寺伝では、天慶元年(九三八)に良源(元三大師・慈恵大師)が北山に創建し、与願金剛院と称したが、寛元三年(一二四五)後嵯峨天皇の勅によって
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市上京区にある円浄宗の本山。山号は日本廬山。938年(天慶1)良源が開創し与願金剛院と称したと伝えるが,不詳。1245年(寛元3)住心房覚瑜(かくゆ)が出雲路に寺を建て廬山と号し,本光が草庵を北小路に結んで講席を開き,明導が両師の跡を継いで2寺を併せたといい,寺地は一条猪熊(いのくま)にあった。明導と次の実導は,ともに法曼流の密教宗と西山流の浄土教を受け,教学を振興させたので,その法流を廬山寺流という。1569年(永禄12)類焼したときの再建の勧進状に,当寺は〈洛中の叡山,日本の虎渓〉であると述べている。天正年間(1573-92)豊臣秀吉の都市計画にしたがい現在地に移転した。江戸時代の寺領は57石。境内には閑院宮家の皇子女の墓が多い。もとは天台・真言・律・浄土の四宗兼学で,近世は天台宗に属したが,1948年円浄宗を立て,その本山となった。毎年2月の節分に,赤・青・黒の鬼が本尊の前で踊る珍しい行事があり,〈鬼の法楽〉と呼ばれる。寺宝の〈慈恵大師自筆遺告〉は国宝に指定されている。
執筆者:中井 真孝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市上京(かみぎょう)区北之辺(きたのべ)町にある円浄宗の本山。日本廬山と号する。本尊は元三(がんさん)大師自作像。938年(天慶1)元三大師(慈慧(じえ)大師良源(りょうげん))が北山に与願金剛(よがんこんごう)院を開いたのが始まりという。1245年(寛元3)船岡山南麓(ろく)に移り、覚瑜(かくゆ)が再興。寺号も廬山天台講寺となった。その後応仁(おうにん)の乱などで火災にあい、現在地に移転した。寺宝の慈慧大師自筆遺告は国宝。絹本着色普賢十羅刹(ふげんじゅうらせつ)女像、木造如意輪観音半跏(にょいりんかんのんはんか)像、紙本墨書後伏見(ごふしみ)天皇宸翰(しんかん)御願文、紙本墨書選択(せんじゃく)集、紙本墨書正親町(おおぎまち)天皇宸翰女房奉書、慈慧大師二十六箇条起請は国重要文化財に指定されている。現在地は紫式部の住居跡である。節分会に行われる「鬼の法楽(ほうらく)」とよばれる悪疫退散は有名。
[田村晃祐]
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