日坂(読み)ニッサカ

デジタル大辞泉 「日坂」の意味・読み・例文・類語

にっさか【日坂】

静岡県掛川市地名小夜さよの中山西口に位置し、もと東海道五十三次宿駅

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「日坂」の意味・読み・例文・類語

にっさか【日坂】

  1. 静岡県掛川市の地名。小夜中山の西口に位置する。もと東海道五十三次の宿駅。東の金谷と西の掛川との間にあった。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「日坂」の意味・わかりやすい解説

日坂【にっさか】

遠江国にあった宿駅。現在の静岡県掛川市日坂にあたる。東海道難所の一つ佐夜ノ中山(さよのなかやま)(現在の掛川市と静岡県金谷(かなや)町(現・島田市)の境)の西にあったことから西坂と呼ばれ,のち日坂となったという。応仁(おうにん)・文明の乱から戦国争乱の時期にかけての紀行文に,西坂・日坂・新坂などとみえる。1601年に東海道の宿駅に指定された。《東海道宿村大概帳》によれば,宿内町並みは東西6町余,人口は750人,家数は168軒で,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠(はたご)屋33軒があった。蕨餅(わらびもち)は宿の名物として知られる。1955年掛川市の大字となる。
→関連項目掛川[市]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「日坂」の意味・わかりやすい解説

日坂 (にっさか)

遠江国の宿駅。東海道の交通の要地で,東は小夜ノ中山(さよのなかやま)を越えて1里24町で金谷宿,西は1里29町で掛川宿に至る。戦国期の日記や紀行文に日坂,あるいは西坂,新坂などとみえる。近世宿駅としては,1601年(慶長6)に設定された。《宿村大概帳》によれば,宿内町並み東西6町半,宿内人口750人,家数168軒(うち本陣1,脇本陣1,旅籠屋33軒)であった。宿の名物として〈蕨(わらび)餅〉がある。現在,掛川市に属す。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日坂」の意味・わかりやすい解説

日坂
にっさか

静岡県掛川市(かけがわし)東部の一地区。旧日坂村。東海道の有名な難所、小夜ノ中山(さよのなかやま)の西の坂下に位置し、夜泣き石でも有名。室町時代、西坂とも書き、『宗長(そうちょう)手記』や連歌師宗牧の『東国紀行』には日坂と記されている。江戸時代には本陣、脇(わき)本陣各1、旅籠(はたご)33を擁した宿場町として繁栄した。

[川崎文昭]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日坂」の意味・わかりやすい解説

日坂
にっさか

静岡県南西部,掛川市の東部,東海道の難所で知られた小夜ノ中山の西麓にある集落。旧村名。 1955年掛川市に編入。江戸時代は東海道の峠越えの宿場町であった。現在は葛布 (くずふ) の特産地。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典・日本の観光資源 「日坂」の解説

日坂

(静岡県掛川市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日坂の言及

【葛餅】より

…葛粉のかわりにワラビ粉を使えばワラビ餅である。いずれも江戸時代以前から行われていたもので,東海道の日坂(につさか)の宿(新坂,西坂とも。現,静岡県掛川市)のワラビ餅は有名だった。…

※「日坂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android