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朝鮮絵画 ちょうせんかいが

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝鮮絵画
ちょうせんかいが

三国時代の古代絵画としては,古墳壁画や古墳出土の副葬品にみられる彩画が代表的である。4~7世紀の高句麗古墳壁画の変遷は,朝鮮古代絵画の推移を知る貴重な資料である。初期には楽浪や帯方郡の影響もあって,漢代絵画の伝統を取入れ,龕神塚や舞踊塚壁画のような民族絵画を徐々に形成していった。6世紀後半から7世紀になると,真波里古墳や遇賢里大墓の壁画のように,中国,南北朝時代の絵画と比べても遜色のない水準に達した。統一新羅 (668) 以降の絵画は,わずかに残る装飾画や工芸品によって知るほかはないが,文献上では,のちの画院にあたる彩典署があったことが確認され,率居や金忠義などの画師がいたことがわかる。また新羅は唐文化の影響を強く受けていたことから,唐代画風の影響も無視できず,当時は仏教美術全盛期であり,寺院壁画の大作から写経などの小品にいたるまで新羅画師の活躍が推測される。高麗時代 (918~1392) の絵画は,新羅の影響もあって,12世紀頃までは唐末,五代の画風を受継ぎ,やがて宋・元画の影響が強まったと思われる。新羅同様に官専属の画院が設けられ,職業画家の李寧・李光弼父子 (12世紀) は,当代随一の大家と伝えられる。士大夫画 (→文人画 ) もすでに発生していて,山水,花卉の鄭知常,墨竹の鄭叙の名が知られ,恭愍王 (在位 1351~74) は中国の徽宗と同じく山水,人物,花鳥をよくしたといわれる。李氏朝鮮時代 (92~1910) になると仏画は衰え,図画署の画員は歴代王后や諸功臣の肖像画,歳画,戒鑑画などの実用的な絵画をおもに描いた。それでも,李朝前期は前代からの北宗画系統の絵が画壇を風靡していたので,水墨画では安堅,崔経,李上佐らの画員出身の大家が輩出した。後期になると南宗画系統の絵も模倣されるようになり,画員のほかに士大夫画家が台頭しはじめ,竹画をよくした李霆 (りてい) ,草虫図を描いた申師任堂などの文人画家が現れた。 17世紀に入ると従来の中国絵画の模倣から脱して,独自な実景山水が生み出され,真景画を完成させた鄭ぜん (ていぜん) は,のちの李朝職業画壇に大きな影響を与えたといわれる。こうした李朝画派のなかから,その精神を受継いで申潤福や金弘道らが,李朝人の生活を題材に多くの風俗画を残した。しかし,李朝時代は社会全般に儒教の道徳観をもって知識人の芸術活動を卑しむ風潮が支配的であったため,文人画は行われても鑑賞画としての芸術的価値の高い作品は少く,むしろ民画 (→李朝民画 ) などの実用的な絵画にみるべき足跡を残している。

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