京,東京
[没]1977.4.6. 東京
幸流小鼓方の能楽師。16世宗家。本名正寿。前名幸五郎,幸悟朗。神谷直方の五男。1902年三須平司の養嗣子となり,養父養祖父三須錦吾師事。1904年『田村』で初舞台。1909年『道成寺』を初演,幸流の芸事を相続して幸姓を名のる。1930年に幸家へ入籍。1949年『江口』,1963年『放下僧』の一調で芸術祭賞,1969年『松風』で芸術祭賞優秀賞。1955年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。1965年日本芸術院会員に就任。明治から昭和にかけて,大鼓川崎九淵とともに囃子界の最高峰とされた。長男幸正影著書に『幸流小鼓入門』(1943),『小鼓とともに』(1968),『幸流小鼓正譜』(1966~77)がある。(→

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改訂新版 世界大百科事典 「幸祥光」の意味・わかりやすい解説

幸祥光 (こうよしみつ)
生没年:1892-1977(明治25-昭和52)

能楽小鼓方幸流16世宗家。旧姓は神谷。前名は五郎,悟朗。東京生れ。1902年望まれて小鼓方幸流三須(みす)平司の養嗣子となり,養父と養祖父三須錦吾に師事。09年宗家の芸事を継承,30年入籍。33年東京音楽学校教務嘱託。天賦の才に恵まれ,音色の美しさと間拍子の確かさは比類なく,明治・大正・昭和の3代を通して大鼓の川崎九淵とならび囃子方の最高峰として尊崇を集めた。48年東京囃子科協議会会長,55年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定,65年芸術院会員。著書に《小鼓入門》《小鼓とともに》ほかがある。なお,長男の幸正影(まさかげ)(本名三須錦吾,1924-95)が17世宗家を継承した。
幸流
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「幸祥光」の意味・わかりやすい解説

幸祥光
こうよしみつ
(1892―1977)

能楽師。幸(こう)流小鼓(こつづみ)方。宗家16世。東京生まれ。1902年(明治35)旧豊後(ぶんご)(大分県)中川藩抱え小鼓方三須錦吾(みすきんご)の長男平司の養子となる。前名五郎、悟朗。04年初舞台。09年幸流を再興。30年(昭和5)宗家へ入籍。55年重要無形文化財保持者に認定。65年日本芸術院会員。天賦の才能に恵まれて音色の美しさは比類なく、晩年は技術を超越した高い芸境を示し、希代の名人と称された。著書『小鼓とともに』(1968)がある。

[小林 責]

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百科事典マイペディア 「幸祥光」の意味・わかりやすい解説

幸祥光【こうよしみつ】

能楽師。幸流小鼓方16世宗家。旧姓神谷。前名悟朗。幸流小鼓方の三須平司の養子。少年時代から抜群の技量を示す。17歳の時,五流宗家の推薦で幸流宗家を継承。大鼓の川崎久淵との名コンビで名を馳せた。1955年人間国宝,1965年芸術院会員。
→関連項目川崎九淵

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「幸祥光」の解説

幸祥光 こう-よしみつ

1892-1977 明治-昭和時代の能楽師小鼓(こつづみ)方。
明治25年11月16日生まれ。35年幸流の三須(みす)錦吾の長男平司の養子となり,養祖父と養父に師事。42年宗家16代をつぐ。音色のうつくしさと絶妙な間のもちかたで他の追随をゆるさず,名人と称された。昭和30年人間国宝。40年芸術院会員。昭和52年4月6日死去。84歳。東京出身。旧姓は神谷。前名は五郎,悟朗。著作に「小鼓とともに」など。

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