廬山寺(読み)ロザンジ

デジタル大辞泉 「廬山寺」の意味・読み・例文・類語

ろざん‐じ【廬山寺】

京都市上京区にある円浄宗(もと天台宗)の本山。天慶元年(938)良源が北山に創建、与願金剛院と称した。のち、船岡山の南に再興し、廬山天台講寺と改称。その後度々火災にあい、天正元年(1573)現在地に移転。

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精選版 日本国語大辞典 「廬山寺」の意味・読み・例文・類語

ろざん‐じ【廬山寺】

  1. 京都市上京区北之辺町にある円浄宗の大本山。もと天台宗。正式名は日本廬山天台講寺。天慶元年(九三八)良源が北山に創建したと伝え、初めは与願金剛院という。寛元年間(一二四三‐四七)船岡山の南麓に移り覚瑜が再興。中国廬山にならって蓮社を結び布教・教化に努めた。天正年間(一五七三‐九二豊臣秀吉の命で現在地に移転。慈慧大師自筆遺告は国宝。

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日本歴史地名大系 「廬山寺」の解説

廬山寺
ろざんじ

[現在地名]上京区北之辺町

山門は寺町てらまち通に西面する。円浄宗の本山。山号は日本廬山、本尊は薬師如来

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔成立〕

寺伝では、天慶元年(九三八)に良源(元三大師・慈恵大師)が北山に創建し、与願金剛院と称したが、寛元三年(一二四五)後嵯峨天皇の勅によって船岡ふなおか山の南麓に移転、住心房覚瑜が中興となって再建した。このとき中国の廬山の恵遠が住心房の戒香薫修に応じて来現し、廬山の二字を残して姿を消したことにより寺名を廬山天台講寺と改め、天台の別院となり、天台・法相・真言律・浄土の四宗兼学寺院となったという。「廬山寺住持次第」(山城名勝志)は本願を住心、開山を本光禅仙とし、住心が出雲路いずもじに仏閣を建てて廬山と号し、本光は草庵をきた小路に結んで道場を開き、明導が二人の跡を伝領し、二ヵ寺を一処に併せたという(「山州名跡志」はこれを元亨頃とする)。廬山寺は複数寺院を統合して成立したものであろう。この寺地について「山州名跡志」は「猪隈一条北」と記し、応仁の乱以後の景観を描くとされる中昔京師地図には現上京区中社なかやしろ町付近に「廬山寺」とみえる。

〔洛中の叡山〕

応安元年(一三六八)明導の死後、実導が継承し、その法流は廬山寺流といわれた。室町時代には「応仁記」に「廬山寺ノ南一条大宮ハ細川備中守ガ館也」とあり、「蔗軒日録」には廬山寺の照提(証提)備州や防州に出向いていることが記される(文明一七年二月二九日条・同一八年八月二五日条)

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改訂新版 世界大百科事典 「廬山寺」の意味・わかりやすい解説

廬山寺 (ろざんじ)

京都市上京区にある円浄宗の本山。山号は日本廬山。938年(天慶1)良源が開創し与願金剛院と称したと伝えるが,不詳。1245年(寛元3)住心房覚瑜(かくゆ)が出雲路に寺を建て廬山と号し,本光が草庵を北小路に結んで講席を開き,明導が両師の跡を継いで2寺を併せたといい,寺地は一条猪熊(いのくま)にあった。明導と次の実導は,ともに法曼流の密教宗と西山流の浄土教を受け,教学を振興させたので,その法流を廬山寺流という。1569年(永禄12)類焼したときの再建の勧進状に,当寺は〈洛中の叡山,日本の虎渓〉であると述べている。天正年間(1573-92)豊臣秀吉の都市計画にしたがい現在地に移転した。江戸時代の寺領は57石。境内には閑院宮家の皇子女の墓が多い。もとは天台・真言・律・浄土の四宗兼学で,近世は天台宗に属したが,1948年円浄宗を立て,その本山となった。毎年2月の節分に,赤・青・黒の鬼が本尊の前で踊る珍しい行事があり,〈鬼の法楽〉と呼ばれる。寺宝の〈慈恵大師自筆遺告〉は国宝に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「廬山寺」の意味・わかりやすい解説

廬山寺
ろざんじ

京都市上京(かみぎょう)区北之辺(きたのべ)町にある円浄宗の本山。日本廬山と号する。本尊は元三(がんさん)大師自作像。938年(天慶1)元三大師(慈慧(じえ)大師良源(りょうげん))が北山に与願金剛(よがんこんごう)院を開いたのが始まりという。1245年(寛元3)船岡山南麓(ろく)に移り、覚瑜(かくゆ)が再興。寺号も廬山天台講寺となった。その後応仁(おうにん)の乱などで火災にあい、現在地に移転した。寺宝の慈慧大師自筆遺告は国宝。絹本着色普賢十羅刹(ふげんじゅうらせつ)女像、木造如意輪観音半跏(にょいりんかんのんはんか)像、紙本墨書後伏見(ごふしみ)天皇宸翰(しんかん)御願文、紙本墨書選択(せんじゃく)集、紙本墨書正親町(おおぎまち)天皇宸翰女房奉書、慈慧大師二十六箇条起請は国重要文化財に指定されている。現在地は紫式部の住居跡である。節分会に行われる「鬼の法楽(ほうらく)」とよばれる悪疫退散は有名。

[田村晃祐]

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デジタル大辞泉プラス 「廬山寺」の解説

廬山(ろざん)寺

京都府京都市上京区にある寺院。円浄宗本山。天慶年間(938~947)に北山に創建された与願金剛院が起源。1573年より現在地。本尊の阿弥陀如来は国指定重要文化財。紫式部邸跡で、庭園は「源氏庭」と呼ばれる。

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