精選版 日本国語大辞典 「党」の意味・読み・例文・類語
とう タウ【党】
とう‐・す タウ‥【党】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中世における武士団の一形態。元来、党とは、ともに何事かを行う集団、仲間の意味で、たとえば9世紀末に東国を荒らし回った騎馬の盗賊団は「僦馬之党(しゅうばのとう)」とよばれたが、平安後期以来武士団が発達するにつれて、ほぼ一定の地域に分布する中小の同族的武士団を党というようになった。その初見は1113年(永久1)『長秋記(ちょうしゅうき)』(源師時(もろとき)の日記)にみえる横山党である。党的武士団としては、武蔵(むさし)の横山党、西(にし)党、村山党、野与(のいよ)党、丹(たん)党、児玉(こだま)党、猪俣(いのまた)党、あるいは私市(きさいち)党、綴(つづき)党などのいわゆる武蔵七党をはじめ、下野(しもつけ)の紀(き)・清(せい)両党、紀伊(きい)の湯浅(ゆあさ)党、隅田(すだ)党、肥前の松浦(まつら)党などが有名である。これらの党は、主として同じ祖先から出た諸氏からなるが、惣領(そうりょう)の統制力は確立せず、構成単位の各家々が比較的対等な関係を保っているのが特色であり、かつ利害を共通にする近隣の他氏をその党に加えて地域的連合に移行する傾向があった。鎌倉中期の湯浅党の構成員などの状況がそれを示している。したがって、武蔵の諸党や松浦党のように構成員の諸氏が数郡にまたがり、さらに隣国にまで発展したような場合、党全体の統一行動はほとんどみられなくなり、小地域ごとのグループに分かれて行動した。こうして鎌倉後期ないし南北朝期になると多くの党は連合体としての実質を失い、かわって南北朝・室町時代には盟約関係による国人一揆(いっき)がおこった。
[小川 信]
平安後期~中世に存在した武士の連合体。(1)平安後期に発生した武士団は,惣領を中心に一族が血縁的に結合し,同族意識のもとに集団を形成した。東国では一般に武蔵七党といわれる横山党・猪俣(いのまた)党・野与(のよ)党・村山党・西党・児玉(こだま)党・丹(たん)(丹治(たんじ))党・私市(きさい)党・西野党・秩父(ちちぶ)党・綴(つづき)党,下野国の紀(き)党・清(せい)党。西国では摂津国の渡辺党,紀伊国の湯浅(ゆあさ)党・隅田(すだ)党などがその典型とされる。(2)鎌倉後期~南北朝期に惣領が統制力を失い,庶子がしだいに独立して惣領制の崩壊が進むと,血縁的関係よりも地縁的関係によって結ばれた集団が形成された。こうした地域的に結ばれた中小武士の共和的連合体が一揆(いっき)で,党ともいわれた。共和的党の典型としては,肥前国の松浦(まつら)党が有名。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…室町時代末期,同じ苗字を持ち行動をともにした武士の集団。平安時代の後期から鎌倉時代にかけて,武士は惣領を中心に武士団を形成し,中には一族が党という組織を作ることもあったが,室町時代になると党結合は弱くなり,規模もしだいに小さくなり,それとともに党にあたる語にも衆という語が用いられるようになった。たとえば戦国時代では,美濃三人衆,山家三方(やまがさんぼう)衆,九一色(くいしき)衆,武川(むかわ)衆,那須衆,三好三人衆等の衆組織が有名である。…
※「党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
常に身に迫る一触即発の危険な状態をいう。シラクサの僭主ディオニュシオス1世の廷臣ダモクレスが王者の幸福をたたえたので,王がある宴席でダモクレスを王座につかせ,その頭上に毛髪1本で抜き身の剣をつるし,王...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新