(1)人形浄瑠璃。時代物。吉田冠子,三好松洛合作。13段。1751年(宝暦1)2月大坂竹本座初演。近松門左衛門作の世話浄瑠璃《丹波与作待夜の小室節(たんばよさくまつよのこむろぶし)》(1708)の書替え。丹波国由留木家の家臣伊達与作は若殿右馬之助が祇園の芸子いろはを身請けするための金三百両を同家中の鷲塚八平次に奪われたとがで家中を追われた。腰元重の井の父で由留木家抱えの能役者定之進は,重の井が伊達与作と密通した罪を身に引き受けて主君に《道成寺》の鐘入りを伝授したのち,鐘の中で切腹して果てた。その親心に感じた殿は重の井の罪を許し,息女調(しらべ)姫の乳人役を命じた。与作は馬子となって三百両の調達に苦心し,与作を慕ういろはは関の小万と名を変え,宿場女となって与作を助ける。与作と重の井のあいだに生まれた子は自然生(じねんじよ)の三吉と名のる馬子となっていたが,調姫が関東の入間家へ嫁入りする際,道中双六の遊びの相手をして重の井と母子の対面をした。しかし,主家の体面を考えた重の井は三吉と親子の名のりをせずに別れる。三百両の金と小万の父の年貢代の調達に苦しんだ与作は,我が子と知らず三吉をそそのかして盗みをさせる。が,以前の与作の忠僕一平らの活躍で,三百両の金もととのって与作の帰参はかない,悪人鷲塚らは討たれた。全体は近松作によりながら,由留木家のお家騒動の筋を採り入れ,複雑化している。しかし,特に有名な十段目の〈道中双六の段〉〈重の井子別れの段〉はほぼ近松作の通りである。(2)歌舞伎狂言。1751年7月江戸中村座初演。中村七三郎の伊達与作,瀬川菊之丞の重の井,中村粂太郎の関の小万などの配役で,人形浄瑠璃を忠実に歌舞伎化して好評を得た。その後も〈重の井子別れ〉は,立女方(たておやま)の演し物(だしもの)として現代に至るまで上演を繰り返している。
執筆者:諏訪 春雄
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。13段。吉田冠子(かんし)・三好松洛(みよししょうらく)合作。1751年(寛延4)2月大坂・竹本座初演。俗謡で有名な馬士(まご)丹波与作(たんばよさく)と宿場女関の小万(せきのこまん)の恋を描いた近松門左衛門の『丹波与作待夜小室節(まつよのこむろぶし)』の増補改作。由留木(ゆるぎ)家の臣伊達(だて)与作が若殿の情人芸子いろはの身請けの金を盗まれた咎(とが)と腰元重の井(しげのい)との不義によって追放され、馬方となって流浪する話を本筋として、重の井の父である能役者竹村定之進が主君に『道成寺(どうじょうじ)』の能を伝授したあと鐘の中で切腹して娘の罪を償う話、与作の義兄座頭慶政(けいまさ)の悲劇、馬方与作が関の小万となったいろはと恋に落ちる話などが組み込まれているが、名高いのは十段目の「重の井子別れ」で、人形浄瑠璃でも歌舞伎(かぶき)でも多く上演される。
父の忠死によって救われ、主家の息女調姫(しらべひめ)の乳母となった重の井は、姫が入間(いるま)家の養女となって東国へ下る旅立ちの日、道中双六(すごろく)で姫の機嫌をとった幼い馬方三吉を、与作との間に生んだわが子と知るが、主家への義理のため、涙をこらえ親子の名のりをせずに別れる。歌舞伎で重の井は立女方(たておやま)の代表的な役で、内面的な愁嘆の演技が眼目。三吉も子役として有数の大役である。
[松井俊諭]
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出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…《落葉集》などに所収の歌謡や古浄瑠璃,歌舞伎で人々に知られた丹波与作を主人公とするが,筋立ては近松の創作になる。母と名のれぬ滋野井の苦衷や,母をしたう三吉のいたいけな感情が描かれる序幕がすぐれており,《恋女房染分手綱》(1751)の中に〈重の井子別れ〉としてまるごと採り入れられ,現在もたびたび上演される。それにくらべ,与作は先行作のイメージによりかかったためか,十分に描かれているとはいいがたい。…
※「恋女房染分手綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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