忠清道(読み)ちゅうせいどう(その他表記)Ch`ungch`ǒng-do

改訂新版 世界大百科事典 「忠清道」の意味・わかりやすい解説

忠清道 (ちゅうせいどう)
Ch`ungch`ǒng-do

朝鮮半島中西部の地方で,朝鮮八道の一つ。韓国に属し,行政上は南北道と大田広域市に分かれ,人口は忠清北道道庁所在地,清州)146万,忠清南道(道庁所在地,大田)189万,大田市144万(いずれも2005)。

地形的にきわめて対照的な東西二つの地域に分かたれる。東部は北の車嶺山脈と南の小白山脈に挟まれた漢江流域であり,大部分が丘陵性の山地で覆われ,平地としては狭小な忠州盆地がみられるだけである。西部は標高500mほどの車嶺山脈の南端部分を中間に,北には挿橋川流域の礼唐平野,南には錦江流域の論山平野など比較的なだらかな平地が広がっている。北西部の瑞山半島は複雑な海岸線をもち,安眠島など大小の島に連なる。沿岸は潮差が6m以上にも達し,干潟地が広く発達しており,浅水湾などで干拓事業が盛んに行われている。

古代には百済がこの地域を中心として隆盛し,その王都が置かれた公州扶余には王陵や仏寺などの遺跡が少なくない。李朝初に忠清道が設置され,忠州や清州が中心地として都市が発達した。1896年に東西に分割され,東の忠清北道の道庁が忠州に,また西の忠清南道の道庁が公州に置かれた。日露戦争中に京釜鉄道(1905)が本道を通過して設置されると,湖南線との分岐点にあたる大田が交通要衝として発達し,1927年には公州から大田に道庁が移されて,忠清南道の中心地に成長し,行政,教育機関が集中するとともに商業も栄えるようになった。

論山平野を中心とする錦江流域平野と礼唐平野は韓国有数の米作地帯である。従来,水利条件が悪く収穫が安定しなかったが,1970年代以降に大清ダム,忠州ダム,挿橋川河口堰など大規模な人工灌漑施設が建設され,著しく改善された。東部の山間地は養蚕,葉タバコ,チョウセンニンジンなど特殊作物の主産地となっている。瑞山半島は比較的低平な地形であるが,水利が悪いため畑作農業地帯として開発され,朝鮮では数少ない散村がみられる。潮差の大きい海岸では良港に恵まれないが,沿海のグチ漁場を舞台に零細な漁業が営まれている。本道北東部の堤川,丹陽一帯は石灰石,石炭のほか,量は少ないが希少鉱物を数多く産し,各種の鉱業が発達している。またそれらを原料とするセメントやタングステン工業が分布している。本道の中心都市となっている大田,清州,忠州などはおおむね交通要衝に位置し,行政,教育,商業にかたよった発展をとげてきたが,1960年代末からは地方工業団地が造成され,食品,繊維,機械などの中小企業が発展している。小白山脈中の俗離山,大田市郊外の鶏竜山は奇岩奇勝に富む景勝地であり,ともに国立公園に指定され,多数の観光客を集めている。二つの山はともに古くから霊山とされ,山麓に法住寺,甲寺などの大寺院がある。特に鶏竜山は韓国の新興宗教メッカとされ,多数の宗教団体が修養場を置いている。本道はまた韓国の中でも温泉場が多数分布している地域で,百済時代から温井の名で知られ,ソウルから直行バスがある温陽温泉,大田郊外の儒城温泉などは大規模なホテルが林立する国際的観光地となっている。百済の旧都である公州,扶余も王陵の発掘,博物館の建設など歴史的観光地として整備されている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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