(読み)トウ

デジタル大辞泉 「党」の意味・読み・例文・類語

とう【党〔黨〕】[漢字項目]

[音]トウ(タウ)(呉)(漢) [訓]なかま
学習漢字]6年
仲間。共通の利害などで結ばれた集団。「党類悪党残党私党徒党
同じ思想を持つ人々のグループ。「党員党規党首解党結党公党政党入党野党与党離党立党
同郷の者や血縁者の集まり。「郷党
仲間を組む。仲間の肩を持つ。「党同伐異不偏不党
[名のり]あきら・とも・まさ

とう〔タウ〕【党】

利害や目的などの共通性によって結びついた集団。仲間。「をなす」
政治的な主張を一にする人々の団体。政党。「の方針」
中世における武士の集団。平安後期以降、血縁的武士団が発達し、のち、地域的な連合に移行した。武蔵七党松浦まつらなど。
接尾語的に用いて、それを好む人であることを表す。「あま」「コーヒー
[類語]党派派閥旧派新派分派別派

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精選版 日本国語大辞典 「党」の意味・読み・例文・類語

とうタウ【党】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 郷里や利害、主義主張、信仰、学問などで、共通するところのある人々が集団をつくること。また、その集団。なかま。ともがら。
    1. [初出の実例]「一曰。以和為貴。无忤為宗。人皆有党、亦少達者、是以、或不君父、乍違于隣里」(出典:十七箇条憲法(604))
    2. [その他の文献]〔史記‐斉太公世家〕
  3. 血縁につながる人々の集まり。身寄り。縁者。
    1. [初出の実例]「此事は孝道が党はみな鼻のおほきなるによりて」(出典:古今著聞集(1254)一九)
  4. 家格や身分が同列であるものを一括するときの呼称。
    1. [初出の実例]「次御膳以後御鞠也、其時分門跡党可参申入云々」(出典:満済准后日記‐永享六年(1434)正月二八日)
  5. 大勢の人々でつくる群れ。集団。
    1. [初出の実例]「近日京中下人等作田楽興、毎日遊行、或切破錦繍、或随身兵仗、数千成党、横行道路、間及闘争」(出典:中右記‐嘉承元年(1106)六月一三日)
  6. 平安末・中世、武士が結成した連合体。
    1. [初出の実例]「党も豪家も七条・朱雀・四塚さまへ馳向」(出典:平家物語(13C前)九)
  7. 政治上の主義・主張を同じくする人々の団体、結社。政党。
    1. [初出の実例]「各種の党(タウ)代議士が国会に入り込むよりして」(出典:平民の目さまし(1887)〈中江兆民〉一〇)

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普及版 字通 「党」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 10画

(旧字)黨
20画

[字音] トウ(タウ)
[字訓] ともがら・なかま・むら

[説文解字]

[字形] 形声
旧字は黨に作り、(尚)(しよう)声。に堂(どう)・當(当)(とう)の声がある。は神を迎えて祀る窓ぎわの形。(八)は神気の降る象。(黒)は烹炊して黒ずむところ。黨はすなわち神聖な竃突(そうとつ)の意。炊爨(すいさん)を共にし、またその祀所を共にする祭祀共同体を原義とし、族党をいう。もと血縁集団より、地縁的な集団、その邑里をも意味する語となった。

[訓義]
1. ともがら、やから。
2. なかま、たぐい、くみ、とも。
3. むら、さと、郷党。
4. なかまうち、わたくし、かたよる、おもねる。
5. そば、かたわら、多くの人。
6. 儻(とう)と通じ、もし、もしくは、たまたま。

[古辞書の訓]
名義抄〕黨 トモガラ・ムラガル・ヤシナフ・モト・アタ・トル・アヂハヒ・アツマル・ムツマジ・シタシ・トモ

[声系]
〔説文〕に黨声として二字を収める。四上は「目に無くして直するなり」、十二上は「群なり」という。はまた瞠に作り、は〔広雅、釈詁三〕に「つなり」とするのが本訓であろう。儻は〔説文〕未収。〔玉〕に「儻(てきたう)不羈(ふき)なり」とし、また「倖なり」と訓する。

