往生寺(読み)おうじようじ

日本歴史地名大系 「往生寺」の解説

往生寺
おうじようじ

[現在地名]色麻町王城寺 山下囲

はな川支流のふか川などのつくる複合扇状地上にあり、永寿山と号し、曹洞宗本尊の木造円光大師坐像は像高二尺八寸五分の寄木造で鎌倉時代の作といわれ、県指定文化財。円光大師は浄土宗の開祖法然で、法然自刻の像と伝える。「王城寺村安永風土記」の寺書出や縁起によれば、遠田とおだ牛飼うしかい(現小牛田町)の孫右衛門は、牛に化した僧の働きで長者になった。栗原郡菱沼ひしぬま(現栗駒町)の某がこの話を聞き、僧が訪れたので庵を結んで住まわせ牛になれと祈った。某はその罪により、頭はそのままで体が牛になってしまった。この地を真似牛まねうし(真根牛)というのはそのためである。旅の僧は法然の弟子金光で、これを憐み念仏で救おうとしたが果せない。


往生寺
おうじようじ

[現在地名]熊本市坪井一丁目

もとの新坪井しんつぼい二丁目筋の西側にあり、楽邦山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。「国誌」によれば、元和二年(一六一六)了尊開基で、寺地は口九間・入一六間。「熊本区誌」によれば、同年に了尊がふる町に開基創建し、寛永一〇年(一六三三)当地に移建したという。


往生寺
おうじようじ

[現在地名]王寺町久度三丁目

久度くど神社東南に所在。陀峰山と号し、融通念仏宗。本尊阿弥陀如来立像は藤原様式。境内に鎌倉様式の五輪塔があり、文明一一年(一四七九)鉦鼓に「和州広瀬郡久度往生寺常住 文明十一年己亥二月十五日尼来心敬白」と刻す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「往生寺」の意味・わかりやすい解説

往生寺
おうじょうじ

長野市往生地にある浄土宗の寺。安楽山と号する。「苅萱(かるかや)」物語で名高い苅萱道心の永眠の地として知られる。道心は筑前(ちくぜん)国(福岡県)苅萱庄(しょう)、博多(はかた)の城主で、俗名を加藤左衛門繁氏(しげうじ)と称したが、世の無常を感じ、妻子財宝を捨て修行の旅に出る。子の石童丸(いしどうまる)は母と後を追って高野山(こうやさん)にきて、父の弟子となり往生坊道念と称した。しかし道心は石童丸と別れ、善光寺傍らに草庵(そうあん)を建て、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像を安置して修行した。1214年(建保2)道心の死後、石童丸はこの草庵を訪れ、地蔵菩薩像を祀(まつ)り、この寺で没したと伝え、本堂に親子地蔵像が安置されている。

[清水 乞]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

事典・日本の観光資源 「往生寺」の解説

往生寺

(長野県長野市)
信州の古寺百選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の往生寺の言及

【石童丸】より

…なお説経《苅萱》の伝承を今日まで残し,苅萱道心と石童丸の親子地蔵をまつる寺が善光寺周辺に二つある。苅萱山寂照院西光寺と苅萱堂往生寺という。西光寺の所在が妻科村石堂(現,長野市北石堂町)西光寺となっているのは,石堂に拠る聖と幼い主人公の因縁がしのばれる一つの証しである。…

※「往生寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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