[語系]
黨・tang、徒daは声義が近い。徒は党与の人をいう。も朋群の意で、相提携する者をいう。

[熟語]
党引・党援・党禍・党魁・党議・党・党禁・党言党錮・党護・党・党進・党親・党人・党正・党籍・党同・党輩・党伴・党附・党与・党里・党旅・党類・党論
[下接語]
阿党・悪党・一党・引党・悍党・偽党・凶党・郷党・群党・結党・錮党・公党・党・豪党・左党・妻党・残党・支党・私党・酒党・樹党・聚党・親党・政党・族党・賊党・多党・徒党・比党・不党・父党・附党・偏党・母党・朋党・野党・与党・里党・僚党・郎党

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改訂新版 世界大百科事典 「党」の意味・わかりやすい解説

党 (とう)

ある共通点を有する人々の集団をいうが,またとくに中世における分立割拠した弱小武士の集団に対する呼称。大別して,血縁的集団に対してつけられる場合(一族名)と,地縁的集団に対してつけられる場合(居住地域名)の2種類にわけられる。前者の例としては,紀伊国湯浅党隅田(すだ)氏(党),摂津国の渡辺党などがあり,後者の例としては,肥前国松浦(まつら)党などがある。党の性格は多様で,かつ時代の推移にともなって変化しているため,固定的にとらえることは困難である。武士の党が発生する以前に,平安時代には〈党類〉〈群党〉などの用法がみられ,さらに〈僦馬党(しゆうばのとう)〉の存在があり,中世にも〈悪党〉などと用いられている。これらの〈党〉という言葉の意味は,いずれも〈むれ〉〈集団〉に対する呼称であり,その場合,構成員間の結合した組織体的性格は希薄である。平安時代末期には,各地で発生した弱小武士の集団に対し,軍記物等で固有名詞を付した丹党,私(きさい)党,児玉党,猪股党,西野党,横山党,村山党などの武蔵七党をはじめ,相模国の三浦党,金子党,海老名党,信濃国の木曾党,上野国の高山党,摂津国の渡辺党,肥前国の松浦党などが現れる。これらの武士の〈党〉は弱小武士集団に対し,第三者によって集合名詞的に用いられており,それには多分に蔑視の意味が含まれていたため,みずから〈……党〉と称するようなことはなかった。《大日本史》は所有する土地の少ない武士のことを小名または党というと述べている。

 平安時代から鎌倉時代には,党と称される弱小武士団が共和的団結をすることはなかった。そこで党的武士団は惣領制的武士団に対置される武士団の存在形態として把握される。すなわち党的武士団には,それを統率する惣領制的武士団の惣領に相当する者が存在せず,それぞれ割拠独立した弱小武士団として存在し,党とはこのような武士団に対する呼称であった。したがって同じ党の武士たちの間でも,しばしば対立抗争を繰り返している。弱小武士集団が団結を必要とする場合には共和的連合組織を結ぶこともあったが,その組織の有無は党にとり必須条件ではなかった。ところが南北朝時代という動乱の時代の中で,弱小武士を一揆という手段によって共和的連合組織にくみいれ,一つの政治的軍事的勢力として固定する必要が生じ,各地で国人一揆が結ばれた。平安・鎌倉時代〈党〉と称された弱小武士団もしばしば一揆を結んだ。しかし一揆契諾による共和的連合組織は党的武士団の特性ではなく,平安・鎌倉時代の党的武士団が南北朝時代に変質したものとして把握さるべきである。つまりそれは党的武士団が一揆契諾を結んだものであり,一揆契諾を結んだ武士の存在形態が党の本質なのではない。党の本質は,一揆契諾に先行する弱小武士団の独立割拠した存在形態に対する,蔑視の意味を含めた集合名詞的呼称と考えるべきである。
武士
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「党」の意味・わかりやすい解説


とう

中世における武士団の一形態。元来、党とは、ともに何事かを行う集団、仲間の意味で、たとえば9世紀末に東国を荒らし回った騎馬の盗賊団は「僦馬之党(しゅうばのとう)」とよばれたが、平安後期以来武士団が発達するにつれて、ほぼ一定の地域に分布する中小の同族的武士団を党というようになった。その初見は1113年(永久1)『長秋記(ちょうしゅうき)』(源師時(もろとき)の日記)にみえる横山党である。党的武士団としては、武蔵(むさし)の横山党、西(にし)党、村山党、野与(のいよ)党、丹(たん)党、児玉(こだま)党、猪俣(いのまた)党、あるいは私市(きさいち)党、綴(つづき)党などのいわゆる武蔵七党をはじめ、下野(しもつけ)の紀(き)・清(せい)両党、紀伊(きい)の湯浅(ゆあさ)党、隅田(すだ)党、肥前の松浦(まつら)党などが有名である。これらの党は、主として同じ祖先から出た諸氏からなるが、惣領(そうりょう)の統制力は確立せず、構成単位の各家々が比較的対等な関係を保っているのが特色であり、かつ利害を共通にする近隣の他氏をその党に加えて地域的連合に移行する傾向があった。鎌倉中期の湯浅党の構成員などの状況がそれを示している。したがって、武蔵の諸党や松浦党のように構成員の諸氏が数郡にまたがり、さらに隣国にまで発展したような場合、党全体の統一行動はほとんどみられなくなり、小地域ごとのグループに分かれて行動した。こうして鎌倉後期ないし南北朝期になると多くの党は連合体としての実質を失い、かわって南北朝・室町時代には盟約関係による国人一揆(いっき)がおこった。

[小川 信]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「党」の解説


とう

平安後期~中世に存在した武士の連合体。(1)平安後期に発生した武士団は,惣領を中心に一族が血縁的に結合し,同族意識のもとに集団を形成した。東国では一般に武蔵七党といわれる横山党・猪俣(いのまた)党・野与(のよ)党・村山党・西党・児玉(こだま)党・丹(たん)(丹治(たんじ))党・私市(きさい)党・西野党・秩父(ちちぶ)党・綴(つづき)党,下野国の紀(き)党・清(せい)党。西国では摂津国の渡辺党,紀伊国の湯浅(ゆあさ)党・隅田(すだ)党などがその典型とされる。(2)鎌倉後期~南北朝期に惣領が統制力を失い,庶子がしだいに独立して惣領制の崩壊が進むと,血縁的関係よりも地縁的関係によって結ばれた集団が形成された。こうした地域的に結ばれた中小武士の共和的連合体が一揆(いっき)で,党ともいわれた。共和的党の典型としては,肥前国の松浦(まつら)党が有名。

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百科事典マイペディア 「党」の意味・わかりやすい解説

党(日本史)【とう】

中世の弱小武士団の連合組織。平安時代以後,一族の首長たる惣領(そうりょう)が庶子を半ば主従制的に支配統制し,武士団は血縁的に結合していた。しかし一族内で分割相続が繰り返されると,こうした縦の結合は解体し,各庶子家の自立を前提とし横に結合する組織が生まれた。紀伊(きい)の湯浅党,北九州の松浦(まつら)党などが有名。惣領制の崩壊後,武士は同族的・地域的に党を結ぶようになった。
→関連項目武蔵七党

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「党」の意味・わかりやすい解説


とう

中世武士団の存在形態。著名な「武士の党」としては,紀伊国隅田 (すだ) 党,湯浅党,肥前国松浦党武蔵七党などがある。惣領制的武士団が惣領を中心に強固な族的結合を示したのに対し,党と呼ばれる武士団には惣領に相当する者が存在せず,独立割拠した弱小武士団が同族的結合をし,党と呼ばれた。このような武士の党は,鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて次第に血縁的結合から地縁的,政治的結合へと推移し,共和的連合形態 (→一揆 ) を結ぶようになった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「党」の解説


とう

中世,武士の結合集団
早い例は平安時代の武蔵七党のほか湯浅党・隅田 (すだ) 党・松浦 (まつら) 党などが有名。中小の武士が血縁的・地縁的に結合したもので,惣領の統制力の強い党と,同族が共和的に連合している党とがある。室町時代には衰えた。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【同名衆】より

…室町時代末期,同じ苗字を持ち行動をともにした武士の集団。平安時代の後期から鎌倉時代にかけて,武士は惣領を中心に武士団を形成し,中には一族がという組織を作ることもあったが,室町時代になると党結合は弱くなり,規模もしだいに小さくなり,それとともに党にあたる語にも衆という語が用いられるようになった。たとえば戦国時代では,美濃三人衆,山家三方(やまがさんぼう)衆,九一色(くいしき)衆,武川(むかわ)衆,那須衆,三好三人衆等の衆組織が有名である。…

※「党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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